目覚め

 ゆっくりと、羽を動かしながら地上に降りてくる魔族デモーア

 勝敗は決した。あの冒険者も、もう立ち上がれないところを見るに、ようやく限界に達したのだろうと判断した。


「……呆れたものね。不死身なのかしら?」


 魔族デモーアが息を乱しながらも、驚嘆を漏らしてしまうのも仕方が無いことだった。

 土に膝を付けるクリアは、所々が炭のように黒ずみ、右肩にはぽっかりと穴が開いている状態――満身創痍も良いところであった。


 例え相手が今にも死にそうな状態でも、これ以上間合いに入る気はなかった。――だが、それでも生きている。微弱ながら呼吸は続き、野獣のような眼光で魔族デモーアを睨み付けるほどの生命力を残しながら、倒れることなくクリアは生きていた。


「まさか、ここまで追い込まれるとは思わなかったわ」

「……っ、……っ」


 ある程度の距離まで近づき、膝を付きながらこちらを見据えてくる冒険者を見下ろす。


 あの異常とも言える魔力の嵐を見せつけられ、自身の切り札の一つを耐えられた相手だ。例え死にかけていたとしても、これ以上間合いに入る気はなかった。


「……貴方がもう半分の力を使っていたとしたら、負けていたのは私だったかもしれないわ」


 魔族デモーアが疑問でもあったことをそのまま呟いた瞬間、目の前から感じる視線の鋭さが、いっそう増した感覚があった。

 自ら言っていてなんだが、魔族デモーアには彼女がそれを使わなかった理由におおよその見当が付いていた。半族ハーヒュが血を拒むことなんて、星の数ほど存在するのだから。


「まあそれは過ぎたこと。今更考えても仕方が無いこと。……さて」


 空気が変わる。戦闘は終わったとしても、彼女にとってそれは通過点でしかない。


「……これが最後よ。戦意を下げ、通してくれるなら殺しはしないわ」


 それは魔族デモーアにとっては最大限の譲歩。彼女には珍しく、自身をここまで追い詰めた強者への心からの賞賛。

 元々、この戦いは不必要なものだった。別に争う必要はないのだから、殺す必要などない。


「何もあの坊やを殺そうとしてるわけではないの。それでも譲る気はない?」

「……ない。貴様ら魔族デモーアの、言葉なぞ、信じれるものか」


 絶えそうなくらい弱り切った息遣いであっても、クリアは即答した。

 当たり前だ。クリアにとって――アーフガンドに生きる者達にとって、魔族デモーアの言葉など信用できるわけがないのだから。


「……まあそうよね。勇者狩りなんて馬鹿馬鹿しいこと、例えあのお方が発したものであっても、正直賛同しかねるものではあったしねぇ」


 それでも特に気にすることない。返される言葉の予想は魔族デモーアの中では付いていたのだ。

 勇者狩り。それがつい百環程前までによって行われていた――世界を混沌に沈める最悪の行為。


 まるで世界と心中したいがために行われていた、このアーフガンドの長い歴史の中で五指に入るであろう事件。

 失われた命は多く、得する者もほとんどいなかった惨劇。それを引き起こした者達こそ魔族デモーアであり、故にアーフガンドにおいて、最も恐怖と憎悪の目で見られているのだから。


 そして彼女クリアもまた、おびただしいほどの憎悪を抱える者の一人。凄惨極まりない虐殺において愛する者を失い、その身に恨みという黒い灯火を抱える者であるであり、当然魔族デモーアの言葉なぞ、信じれるわけがない。


 魔族デモーアが最後に向けた慈悲の瞳は、ゆっくりと敵意の視線へと切り替わる。


 近づくことなくクリアの方に手をかざし、青色の光を収束させていく魔族デモーア

 魔力が荒々しく弾けながら、少しずつ、少しずつ雷の球が形成されていく。


(ああ、これはもう、助からんな)


 朦朧としていく意識の最中、クリアは悟ったのようにはっきりと自身の死期を自覚する。

 こんな所で死ぬつもりなど無かった。それでも、あのバケモノ染みた力を持つ魔族デモーアにすべてを賭けて挑まなかった時点で、敗北は決まっていたのだろう。


 それにしても、ここまで時間を稼いだのだ。あの小僧は、無事に馬車まで逃げることが出来ただろうか。


 弟によく似た少年。似ているようでこれっぽちも似ていなかった小僧。

 思うところはある。情けない部分の方が多く、あまりの甘っちょろさに反吐すら出そうになりそうな、何も知らぬ被害者でしかなかった小僧。

 厳しく理不尽な目にしかあっていなかったのに、折れることなく抗い食らいついてみせた男。


 どうやら自分でも驚くほどあいつが気に入っていたらしい。こんな死の間際に思い出すのが、会って一月も立たぬ小僧のことなのだから。


 あいつはこれから、この一月がであったと思えるくらいの、たくさん辛いことをさせられるのだろう。

 もし叶うならば、もう少し見てやりたかった。こんな勝手に呼んだ国の道具にされるのは阻止してやりたかった。


「さようなら。この世が終演を迎えるまで、貴女のことは忘れないわ」


 迫り来る雷槍が、己の終わりへの距離を明確に示してくる。

 あれを喰らえば終わり。最早やれることも出来ることもない。そう確信して、瞼を閉じる――。


 衝撃が、来ない。死の間際に一瞬だけでも感じるであろう痛みが、どうしてか訪れない。


「――うわァァァァ!!!!」


 音が聞こえた。すぐそこから、音が鳴り響いている。

 雷が落ちたかのような轟音と、それにほとんどかき消されながらも僅かに耳に入ってくる――弱々しい声。


 すぐに目を開け、目の前がどうなっているかを確かめる。


「――なっ」


 そこで起きていることは、彼女にとってあまりに都合が悪かった。


 少年が、お世辞にも頼りにもならなそうな小さな少年が、今にも貫かんと迫る槍を阻んでいた。

 それが誰かなんてすぐにわかった。認めたくない――だってそれは、自分の行いが無駄であったと突きつけられているかのよう。


 秋瀬優馬。この一ヶ月、嫌われてもおかしくはないくらいにぼろぼろに傷つけた小僧。――勇者の候補者。

 先程逃がしたはずのか弱き人族ヒューム。だというのに、どうしてここにいるんだ――。


「っどうして、何故ここに居る!?」

「だって、見捨てるなんて、できっこないでしょ!!」


 苦悶を含んだ声が、この少年の今の状態を如実に表わしている。

 当たり前だ。あの槍は、あの魔法マギリスはこんな弱い小僧になど防げるはずがない。


 拮抗出来ているこの瞬間すら奇跡に近い。それはこいつが、その槍に触れている少年が一番実感できるはず。それなのに、どうして逃げ出さない。


「私の命令には絶対だと、言ったであろう!! 私の稼いだ時間を、無駄にするのか!!」


 最早叫ぶ余裕なんかないはずなのに、自然と感情的に声を荒上げようとしてしまう。

 頼む。逃げてくれ。勇者になるであろうお前が、久しぶりに共にいれた人間が、逃げ果せなくてどうする。

 お願いだ。私など見捨てて、今すぐ去ってくれ。どうか、私に、助けられたという安心を――。


「だって、言ったじゃないですか!! 自分で考えろって!! 自分で決めろって!!」


 叫ぶ。私と同じように、今にも吹き飛ばされそうなほどに、ぎりぎりの状態を保ちながら、ただ感情のままに応えてくる。


「俺はもうっ!! 目の前で!! 知り合いに死んでほしくない!! あいつのように、取りこぼしたくない!!」


 それはクリアの前で初めて見せた、優馬の本音。

 弱者が望むにはあまりにも強欲な願い。誰よりも欲張りで身勝手な――誰にでもあるであろう、当たり前の感情。


「あ、あああああああァァァァ!!!!」


 私がくれてやった鉄の剣は、こんな強い魔法マギリスに耐えられるはずがない。

 それでもその意志に応えるかのように、溶けるはずの鉄は存在を保ち続けている。


 ――否、否否否っ!! 

 既に刀身は失われている。いかなる奇跡を持ってしても、どれほどの魔力があろうとも、剣を持って一ヶ月の人間が、雷を切り払うことなど不可能でしかない。


 クリアは見た。彼女の瞳には確かに、それが認識できた。

 透明な刃。透き通るほどに美しい――水晶を彷彿とさせる刀身を持つ剣が、彼の手には握られていた。


 それは聖剣。アーフガンドに七つ存在する、絶対なる世界の支柱。


 優馬は認識していない。最初の持っていた剣が溶け落ち崩れ、もう消失していることになど。欠片も気づいてはいない。

 それでも、振るう得物はある。彼の手には、資格ある者にしか手にできない、これ以上無い業物が握られている。


 これは目覚め。誰よりも弱く、何者よりも凡庸でしかない男の始まり。

 今はまだ衛兵一人にすら劣るであろう一人の男が、七人の一人に昇るその瞬間。


「ああぁァ!!」


 全力で切り払われた雷は、彼を祝う花火の如く弾け――霧散する。

 光は消え、轟音は静まり、荒々しい息遣いだけが、ただただ音となり場に通る。


 防いだ。銃弾よりも早く鋭い怪物の一撃を、人の意志で防ぎきったのだ!


「――なっ」


 目を見開き驚愕を隠そうともしない魔族デモーア

 当然だ。それをやってのけたのは、あろうことか何もできっこないと高を括り見下していた小僧なのだから、驚きもするというもの。


 たったの一撃で今にも倒れそうなくらいにふらふらしながらも、持っている剣を支えにして、どうにか立っているだけの人族ヒューム。怯えながらも、恐怖を隠せずとも――臆さずにこちらを見てくる凡人おろかものがいたのだ。


「こ、今度は、俺が相手だ。く、来るなら来いよ!」


 魔族デモーアは歓喜した。震えながらも足掻こうとする、弱者ヒュームの姿。久しく見ることのなかった生への執着そのもの。彼女の好む情動に他ならないのだから。


 ああ、もしも彼が勇者でなければ、そのまま連れ帰り飼い慣らしてしまいたいとさえ思う。

 我が掌中の中で、目の届く庇護下の中で、その花が完全に芽吹くまで育ててみたいとさえ。


 だが、それをすることは許されない。許されるはずがない。

 彼の手に握られているあの輝きこそ、まごうことなき聖なる剣。この世界を繋ぐ柱――勇者が持つ聖剣二他ならないのだから。


 既に目的は達成した。これ以上の戦いは不要。名残惜しいが、この二人の戦士との決着は今ではない。


 戦意を解き、翼を羽ばたかせながら空に戻る魔族デモーア


「目的は達成したわ。ここまで追い詰めた勇敢なる冒険者と、弱々しくも輝かんとする勇者に敬意を込めて。次に決着を付けられんことを」

「――えっ」

「我が名はメリア。七魔セブンスにして第二位セカンダリーを賜る者。至高なる王に仕えし者。――また会いましょう」


 そう言い残し、飛び去る魔族デモーア――メリアを優馬は、ただ目で追うことしか出来なかった。

 徐々に小さくなっていき、完全に姿が見えなくなる。それから少し経ってようやく、生き残ったのだと優馬の口から零れる安堵の溜息。それはまるで、この戦いが終わり助かったのだと、自らに知らせるようであった。

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