39:秘密研究施設

 ――ハナコは警棒を伸ばし、辺りを警戒しつつ、洞窟の秘密研究施設の構内へと足を踏み入れた。


 ひしゃげた鉄扉からすぐの、やわらかい月の薄明かりに照らされた若草色のリノリウムの床面は、外から舞い込んだ落ち葉や土で汚れている。


 すっかり、夜だ。


 廊下の奥がまるで見えない。


 左手に携えていた懐中電灯のあかりを頼りにして、辺りを見渡したハナコは、右手の壁に構内の見取り図が掛けられているのに気がついた。


 見取り図から、秘密研究施設は一層だけの、カステラのような長方形のいたって簡素な作りだということが分かった。


 恐らく洞窟を利用して作られたというのがその理由なのだろう。


「とりあえず、奥へ進んでみましょう」


 トキオが言う。


 気合いを入れ直し、ハナコは先頭に立って奥を目指した。


「これを見てみろ」


 廊下の中程で、マクブライトが言う。


 見ると、五枚も連なった大きなはめ殺しのガラス窓があり、その向こうがわの部屋には、いくつかの檻が廊下がわを向いて整然と立ち並ぶ光景が見えた。


 しかし、ここからでもその檻のどれもが空っぽだということが分かる。


 アリスを背負ったままのマクブライトに促され、はめ殺しの窓のすぐそばにあった、壊れた自動扉が開きっぱなしになっている敷居をまたぐと、まるで闖入者ちんにゅうしゃを歓迎するかのように、部屋の天井に備えつけられた照明が点灯した。


 立ちこめる饐えた臭いに少しだけ躊躇していると、となりのマクブライトが臆することもなく、右にある最も大きな檻に近づいた。


 はめられた鉄格子が内がわから強い力でねじ曲げられたらしく、その檻は大きくひしゃげていた。


「中身は逃げちまってるみたいだな」


 マクブライトにうなずき、ふと見上げると、檻の上部には鈍色にひかる金属でできたプレートが嵌められていた。


 そこには、


『〈被検体第十二号―ヤツメグマ―〉

  備考

  ・ヤツメウナギ

  ・イノシシ

  ・ヒグマ』


 と、簡潔な情報が書かれていた。


「……どうやら、あのバケモノグマは、ここで作られた代物らしいな」


 マクブライトが言う。


「どういうこと?」


「同一個体内に複数の遺伝情報を持つ生物、つまり《遺伝子結合生物キメラ》をここで作ってたってことさ。まったく、悪趣味きわまりないぜ。ほら、ほかの檻も見てみろ」


 促されて見てみると、他の檻には、〈サンジュウヤマカガシ〉〈ツメフクロウ〉〈サルカバ〉〈ケルベロスモドキ〉〈ムツアシガエル〉などの名前が書かれていた。


 そして、その檻の横にある小さい鳥かご状の檻には〈サクテキチョウ〉の文字。さらにその上に置かれた二つの虫かご状の檻の上部には〈アイエンクソムシ〉〈チスイアゲハ〉というプレートがそれぞれ嵌められていた。


 そして、〈チスイアゲハ〉と書かれた、扉の開いた檻の壁面には、あの黒い蝶が身を寄せ合うようにして、夥しく貼りついていた。


「ほかのヘンな生き物たちも、どうやらここで作られたみたいですねえ」


 トキオが嘆息する。


「でも一体、なんのために?」

「おおかた、戦場へ投入される兵器として開発されたんだろう。だが、これらはどうやら失敗だったらしいな」

「なんで失敗だって分かるわけ?」

「おれが傭兵としていくつかの戦場を渡り歩いていた頃、こういったバケモノたちにはいっさい出くわさなかったからな。まあ、そんなことよりもおれが気になるのは、この〈サクテキチョウ〉ってやつだ」


 空になった鳥かご状の檻を顎で指すマクブライト。


「このサクテキってのは、たぶんってことだろうな。人を、いや敵を見つけるために開発された鳥なんだろう」

「それが、なんなの?」

「人を探す鳥、言い換えれば、に覚えがないか?」

「……クニオフィンチか」

「ご名答。おそらく、クニオフィンチこそが、この〈サクテキチョウ〉ってやつの正体だ。どうやら遺伝子操作で生まれたって噂は、真実だったようだな」

「ピクシーの野郎は、これを使ってあたしたちに辿り着いたってわけか」


 それならば、一応の説明がつく。


 しばらくその部屋を物色してみたが有益な情報は何もえられず、諦めて檻のあった部屋を出て先へと進むと、今度は左手に同じようにして大きな窓が嵌められた部屋が見えた。


 その部屋には、なにやら精密な機械を思わせるメーターなどがついた金属質の基部を持つ、硬質ガラスでできた円筒状の装置がいくつも並んでいた。中央の三基には薄緑色の液体が充満し、その中には得体の知れない生物が浮いている。


 気になりながら入り口の自動扉のプレートを見ると、〈ヒスト・ルーム〉と書かれていた。


 入ってみようとその前に立ってみたが、自動扉はまったく開く気配をみせなかった。とりあえずその部屋は後回しにして、さらに奥を目指して進んでみると、すぐに廊下の端についてしまい、その突き当たりにあった〈センタールーム〉と書かれた部屋に足を踏み入れると、そこには九つの黒い研究机が並び、その上には、研究のために必要だったのだろう、埃を被ったさまざまな実験器具が散乱していた。


 そこも調べてみたが、めぼしい物はなにも見当たらなかった。


「……まさか、これだけ、なんすかねえ」


 トキオが言う。


「あの蝶だって実際にいたんだし、アリスの言葉を信じるなら、ここにはきっと何かがあるはずだよ。それに、情報がなにもないとしても、どこにもアリスがいたっていう痕跡すらないのは、どう考えたっておかしいよ」


「確かに、一理あるな」


 マクブライトがうなずく。


 その時、マクブライトに背負われていたアリスが小さく声を漏らしながらゆっくりと頭を上げ、難儀そうに瞼を開いて、視点の定まらない目で辺りを見回した。


 失神していた間に起こったピクシーとアリスとを巡る顛末をハナコから聞かされ、半信半疑ながらも頷くことしかできなかった男たちが、かすかに強ばる。


「ここは……」

「秘密研究施設だよ。見覚えがある?」


 うなずき、マクブライトに下ろしてもらったアリスは、ふらふらと部屋の奥のほうへと進んだ。


 だがそこはただの壁で、特に変わったところはなさそうだった。


 しかしアリスが導かれるように、その一部にあった出っ張りへ手をかざすと、低い機械音とともに、壁が横へと開いていった。


 その先には、大きな搬出入用のエレベーターがあった。

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