27:究極の共同作業

「目が覚めたようだな」


 ぼやけた視界にうつる黒い人影が、抑揚のない声で言う。


 頭が、割れるように痛い……


 痛む後頭部をさすろうとしたハナコは、そこで自分が木製の椅子に座らされ、うしろに回された手が、背もたれにきつく縛りつけられているのに気がついた。無駄だとは分かりながらも縄がほどけないかと何度か手を動かしてみたが、案の定、徒労に終わった。さらに、手はおろか、足もまた椅子の脚に固くくくりつけられていることに気づく。


 脱出を諦めて、ふたたび声のしたほうに視線を向けると、向かい合うようにして置かれた椅子に、悠然と足を組んで座りながら、旧宗教の教典を読むネロの姿があった。


「……寝起きには見たくない顔ね」

「それは残念だったな」


 ハナコの嫌味に鼻を鳴らし、教典をとじるネロ。


「お前の言うとおり、あの隠し通路のさきには、だれもいなかったよ」


 よかった、とハナコは思い、


「だろうね。いたら、あたしはとっくに殺されてるはずだ」


 と、さも当然のごとくに言った。


「ムラト・ヒエダがいくら出す気か知らんが、もしおれにアリスを引き渡してくれれば、その倍の金を払おう」


 一瞬、ネロの言葉に違和感を覚えたが、その正体は掴めない。


「……分からないね。なぜそこまでしてアリスを狙う? おとりにしてムラトをおびき出すつもり?」


 的はずれだとでも言うように首を振り、「老いぼれに興味はない。お前にの価値は分からんよ」


 前屈みになり両肘を太ももに乗せ、組んだ手の親指で顎をさするネロ。


「それよりも分からないのは、おれのほうだ。お前のようなしがない運び屋が、そこまでしてアリスを守る理由がな。これでもおれは、なかなかにお前のことを気に入っている。破格の条件を出したのもそのためだ。気が変わらんうちに、アリスの居場所を吐いた方が身のためだぞ」


 ネロは立ち上がり、ゆっくりとハナコへと歩み寄った。


「幸か不幸か、ここには、おあつらえむきの道具がそろっている」


 言われ、辺りを見回すと、壁の板間から差し込む陽光のおかげで、薄暗いながらもここが掘っ立て小屋だということが分かった。左の壁の前にある棚には、ペンチやドライバー、小ぶりのカナヅチや紙ヤスリなどの工具が整然と並べられていた。


 おそらく、ここは教会のとなりにあったあの小さな物置小屋だろう。棚の横に立てかけられたくわすきは、神父の手によってか、キレイに手入れが行き届いていた。


「やるならとっととやりな」

「女を痛めつけるのはあまり好きじゃなくてな。だが――」


 ハナコの頬を平手打ちするネロ。


「――経験がないわけではない」


 ハナコは気を保つようにして頭を振り、ネロに唾を吐きかけた。


「弱い者いじめが好きみたいね、《446部隊》は」


 部隊名を出され、顔に吐きかけられた唾をハンカチで拭っていたネロが、驚いたように右の眉尻を上げた。


「どうやら、お前たちを過小評価していたみたいだな」

「あたしは、あんたらを過大評価してたみたい」

「……口の減らない小娘だ」


 ため息をついたネロの拳が腹部に深くめり込み、胃袋に鈍い衝撃を受けたハナコは、無様に吐瀉物としゃぶつをまき散らした。


 眉一つ動かさないまま、拳にかかった吐瀉物をハンカチでゆっくりと拭い、


「おれは拷問が苦手でな」


 と、ネロは水筒の蓋を開けて、それをハナコの口へと近づけた。


「飲め」


 不快な胃液にまみれた喉を潤すため、汚辱にまみれながらも言われるがままハナコは水筒に口をつけた。水を飲み終えると、今度はハンカチで吐瀉物のついた喉元を拭われていく。


「分かったか? おれも鬼じゃない。アリスの居場所を吐けば、お前の命だけでなく、仲間の命も保証してやろう」

「目の前で神父を殺された。それで充分なんだよ」


 言って、ハナコはネロを睨みつけた。


「分からんな、なにが言いたい?」

「あんたをだよ」

「……あれは、失敗だったようだな」

「あれですませるんじゃねえ!」


 ネロの言葉に激高し殴りかかろうとしたが、それも叶わず、椅子がすこし前後に揺れただけだった。


「少佐、大丈夫ですか?」


 ハナコの怒声に反応し、トンプソンが小屋に入ってきた。


「ああ」


 しまおうとしたハンカチの汚れに気がついたネロは、それをトンプソンに渡し、踵を返して扉へと向かった。


「どうも雲行きがあやしくなってきたようだ。メンゲレに連絡をとってくる。ここは任せたぞ」

「ハッ!」


 背筋をのばして応えるトンプソン。


 ネロが小屋を去り、トンプソンがハナコに不気味な笑みを向けた。


「メンゲレだって……?」


 ネロが残した名前を、トンプソンに投げかけるハナコ。


「どういうことだ? なんであんたらがメンゲレを知ってる?」

「驚いたな、お前のほうこそ、なぜ奴を知っている?」


 トンプソンは目を丸くし、


「まあ、だがお前には関係のない話だ」


 ――《446部隊》と《ピクシー》の開発者のシロー・メンゲレがつながっているのか? 


 ――だがそれならば、なぜこの二組はツラブセで明らかに敵対していたんだ?


 考えるハナコの顎をつかみ、無理矢理に顔を上げさせるトンプソン。


「なんだか分からねえが、バカが考えても時間の無駄だ」


 ハナコの顔に臭い息を吐きかけ、頭突きをかますトンプソン。


 目の前に星が舞い、意識が遠のきかけたが、


「まだだ」


 頭を揺さぶられ、すぐに意識が戻ってくる。


「答えろ!」


 気色ばんだ顔でトンプソンに訊くハナコ。


「おれは、拷問を考えるのが趣味でな」


 ハナコの詰問を無視してトンプソンが言う。


「ここにある道具でお前を痛めつけてもいいんだが、それじゃあ、あまりにもオリジナリティーがなさすぎる」


 水筒を取りだし、それをハナコの眼前で振ったトンプソンは、つぎにもう片方の手で、ネロから手渡された、泥と唾と吐瀉物にまみれたハンカチをつまみ、


「例えば、これとこれを使ってでも拷問はできる」


 と言いながら水筒を開け、水でハンカチを濡らしていく。充分にハンカチが濡れたのを確認したトンプソンは、水筒を閉じて床に置き、軍服の内ポケットから、ハナコがガンズからもらった銀の懐中時計を取りだして開き、そのまま三つ編みをつかんだかと思うと、それを引き下げてハナコの顔を無理矢理に天井へと向けた。


「まずは、三分だな」

「なにを――」


 言いかけたハナコの顔に、濡れたハンカチが被せられた。


 その真意に気がついたときには、すでに鼻と口が塞がり、息ができなくなっていた。


 苦しい……

 息が……


 自由の利かない体を震わせながら悶えるハナコの耳に、トンプソンの下卑た高笑いが響く。


 地獄のような苦しみのなか、三分が経ってようやくハンカチがどかされ、鼻水とヨダレを垂らしながらハナコは肺いっぱいに息を吸いこんだ。


「さて、答えろ」

「ふ……ふざけろよ」


 トンプソンはため息をつき、そして再びハンカチが被せられた。


 その拷問を八回くりかえし、涙と鼻水とヨダレを垂れ流すだけ垂れ流したが、それでもハナコは屈しなかった。


「まったく、大した女だよ」


 諦めたようにハンカチを放り投げたトンプソンは、


「そういえば落とし物をしていたぞ」


 と、手を背に回してベルトから何かを抜き取り、それをハナコの鼻先に突きつけた。


 それは――あのスタンガンだった。


「ほら、返してやる」


 トンプソンはスタンガンをハナコの腹部に押し当て、おもむろにスイッチを入れた。全身を内側から針で掻きむしられるような激痛が走り、意に反してのけ反っていく。


 だが、なぜか意識はまだ保てていた。


「コイツは、なかなかいい代物のようだな。強さを五段階に調節できる。ちなみにいまのは1だ。どうだ、効いたか?」


 荒く呼吸をしながら、ほくそ笑むトンプソンを睨みつけたが、すっかり力が抜けてしまっていては、その強がりもまるで意味がない。


「2だ」


 ふたたびハナコにスタンガンを押し当てるトンプソン。


 ハナコは直前の激痛を思い出し、思わず目をつぶってしまった。


 しかし、予測した出来事は、起こらない。


「少しは女らしくなってきたな」


 閉じたまぶたに、トンプソンの侮辱的な笑い声が吹きかかる。

 思わずみせてしまった自分の弱さにほぞを噛み、


「なにをやっても無駄だ」


 目を見開いて言うハナコの全身を、すぐさま2の激痛が駆け巡る。


「無駄かどうかはこっちが決める」


 言って、3,4,と続けざまに激痛が増してゆく……


「アリスはどこだ? 答えろ」


 スタンガンを放して凄むトンプソンに、熨斗のしをつけてありったけの罵詈雑言を返そうとしたが、身体に残るしびれが口を開くことを許してくれない。


「やはり、使い慣れていないものはダメだな」


 ハナコがまともにしゃべれなくなったのに気がついたトンプソンは、鼻から息を漏らしてスタンガンをしまい、今度はベルトの前部に差し込んだ革製の鞘からナイフを抜き取った。


 鈍色に光るその切っ先は、前方に向かってくの字に曲がる、異様な形をしていた。


 そのナイフが、ハナコのシャツを下着ごと縦一文字に切り裂いた。


 シャツがはだけ、小ぶりの胸が露わになったが、しびれの残る頭でも、恥を感じている場合ではないことくらいさすがに分かる。


「言い忘れていたが、おれは男よりも女を痛めつける方が好きでな」


 その言葉は、内容に反してとても淡々としたものに聞こえた。


「なぜか分かるか? 答えろ」

「じ…じどぅかよ、ぐぐぞっだ……れれ」


 舌が痺れて、ろれつが回らない。


「女のほうがが増えるからだ。それに――」むき出しになったハナコの白い腹を真横に浅く切りつけるトンプソン。「――女のほうが良い声で泣き叫ぶ」


 浅く切りつけられた箇所から、じんわりと血が滲むのを感じる。


「さげば…ねね…ぞ」

「強気な女は嫌いじゃないぞ」


 言って、トンプソンは、切りつけた箇所へ交差させるようにして、さらに垂直に浅く切りつけてきた。


「おれはな、拷問はだと思っている。そこでだ、お前がおれから究極の苦痛と恐怖を与えてもらうために、最も必要なものがあるんだが、何かわかるか? 答えろ」

「……」

「答えは、だよ」

「……」

「これからそのかわいい乳首を二つとも切り取って、お前自身に食わせてやる」


 笑みを浮かべるトンプソン。


「その光景を想像しろ」


 その言葉に耳を疑い、それでも強気な表情を崩さないハナコ。


 トンプソンは薄ら笑いを浮かべたまま、ハナコの右の乳房を左手ですくうようにしてつかみ、慣れた手つきでナイフを桜色の突起物の上に押し当てた。


 ヒヤリと、背筋を冷たいものが駆け上ってゆく。


「最後のチャンスだ。アリスはどこにいる? 答えろ」


 ハナコは無言のまま笑んで、おどけるように舌を突き出した。


 トンプソンはなかば呆れたような表情で鼻から息を漏らし、ナイフを掴む手にゆっくりと力を込めていく……


「大尉、隊長がお呼びです」


 そのとき突然やってきた軍服が、ハナコの胸にちらりと視線を走らせながらトンプソンに近づき、伝言をつたえた。


「分かった、すぐ行く」


 軍服をさがらせたトンプソンは、ハナコに向き直り、


「お前にいいことをひとつ教えておいてやろう。神父とはちがって、お前に対しての拷問は、もあるんだよ」


 と言って、ナイフを鞘にしまった。


「少しはずすが、時間を持てあますのも可哀想だから、いくつかの選択肢をやろう」

「な……に……?」

「あそこに、紙ヤスリとペンチがあるだろう。、それを考えておけ。帰ってきてから、答えを聞いてやる。おれのオススメは、ねじり潰されるだがな。お前、ハンバーグは好きか?」

「……」

「まあ、考えておくんだな」


 言うと、トンプソンは懐中時計を床に置き、踵を返して小屋をあとにした。


 この拷問があと二十四時間も続くのかと、秒針の振れる音を聴きながら未だうまく回らない頭で考えてみたが、それに対する答えはやはり「くそったれ」だった。


 ハナコは改めておのれの無思慮を自嘲し、


「ぐぞっ……だ……で」


 と独りごち、


 そのまま気を失った……

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