中編

 吸血鬼は太陽の光に弱い。

 それは有名な話だが、実際のところは命を失うほど日光に弱い訳ではない。

 力の弱い吸血生物ならば生活に支障の出るような弱体化もあり得るが、薄明女学院に通っているような高位の吸血鬼ならば日光に対して人並み程度の耐性を生まれながらに持っている。

 元々、吸血鬼は人間よりも遥かに高い能力を持つ生物。

 それ故、基本的に日光の弱体化は魔法が使えなくなるくらいの効果に留まっているのである。

 もちろん、ニンニクや流水も弱点としては食べ物の好き嫌いや泳ぎの得手不得手に左右されるものであり、影隠しの魔法を行使していなければ写真にもきちんと写る。

 十字架は迷信、杭で心臓を貫かれたり、首を刎ねられたりすれば普通はどんな生物も死ぬ。

 つまり、吸血鬼は正真正銘、この世で最も進化した種族なのであった。


          十 十 十


 四限目の授業が終わり、昼休みの始まりを告げるチャイムが学院中に鳴り響く。


「日向、板書は済んだかな?」

「はい! 今日の授業もバッチリ纏められました!」


 日向は隣に座る色乃に自分の書いたノートを見せる。

 薄明女学院では普通科と侍女科の生徒は同じクラスに振り分けられ、隣同士で従業を受ける体制になっている。

 普通科の生徒は飾緒が目立つ赤いブレザー型の制服の上に黒のケープを羽織り、侍女科の生徒はクラシックなエプロンドレス型の制服を着用しているため、普通科と侍女科の生徒は見分け易い。

 一クラス四十人の教室では主従が机を突き合わせてニ十組の主従が共に生活していた。


「うん。やっぱり日向の板書は綺麗だね。分かり易くて助かるよ」

「授業中ずっと居眠りしていたくせに悪びれる素振りもないのかコイツは……」


 日向たちの真後ろの席には千景と祥子が座っていた。


「うとうとしてしまうのは生理現象だよ。それに授業中の私はいつも目を開けたまま眠っているから叱られたことはない」

「けっ、それで定期試験は毎回学年一位なんだからムカつくな」

「でも、千景様だって学年二位になるくらい頭が良いですよね?」

「なんだァ? 素行の悪さの割に、って言いたいのか? 侍女科二位の日向サンよ」

「別にそういう意味ではないですよ!? 私は単に千景様を尊敬しているだけですから!」

「千景ちゃん、そんな風に威嚇ばっかりしていたら友達失くすよ~? あっ、もうぼっちだったか! ごめんごめん!」

「お前、今日晩メシ抜きな」

「ええええええええっ! 私が何をしたって言うのおおおおおおっ!」

「まあ、早弁して授業中ずっと弁当臭いウチの駄メイドよりはマシだけどな。大抵の普通科生徒は板書を従者任せにして、授業をちっとも聞いていないなんてよくあることだし、居眠りどころかスマホでゲームしている奴もいる。授業を聞いていない従者はウチの駄メイドだけだが」

「えへへ~。毎度試験前は千景ちゃんが私の勉強を見てくれるから助かってるよ~」

「ふう。それじゃあメシに行くか。今日は祥子にうどんをおごってやらなければならないし、学食で食おうぜ」


「月ノ宮色乃はいるかしら!」


 四人が席を立とうとした時、教室に一組の主従が訪ねてくる。

 一人は金髪のいかにもお嬢様と言うべきオーラを纏った普通科の生徒。

 その従者は短めな黒髪の生徒で、特注の燕尾服型制服を着ていた。


「あのお方は一組の花里有真はなさとあるまさんではありませんか。学年でも指折りの有名人がどうして私たちの教室に?」

「月ノ宮さんを呼んでおられましたわ。確か、花里さん、月ノ宮さん、都さんは幼馴染だという噂を聞いたことがございます」

「はあ……黒鉄凪くろがねなぎ様もご一緒ですのね。相変わらず凛々しいお姿……」

「まさに姫と騎士、同い年ながらもあのお二人の気品には憧れてしまいますわ」


 その二人を見た色乃のクラスメイトたちは騒然とする。


「呼んだかな? 私はここにいるよ」


 色乃と日向が二人の前に現れる。


「色乃! 今日こそ長きに渡る私たちの因縁に決着をつけましょう!」

「有真様!? どうして教室にいらっしゃったのですか!?」


 金髪の生徒は驚いた様子の日向に近づき、彼女の手を取る。


「日向さん、会えて嬉しいわ。今日はあなたにも関係のある話をしに来たの」


 金髪の生徒が日向の瞳を覗き込むように顔を寄せる。

 二人の距離は唇が触れ合いそうなほど近く、その間で吐息が重なり合う。


「私の従者に気安く触れないでくれるかな?」


 色乃が日向を背後から抱きかかえて引きはがす。

 両者の間に割って入った色乃の表情や声色は周囲の生徒たちが身震いするくらいの凄味があった。


「あら? 色乃、妬いているの? 可愛いわね」

「要件を聞かせてもらうよ。悪いけど、私たちは友人とお昼を共に食べる約束をしているからね」

「冷たいわね。私だって昔はあなたのお友達だったじゃない」

「幼い頃の話だね。でも、君の家と私の家は本来対立している間柄。君もなれ合いに来た訳ではないよね?」

「ええ。花里一族と月ノ宮一族は古来よりずっと争いを続けているわ。その因縁は私たちも変わらない。だから、今回はあなたと決着の場を設けようと思って来たのよ」


 金髪の生徒がそう言って首から下げていたペンダントを色乃に向かって掲げる。

 ペンダントの先には赤い宝石が繋がれていた。


「私の名は花里有真! この身に流れる純血の意思に誓って、ここに月ノ宮色乃との決闘を申し込むわ! 時は三日後の深夜! 場所は学院の中庭! そこに私主催で夜会を開き、大勢の観衆が見ている中であなたは無様に首を垂れることになるでしょう!」

鮮血晶ブラッドジュエルの盟約か……わかったよ。その決闘、受けて立とう」


 有真の申し立てに色乃は一瞬迷うも承諾をする。


「決闘を受けるからにはこちらの条件を飲んでもらうわよ。それでもよろしいかしら?」

「条件? ルールはそちらの自由だけど、一体君は私の何を欲しがっているのかな?」

「それはもちろん、あなたが大切にしている愛らしいアルビノの従者、明日風日向さんよ」

「わ、私ですか!?」

「待ちやがれ! 決闘はお前らの勝手だが、日向を巻き込むってどういうことだ!」


 痺れを切らした千景が有真に掴みかかろうとする。


「不敬ですよ、都嬢。暴力による訴えでしたら、まずはこの私、黒鉄凪がお相手をいたします」


 有真の従者が千景の前に立ち塞がる。


「凪! お前はそれでいいのか!? 有真が決闘の景品に日向を所望したということは、逆に負ければお前を手放すと有真は言っているんだぞ!」


「主の決定は絶対です。主が死ねとおっしゃったなら私は喜んで自らの首を断ちましょう。敬愛する主に命を賭す、それは従者として生きる私の本望ですから」

「忠義ねえ……ソイツは大層素晴らしいが、アタシは気に食わないな!」

「そこまでにしておきなさい千景。それ以上の諍いは自分の立場を貶めることになるわよ」


 有真に止められて千景と凪は膠着状態となる。


「高貴なる種族の私たちが怒りに任せて暴力を振るうなんてことがあってはならないわ。高貴なる種族としての尊厳に傷がつくわよ?」

「けっ、別にアタシはそんな尊厳気にしないけどな」

「千景らしいわね。さて、決闘の内容を先に教えておくわ。あなたたちは五分以内に私の凪を屈服させてみなさい」

「屈服……って、どうやるんですか!?」

「それはあなたたちが考えなさい。方法はなんでもいいわ。暴力で無理矢理ねじ伏せるのも有り、言葉で情に訴えかけるのも有り、賄賂や弱みで心を握るのも有り。ただし、凪と直接対峙出来るのは従者だけ。主人が手出しをすることは禁じる」

「お嬢様……どうされますか?」


 日向が不安げな表情で色乃に尋ねる。


「君はどうしたい?」

「ええっ!? 私が決めるのですか!?」

「この決闘において賭けの対象にされている君に最終決定権があるのは当然だよ。向こうの従者は承諾しているみたいだし、後は君の一存で決まる」

「…………わかりました。私はその決闘をお受けいたします。この身は敬愛する月ノ宮色乃お嬢様のため、全てを捧げて奉仕いたしましょう」

「これで両者の意思が揃ったわね。行くわよ凪、もうこの教室に用はないわ」

「承知しました」


 周囲の野次馬に注目されながら嵐のような主従は色乃たちの前から去っていった。


          十 十 十


「日向、後悔はしていない?」


 その日の夜、夕食を終えた色乃と日向は学生寮の大浴場で一日の疲れを水に流していた。


「後悔なんてしていません。凪さんの言う通り、従者の本望は主のために自らを犠牲としてでも尽くすことですから」


 日向は膝立ちして泡立ったスポンジで風呂椅子に腰かける色乃の背中を磨いていた。

 色乃の健康的なベージュの肌と比較して、日向の肌は幻想的なほどに白い。


「……と、言いたいですけど、実は少し怖いです。凪さんのような人が本当に降参するなんてあり得るのでしょうか?」

「彼女が有真に仕えたのはこの学院に入学してからとはいえ、その忠誠心の深さは学院内でもトップクラス。簡単にはいかないだろうね」

「だとすれば情に訴えたり、賄賂で買収したりするような手段は使えませんね。かと言って、完璧超人のような凪さんに弱点があるとは思えません」

「消去法的に力で解決する方法が最も手っ取り早いね」

「それこそ無茶ですよ! お嬢様も一番現実的じゃないと分かっていますよね!?」

「そうだね。本来の凪は侍女ではなく執事だ。この学院に来る以前から、執事として訓練を積んでいた彼女は屈強な男を一撃で沈めてしまうような戦闘能力を有していたと聞いているよ。ましてや、ただでさえ君の体力は学年でも最下位クラス。とても相手になるとは思えない」

「うっ……事実なのですが言葉にされてしまうと落ち込みますね」

「気に病むことはないさ。君の身体は運動量や栄養が不足しているのではなく、生まれつき背負ってしまったものなのだから」

「……お嬢様はこんな私を従者に選んで、今も後悔はされていませんか?」

「していないよ」


 色乃は即答した。

 日向の心臓は不意に高鳴る。


「ご、ごめんなさい! 私、疑っていたとかそういう訳じゃなくて……! い、急いでお背中を流させていただきますね!」


日向は動揺を隠そうと慌ててシャワーからお湯を出して、色乃の身体にまとわりついていたボディーソープを洗い流そうとする。

 しかし、突然身体を後ろに向けた色乃が日向を抱きかかえ、自分の膝の上に座らせる。


「お、お嬢様!? 何をされるのですか!?」


 日向の手から滑り落ちたシャワーヘッドが床に落ちてぬるま湯を吐き出し続ける。


「日向の身体は綺麗だね」


 色乃が日向を膝の上に乗せたまま姿見に向き直り、日向の肌に両手の五指を這わせる。


「あっ……ひゃうっ!? こ、こそばゆいですお嬢様……」

「お返しに君の身体を洗ってあげよう」


 ボディーソープでぬるぬるになった色乃の手が日向の身体を隅々まで撫でまわし、落ちていたシャワーヘッドを拾い上げる。

 お湯が密着した二人の身体から泡を洗い落としていく。

 色乃は日向が流れた泡で滑ってしまわないように彼女の胸部を自身の左腕で抑え込み、日向のへその辺りに残っていた泡を濡れた右手で拭き取った。

 泡が拭き取られた日向のへその周囲には二枚の蝙蝠羽が広がったような赤い痣が浮かんでいた。


竜血紋ドラクルスペル――日向が私の従者である証」


 竜血紋は吸血鬼がただ一人気に入った人間に刻むことの出来る絶対隷属の印。

 人間の眷属を多く持つ吸血鬼は男女どちらでも珍しくはないが、竜血紋は最高位の契約。それを施されること自体が最大の信頼の証と言える。


「色乃お嬢様……この身は全てあなたのものです。例え、この身が朽ち果てようとも、魂はいつまでもあなたと共にあります」

「日向……」


 姿見に映る色乃の瞳が赤く輝き始める。

 それは日向のようなメラニン量の異常によるものとは違い、昂った魔力が可視化される現象として表れたものだった。

 色乃の目は水滴を弾く瑞々しい日向の肌に釘付けになっていた。


「……ごめんね日向、我慢出来ないよ」


 色乃が日向の首筋に歯を突き立てて溢れ出た血を吸う。


「痛っ……お嬢様!? いけません! こんなところで吸血なんて……はううっ!」

「はあ……日向、可愛いよ。小さくて、うさぎさんみたいで、力を籠めたら簡単に壊れちゃいそう」

「あっ……うっ……ひゃうう……」


雪の如く白い日向の頬が赤みを帯びてくる。

同時にへその竜血紋が脈動するように淡い光を放ち始めた。


「脈が速いね。体温も上がっている。お風呂でのぼせたのかな? それとも、恥ずかしがっているのかな?」

「りょ、両方です。だって、女同士とはいえ、こんな風にされたらっ……」


 日向の口はだらしなく開き、両目はトロンとしている。


「反則だよ日向……そんな顔をされたらもう私、完全に抑えられなくなって――」


「そういうことは部屋でやれええええええっ!」


 千景の拳骨が色乃の側頭部にクリーンヒットして、色乃は日向の肌から口を離す。

 顔に青筋を浮かべて仁王立ちする千景の隣にはニヤニヤとした笑顔の祥子もいた。

 現れた千景たちも一糸纏わぬ姿であり、露出した祥子の胸元には日向のものと紋様の異なる竜血紋が刻まれていた。


「千景様と祥子ちゃん!?」

「夜中に二人で風呂にもう一度入ろうかと思っていたらコレかよ! 脱衣所まで声が聞こえてるんだよ! 湿気で音が通りやすくなってるんだから気を付けろ!」

「私はもう少し続けてもらって欲しかったんだけどな~。千景ちゃんが急に飛び出すから」

「当たり前だろ! あのままだと倫理的に危なかったんだぞ! アタシは色乃が男じゃなかくて良かったと思ってるよ! いや、別の意味で良くないけど!」

「……何を言っているの? 私がしていたのは生命活動に必要な吸血行為だよ?」


 色乃は日向を抱きかかえながら真顔で千景にそう言った。


「この状況を見て誰がそんな言葉信じるんだよ……」

「千景ちゃんも鼻息荒くして聞き耳を立てていたけどね」

「ど、どの辺りから聞いていたんですか?」

「日向ちゃんが色乃ちゃんから後悔していないか聞かれた辺りから?」

「は、はわわ……それって、ほぼ全部じゃないですか……ぷしゅう……」

 日向は耳まで真っ赤にして放心状態になってしまった。

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