第12話 「アバン」

 帰り道、僕たちは人気のない道を、とぼとぼと歩いていた。夜になれば痴漢とか誘拐とか起こってもおかしくないような暗い道で、ぽつぽつと言葉を交わしていた。


「楽しかったね、一樹くん」


「うん、楽しかったねえ。すごく」


「また、いつか、行きたいなあ」


 普段より高い声色で、古賀さんは言った。だけれど彼女は、何故か俯きがちだった。


 店を出るまでは笑っていたのだ。しかし、段々と会話も少なくなりお開きの雰囲気になって、しかし僕も古賀さんもそろそろお開きにしようの一言が言えず、とはいえずっと居心地悪そうにそわそわして、たまに目が合っては曖昧に笑う、それを繰り返している訳にもいかなかったので意を決して「そろそろ帰ろうか」と言った時から、彼女の表情が曇ってしまった。


 しくじったか、と思ったのは何度目だろうか。しかし僕まで暗くなってしまっては互いにどんどんずぶずぶと底なし沼に沈んで行ってしまうだけなので、彼女の気を逆なでしない程度に明るく喋っていたのだが、それももう限界に近かった。


「……ごめんね、一樹くん」


「な、なにが?」


「なんか、暗くなっちゃって」


「……それは良いけど、僕、なんかやらかしちゃった?」


「違うよ。違うから、謝ってるの」


 そう言って首を振る彼女は、今にも泣き出してしまいそうに見えた。そう見えただけで、本当のことは分からない。もしそうだとして、どうしてこのタイミングで泣くのか、僕にはそれも分からない。


「どうしたの? 何か……あった?」だから僕の言葉も随分とふわふわしたものになってしまう。


「楽しかったの」


「……うん」


「本当に、楽しくて」


「うん」


「それが終わっちゃうの、寂しくて。……寂しいっていうのは、つまりそれだけ楽しかったからなんだけど、でもやっぱり寂しくて。なんか切なくて、辛くなっちゃって。……ごめんね、わたし、変な女だよね」


「……変、じゃないよ」


 そうは言ったものの、僕の心はそうは感じていなかった。

 僕だって寂しい。切ない。辛い。でもそこまでじゃない。楽しかったなあーまた行きたいなあ、それくらい。彼女の様子は少々過剰なように思える。文化祭最終日とか、修学旅行のバスの中とか、そういう時に見せる感情だろう。


「ふふ、ありがとう」と、彼女は小さく笑ったが、それが言葉通りの意味でないことは分かった。返答を期待しない言葉に、想定通りの返答が帰って来たことに対する、「ありがとう」である。本当は複雑な、時計の中身で絡み合うパーツのように、ごちゃごちゃした細かい感情がそこにはあるはずだった。


「一樹くんはさ」


「うん」


 唐突に、古賀さんが訊ねた。


「理由はなくただ漠然と死にたいって言ってたけど本当にそうなの? 何か、理由とかあるんじゃないの?」


 ……。

 僕はポケットの中の清涼タブレットの容器の角を指でなぞりながら、「わからない」と首を振った。


「なにかきっかけはあったかもしれない。……でも、大した理由はやっぱりないよ。辛いとか、苦しいとか、何が原因とか、そういうのはないと思う」


 ふうん、と古賀さんは口をへの字にして相槌を打った。


「現代的だね。現代の子供って感じ」


 同い年が何を言う、と僕は苦笑した。


 ……僕はふと――何が気になってとか、詮索とか、そういう意味は全くなく――ただ、ふと、訊ねてみた。


「古賀さんは、死にたいって思うことはないの?」


「……わたし?」


「うん。……普通の人って、死にたいって考えることはそうそうないんでしょ?」


「……わたしが普通かどうかは分からないけど」


「うん」


「あるよ。いっぱい」


「……そっか」


 そして、何故そんなことを聞いてしまったんだろう、と後悔した。

 だって僕は、「死にたい」と言われても「そっか」しか返せる言葉を持っていなかったから。そして普通の女の子であっても普通の女の子じゃない扱いを受けている彼女が「死にたい」と答える可能性は十分にあったから。

 自分の考えの浅さが、いやになる。これも、何度目だろうか。


「そんな時、一樹くんはどうしてるの?」


「死にたいと思った時?」


「うん」


「……耐える」


「我慢するってこと?」


「そう。そして寝る」


「……すごいなあ」


 皮肉じゃなく、本当に感心したようだった。


「一樹くん、心が強いんだね。わたしだったら物にあたっちゃうかも」


「その方が健康的だと思うけどね」


「でも我慢する方が平和だよ」


「我慢して溜めこんで、どんどん蓄積して……それが今の僕なんだよ、多分」


「……そっか」


「うん」


 それから僕たちが言葉を交わすことはなかった。

 大分歩いて、大通りに出るというところで、「ここからは一人でいい?」と古賀さんが言った。許可を得ようとした訳でも、お願いの言葉でもなかった。うんと頷く前に、彼女は小走りで、僕の隣から離れて行ってしまう。


「じゃあね、一樹くん」


 明るい通りに歩いていく古賀さんのリュックに、僕は手を振った。


「じゃあね」


 古賀さんは振り返って、小さく手を振り返した。

 大通りは車が盛んに行ったり来たりしていて、そのやかましさを伴った眩しさを背にした古賀さんの表情は、窺うことができなかった。

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