第19話 「居場所クラフト」

「こんなこと言っておいていまさら何を、って思うかもしれないけど、そういう事情は気にしなくていいの。ちょっと、誘ってみただけだから。本気でこの部活を守りたい訳でもないのよ。大した思い入れがある訳でもないし、無くなって困る人だってほとんどいないから」


「それなのに、どうして部活を存続させようとするんですか?」


 ぐるりと、部室銃に首を巡らせながら、古賀さんが訊ねた。なんとなく、僕も同じように首を動かしてみた。


 視界に入ったものはやはり最初に見た時と変わらない。机と椅子とホワイトボードと、本。だけれど最初と違って、この本たちがやけに目に付いた。

 しかしそれも当たり前、この僕たちを挟みこむようにしてそびえる本棚を除けば、残るものはあまりにも無個性なものたちなのだから。この大量の本たちが、文芸部室を文芸部室たらしめているのである。


 背景となっていた本の背表紙の羅列、その一冊一冊に注目してみる。ハードカバー。見たことのあるタイトルに、見覚えのある著者名が記されている。新書。面白みのない背表紙だけで、内容は小難しいものなんだろうなと理解できるから不思議である。一転、その隣にカラフルなライトノベルが数冊。まるで新書に喧嘩を売るように、ゴテゴテした色彩と目を疑う程長いタイトルが連なっている。


 かつてこの部活に籍を置いていた人たちが残していったものなのだろう。しかしそれらは、整理というよりは本棚の空いたスペースに押し込んだように、あまりにも雑多に並んでいる。ジャンルも、文庫も、背の高さも。

 きっと、これらの本を手に取る者も、気に掛ける者もいないのだろう。


 しかしこれらは、そういうものなのだ。

 卒業記念に机に名前を彫るような、そういう感覚。この学校を卒業する際に、文芸部を引退する時に、その思い出と一緒に、新生活に不必要な本を置いていくのだ。


 ……廃部になれば、これらの蔵書は図書室に寄贈されることになるのだろう。

 もし本に意思があるのなら、どちらを望むのだろう。


 曲がりなりにも愛され唯一のものと扱われ、しかし本としての役割をほとんど果たせずに風化していくのか。


 本としての役割を全うし、他の本と同じく無作為に扱われ朽ちていくのか。


「……どうせこの調子じゃ、近い将来廃部になるんだろうけど」


 黒川さんの言葉に、僕は視線を正面に戻した。


「なにもせずそれを受け入れるのは、違うと思わない? 何かできることがあるのなら、やってみようと思ったのよ」


「分かります」知らず、僕は声を出していた。にっこりと、黒川さんがほほ笑んだ。


「二つ目の理由っていうのは、なんでしょうか?」


 申し訳なさそうに、話を先に進める催促をする古賀さん。言われて、僕ははっとした。黒川さんが、文芸部に誘った理由は二つある、と言っていたことをすっかり失念していた。


 文芸部に入部するのはまんざらでもないと考えていたけれど、それ次第によっては考え直さなければならない。例えば……全国高校生即興川柳大会なるものがあって、この文芸部もエントリーしてしまったから、人数合わせのために僕も参加しなければならない……とか。


「うん、でも、これは違うのよ。私の事情じゃなくて、二人に向けた提案」


 しかし、身構えた僕を安心させるように、やわらかい口調で古賀さんが言った。僕たちに向けた提案? 


「この部室、人がいないでしょ。内緒の話をするのに向いてると思ったのよ。……屋上で話してると、いつか、誰かにばれちゃうかもしれないでしょ? ……私とかに」


「……なるほど、そういうことですか」


 僕は口の乾きを感じて、すっかり湯気の立たなくなったコーヒーに口を付けた。しかし直ぐにそれが失敗だったことを悟る。コーヒーは喉を潤す者じゃない。口の渇きを潤す為に飲むと、その苦味やえぐみが下に張り付いてしまうのだ。冷えたコーヒーだから、なおさらそれを感じる。


「別に、取引とか、交換条件とか、そういうことじゃないのよ?」慌てたように、黒川さん。「ただ……どっちも救われるのなら、それがベストでしょう?」


 僕は黙って頷いた。その言葉は、誰がどう考えても正論だ。そして黒川さんのこの提案はベストである。僕も、黒川さんも、ほとんど今のままの形で望みを叶えられる。

 だけれど、僕だけが賛同しても意味がない。


「古賀さんは?」


 古賀さんはどうしたい、と尋ねようと彼女の方に視線を向け――「え?」と、そのまま固まってしまった。


「……できることなら、わたしも入りたいです」


 古賀さんは、難しい表情で紅茶の水面を見下ろしていた。いや、睨んでいた。そこに映った自分の顔を、これでもかと眉に、額に皺を寄せて、睨みつけていた。その表情は、怒っている様にも、涙を堪えようとしているようにも見える。


「でも、わたしは入れないんです」


 一体どうしてそんな表情をするのか――「こ、古賀ちゃん? どうしたの?」とその様子に気が付いた黒川さんも声を掛ける。が、彼女はじっと、紅茶を睨みつけるだけだった。


「……もしかして、古賀さん。自分が文芸部に入ることが迷惑になるって考えてる?」


「……えっ、どういうこと?」


 僕の言葉に古賀さんは何も言わなかったが――その目が僅に僕の方に向いたことで、正解を確信する。


 だけれど……黒川さんにどう説明したものか。話していいものなのか、これは。


「古賀さんには……変な噂があるんです。誹謗中傷的な……やつが」


 曖昧な言葉だったけれど、黒川さんはおおよその事情を察したようだった。黒川さんはどうしたらいいか困った様な顔になって、心配したように古賀さんを見つめ、やがてふっと小さな笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった。


「そんなこと、気にしなくていいのに」


 古賀さんの後ろに立った黒川さんは、彼女の肩を通して胸元に手を通し、そのまま自分の身体を密着させる。つまりハグなのだけれど、そこに込められた意味も、思いも、そんなラフな言葉ではなくて――抱擁、と言うべきだろうか。


「そんなこと、気にしなくていいのに」


 黒川さんはもう一度、同じ言葉を続けた。そして左手を古賀さんの頭に持ってきて、よしよし、まるで子供をあやすように、丁寧に滑らせる、何度も。


「古賀ちゃんにどんな事情が有ろうと、それで私が困ることなんてないのに。どうせ部員もいないんだし、入ってくれるなら、それだけで嬉しいのよ」


 もちろん入れって言ってる訳じゃないけどね。冗談っぽく、付け足した。


「……そうじゃないんです」と、古賀さんはそこでようやく口を開いた。「そういうことじゃなくて……」


「うん」


「わたしが入ったら迷惑かけちゃうかもって思ったら……なんか、嫌になっちゃって。自分のことがっていうか……そんな……言われてることが…………」


「……うん」


 黒川さんも、すぐは言葉を返せなかった。

 だから、僕が言葉を、紡いだ。


「じゃあ、ここに居場所をつくろう。本当の自分を出せる環境を、ここにつくろう。……黒川さんには悪いけど、文芸部で好き放題やって、楽しく過ごそう。ここに根を張って、住みやすい場所につくり替えよう。……そうすれば……多分、楽しくなっていくよ……いつかそんなこと、忘れられると思う……」


 勢いだけの言葉だったから、無茶苦茶な言葉だと分かっていたから、段々とその言葉から勢いが消えていくのは当然のことだった。


 どうしてこんな時に格好つけられないんだと、僕は苛立たしげに頭を掻いた。彼女がどんな言葉を求めているのかはもちろん、一般的な慰めの言葉も分からない。他の高校生と比べて、僕には青春経験値がほとんどないのだから。


 伝えたい思いはあるのに、それを言葉に変えられない。言葉にして古賀さんに伝えることができないのだった。古賀さんは悪くない。そんなの気にしてちゃ駄目だ。楽しい生活を送れるはず。周りに迷惑もかけていい。だけれど、言葉にするとなんとも安っぽく浅薄になってしまうのだった。


「一樹くん……」


 果たして、古賀さんはおもむろに顔を上げた。僕はその頃には、勢いだけていい加減なことを言ったことに対して申し訳なくなってしまっていて、背中を丸めて俯いていた。


「な、なに……?」


 叱責されると思った。私の気持ちなんて知らないくせに、いい加減なことを言うな、無責任なこと言うなと怒鳴られると思った。その通りです、返す言葉もありません……。


「それは、だめだよ」


「……え?」


 ――しかし、古賀さんの言葉は、僕の想像していたものと全く違くて。そして怒りとは程遠い感情で、柔らかい声で、優しい態度で、小さく笑っていた。


「黒川さんを困らせるのは、だめ。やだ。それ以外は……うん、一樹くんの言うとおりに、してみようかな」


 そして椅子から立ち上がると、回れ右して、その開店の勢いのまま黒川さんに抱き付いた。


「ごめんなさい、黒川さん、わたし入部してもいいですか?」


「もちろん」と、黒川さんは両腕に力を込めた。


「一樹くん」


「は、はい」


「一樹くんも、一緒にわたしの居場所をつくってくれるんだよね?」


「もちろん……」


 古賀さんは黒川さんから顔を離して、ニコッと笑って見せた。


「改めて、よろしくね、一樹くん」

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