第2話 啞の少女のお買い物

 マッシュは製材所の宿舎に仮住まいをしている。というのも、もともと製材所の見習いになるはずだったからだ。

 しかし所長のトマスいわく、マッシュは「製材に向いていない」のだそうだ。鋸も鉋も危なっかしい。向いていないとわかっていて怪我をさせるわけにはいかない、と。

 ならば宿舎から追い出されるに違いない──マッシュはそう思ったが、どういうわけか未だ製材所で寝起きしている。そして働く先はハドスン・ブラウニーの経営するパン屋だった。

 製材所のトマスは、いずれ良い部屋が見つかったら出ていけばいいと鷹揚なことを言っている。マッシュにはそれがどうしてなのかわからない。たまに製材所の手伝いをすることもあるが、それが家賃に満たないことは明らかだった。

 パン屋にしても、大した働きをしているわけではない。材料を運んだり、計量をしたり、商品を並べたりする。生地を作ったり焼き加減を調節するような、技術を要する作業はもっぱらハドスンとその妻のアニーが行っていた。

 役に立っていない、とマッシュは思う。しかし、だからといってどうすればよいのかもわからない。知らぬ土地で、頼る者もいない。そしてそれは今に始まったことではなかった。マッシュはずっと何もわからないまま、流されて流されて、サースエストの街にたどりついたのだ。

 サースエストの気候は穏やかだ。今日も清々しく晴れている。マッシュは店番をしながら明るい往来を眺めていた。

 カランカランと、入り口の鐘が来客を告げた。

「い、いらっしゃいませ」

 どもりながらマッシュは言った。呟くような声だと自分でもわかっている。大きな声を出すのは苦手だった。

 入ってきたのは干し藁のような髪の女だった。それが若いのか年寄りなのか、マッシュはすぐに判断できなかった。それというのも顔が髪に隠れていて、肌を出さぬ服をまとい、体はひょろひょろと細かったからだ。

 その顔がこちらを向いて、やっとそれが若い──とても若い女性、おそらく少女と言って差し支えない年頃であることがわかった。

 少女はマッシュのいるカウンターへ近づいてくると、

「あ」

と言った。

 マッシュは自分が何かを聞き漏らしたかと思い、少し身を屈めたが、少女はやはり、あ、だか、お、だか、そんな短い声を発するのみだった。

 マッシュは動揺し、手の平に汗をかいた。こんな時どうすればいいのかわからなかった。

「お、ああ、すまん」

 奥から店主のハドスンが出てきて、マッシュの横に立った。マッシュは思わず身を引いた。

「今日はお使いかい、買い物かい」

 ハドスンの質問に、少女は口を結んだまま、首を横に振ったり縦に振ったりした。それから商品を指さしたり、指を立てたりして、終始口を利こうとはしなかった。

「はい、まいどあり」

 会計を済ませて、ハドスンがクッキーとマフィンの入った袋を手渡すと、少女は黙ったまま深々と頭を下げて、静かに店を出ていった。

「あ、あの、すみませ」

 すみませんでした、とマッシュは言いたかったが、途中で声が詰まってしまった。

「え? いや、お前は彼女に会ったの初めてだろう。すぐ呼んでくれてよかったんだぞ」

 ハドスンの言葉に、マッシュは恐縮した。店番もできないと思われたのではないかと身を縮めていたが、ハドスンは世間話でもするような調子だった。

「あの子は、ほら、高台の方に立派なお屋敷があるだろう。あそこの使用人だよ。たまに来るんだ」

「え」

 マッシュは思わず声を出して、それから慌てて口を押さえた。

「うん?」

 ハドスンが興味深そうに顔を見つめてきたので、マッシュは観念して言い訳した。

「あ、あの、でも、彼女は、その、言葉が」

 ハドスンは瞬きをして、不思議そうな顔をしてから、顎を撫でた。

「……そうかぁ、本土じゃそういうもんか」

「え?」

「あの子は口は利けないが人の話はわかるし、料理も掃除もしゃべれなくったってできるだろう。何もおかしなことじゃないと俺は思うんだが、……本土ではそうでもないんだな?」

 問いかけられてマッシュは当惑した。正解できる自信がなかった。

「あっ、いや、俺の思い違いかも、しれないので、その」

「いや、いや、俺は生まれも育ちもこっちだから、どうもピンと来なくてな。話に聞いても、正直よくわからんし、まあ、なんだ、噛み合わんこともあるだろうが、勘弁してくれ」

 言いながらハドスンに肩を叩かれて、マッシュはいっそう焦燥した。雇われた身でそんなことを言われるのはいたたまれなかった。

「……そんっ、そんなことは、あの、俺の方が、何もわからなくて、い、いつも」

 仕事もできなくて、と、マッシュが呻くと、ハドスンはマッシュの肩を叩いた手を浮かせたまま目を丸くし、幾拍かして苦笑した。

「その、仕事ができんというのが、そもそもよくわからん。お前は五体満足だし、真面目だし、何よりうちのパンがうまいのを知ってる」

「そ、それは」

「いや、俺がのんきなのはわかってるんだ。本土から来たやつはみんなそう言う。そうなんだろうと思うよ。でもそれで困ったことがないからな。どうしたって直らん」

 しようがない、と笑って、ハドスンはマッシュを見下ろした。

「お前ももっとのんきになればいいんじゃないか? 案外その方がうまくいくかもしれんぞ」

 な、と、ハドスンは再びマッシュの肩を叩いた。そして、いつでも呼んでくれと言って、また奥に戻っていった。

 マッシュは叩かれた肩を撫でながら、陽光のあふれる往来を見やった。

 ここはやはり知らない世界なのかもしれない。自分のいた所とは違う、別の世界なのかもしれない、と思った。


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