オリジナル小説を書くこと

神崎あきら

初心忘るべからず

 子供のころから根っからのオタクだった。本や漫画やゲームや映画が心底好きで、好きなものにハマるととにかくいつもそのことを考えて、時には自分で勝手な妄想をして楽しんだ。


 小学生の頃は絵を描くのもそこそこ好き、作文は先生に褒められるので多分文章を作るのも上手かったと思う。すでに捨ててしまった小学校の文集に書いた夢、それは小説家になること。


 物語を作るのが夢だった。自分にはそれができると思っていた。いつかしようと思っていた。いつでもできると思っていた。社会を知るために会社勤めをした。好きなものを買う、好きなことをする。そこそこ満たされていた。


 小学生の頃からなりたいと思い描いていた夢、誰しも忘れて会社勤めをしている人が大半ではないだろうか。自分もその一人だった。忘れてしまっても良い夢だけど、人生で心から感動した本がそれをさせない。その本を読み終えたときの鳥肌が立つような感動は今は薄れてしまったけれど、その強い印象はまだくすぶっている。自分もそんな物語を書いてみたい、その気持ちが捨てられずにいた。


 二次創作はたくさんした。漫画を描くパワーが無くなってからは小説を書いた。たくさん書いた。でも、ずっと二次創作だった。好きなキャラクターを動かす、それは楽しいことだった。


 小説家になる、つまり自分のオリジナルを書くこと。それができなかった。いや、しようとしていなかった。アイデアが浮かぶことがあったが、メモに書き留めるだけで何も書いたことはない。漠然と小説家になりたい、その気持ちだけはずっと亡霊のように心の中に漂っていた。


 なぜ書かないのか、考えてみた。それは物語がないから。スキルや構成力は今は問題ではない。好きな既存のキャラクターについてはいくらでも妄想を書けるけど、「自分が」言いたいこと、伝えたいことがない。今まで自分の中から湧き出すものが無かった。


 今は自分の中に物語はあるのか、何か伝えたいことがあるのか。少しだけある。それが生まれたことは自分の中で大きな変化だった。


 何か書きたい、そう考えてまた時間が経ってしまった。おそらく3年ほど。その間何もしていない。多分怖いんだと思う。それを物語にできるのか。最後まで書き切れるのか。評価してもらえるのか。やらないことで、夢を夢のままにしていた。


 何か書こう。途中やめになっても、飽きてもいいからやろう。最近になってそ思えるようになった。小学生から何年経った?ようやくスタートラインに立とうとしているところだ。


初心忘るべからず


 この言葉は何事も始めたときの謙虚で真剣な気持ちを忘れないよう諭す言葉だ。しかし今は、小学生の頃の夢を忘れない、そう解釈したい。できないかもしれない、諦めないといけない状況になるかもしれない。でも始めないと何も変わらない。これから始めようと思う。

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