20.サンド・リヨンへの呼び出し

「とりあえずあんたは、これから何処に居るのさ、イェ・ホウ?」


 イェ・ホウは彼の方に身体を向けながら、背中に受けた傷と火傷の治療を受けていた。時々染みるのか、顔をしかめつつも、Gの問いにはしっかりと耳を立てていた。


「とりあえず? そうだな。まあユエメイの家にでも行ってるさ。彼女の旦那が帰ってきてから店のことは話し合わなきゃ。……それにしてもひどいな」

「そうだね」


 彼はそう短く答え、それ以上の答えは避けた。


「で」


 イェ・ホウはしかめた顔のまま続けた。


「君は、帰ってくるんだろうな?」


 さて。どうしたものか、と彼は思った。帰る、と言われたところで、何処へ帰るというのだろうか。いや無論、この男が言うところは理解できる。だが、帰ることができる時は、任務が完了した時だ。

 いずれにせよ、この男の元へ帰る訳にはいかないだろう。

 それに。


「できれば、そうしたいね」


そうだな、とホウもうなづいた。全くだ。できれば、そうしたいところだ。自分が、反帝国組織MMの幹部である自分ではなく、この男が、自分の思っている者でなければ。



 一度部屋に戻りたい、という申し出は丁重に却下された。彼はそのまま第三層の管理局から直通のチューブに乗せられたのである。

 だがチューブは途中で一度停止した。どうしたことだろう、と彼が待っていると、開いた扉から、一人の見覚えのある人物が入ってきた。


「……君は」


 黒い長い髪を、ゆったりと後ろで三つ編みにして、あの六弦弾きは黙って彼の隣に腰を下ろした。


「君も呼ばれたのか?」


 Gはオリイに向かって訊ねる。すると黙って相手はうなづいた。


「一人って訳じゃないってことか……」

「珍しい、ことらしい」


 彼は弾かれたようにオリイの方を向く。何やらあの小楽団のメンバーの話では、本当に滅多に口をきくことはないようなことだったが……


「君はこれからどうなるのか、知っているのか?」


 オリイはくっきりした黒い目をゆっくりと彼の方に向けた。気付かなかったが、よく見ると、光彩の形がやや珍しい形をしている。

 彼はこれとよく似たものを何処かで見たことがあった。だがそれが何だったか、すぐには思い出せない。何だったろう。何かが記憶の中で引っかかっている。


「よくは、知らない」


 たどたどしい言葉だ、と彼は思う。星間共通語に慣れない者が、こういう話し方をする。


「君は、共通語を使わない惑星の出身なのか?」


 何気なく、聞いてみる。オリイは首を横に振る。長い髪が、その拍子に揺れた。本当に、長い髪だ。長い黒髪は、あの旧友を連想させる。


「そういう訳ではない?」


 相手は小さくうなづく。確かに、理解はしているのだから、使わない訳ではなかったのだろう。


「使わない訳では、ない。けど、使う必要も、無かったから」


 どういう意味だろう。それ以上聞いてみたい様な気はした。だが、それ以上聞いても、答えないような気もする。

 何か、雰囲気が人間離れしているのだ。こうやって隣に座っていても、何やら、普通の人間に感じるような生気のようなものを感じないのだ。

 ではメカニカルかというと、そういうものでもない。あの盟友やその愛人といういい例がいる。人工の肉体だったら、何かそれはそれで、感じるところがあるはずなのだ。なのに、そのどちらでもない。

 何か、空気の色が違うのだ。だがそれがどんな色であるのか、彼には自分自身を納得させるような答えが見つからなかった。

 やがて、彼らを乗せたチューブはゆっくりとその走行を停止させた。音も無く扉が開く。チューブ自体に促される形で、彼らは外に出た。

 かつん、と靴の音が辺りに響いた。

 チューブの出入り口などというのは、何処の層であっても、もつと喧噪があるはずだ、と彼は思っていた。だが、ここには音の一つも無い。

 だが迎えが来るはずである。来なくては、呼んだ向こうが困るだろう。

 ふと気付くと、オリイは彼の考えには頓着していないのか、この静かな空間に、音一つさせずに歩き出していた。彼は慌ててそれを追いかける。肩に手をかけると、ふとしまった、という感覚が走る。しまった。髪を掴んでしまったか。

 指に髪が絡んでいる。オリイは立ち止まると、ゆっくりと振り向いた。


「何、してるの」

「い、いや…… 迎えが来るなら、じっとしていた方がいいと思って」

「迎え? ああ、そうかも」


 するとするりと髪は解けた。オリイはそのまますたすたと最寄りのベンチへと歩いていく。やっぱり調子が狂う、と彼は思った。

 だがとりあえずはそれ以上できることもなかったので、彼もまたベンチへと足を踏み出した。

 ポケットに手を突っ込もうとする。と、手の甲が妙にひりひりとするのに彼は気付いた。ちら、と見ると、赤くなっている。何だろう、とGはその部分を指で触れてみる。熱い。熱を持っている。その部分だけ、みみずばれのような状態になっているのだ。

 やがて、音もなく無人の車が彼らの前に止まった。何処からどうコントロールされているのか、彼らがその前に立つと、扉がやはり音も無く開いた。

 彼は無言で、先に乗ってくれ、とオリイを促す。そしてやはり黙ったまま、相手はそれに応える。

 窓から見える景色は、瞬く間に変わっていった。チューブの終着点のターミナルの部分は、他の層同様、最先端の機器や、人工らしさが露骨に出ていたが、その部分から出るトンネルをくぐると、そこはいきなり開けた。

 他層に比べ、高い天井には、空の色が映し出され、雲すらも漂っている。彼らの通る道は、さほど広くもないアスファルトの敷き詰められたもので、その両脇には、鮮やかな緑の草が、ぼうぼうと生い茂っている。わざと手入れをさせていないかのように、彼には思えた。さらに向こうには、手入れをさせた芝生の一角も見える。

 だが、そこには人の姿は無かった。この静けさは、そこから来るのか、と彼は思う。

 やがて、車は一つの門の前で静かに止まった。

 扉が開く。静かだが、有無を言わせぬ命令を突きつけられた様な気分だった。彼は自分の後に降りたオリイを見る。車の中でもそうだったのだが、実にあちこちを、だがそのたびに真剣な目でじっと、風景を眺めている。

 門は大きかった。彼らの倍くらいの高さを持つ。そして実にデコラティヴだった。それ自体が一つの芸術品とも言えるような、細かな細工と、大胆な意匠を持つ建築物だった。

 これと似たものを、彼は何となく知っていた。あの避暑惑星だ、と思い出す。有閑階級が好んでこういった形のものを、表玄関に置いていた。

 さてどうしたものか、と彼はその門を眺めながら思う。やがて門は開くだろう。そしてその中には、果たしてエビータが居るというのか。


「オリイ?」


 名前を呼ぶと、六弦弾きは、ちら、と彼を見た。


「君はここで何をするのか、知っているのか?」

「いや」


 短く相手は答える。


「全部は、知らない」

「全部は。では少しは知っているのか?」


 黙ってうなづく。その表情は変わることがない。その変わらなさが、Gを何やら動揺させる。


「知っていることを、聞かせてくれないか?」

「……」


 オリイは軽く目を伏せた。そして小さくうなづく。

 いい、ということだろうか、と彼は相手の表情の微妙な変化を読もうとする。これ程表情が変わらない相手を、彼は今まで見たことが無かった。


「少し、なら。何を聞きたい?」

「……何をするのか」

「それは、君も、知ってるはず」

「表向きは。だけど本当はどうだと言うんだろう?」

「どう、と言うと」


 彼はやや手の甲がひりつくのを感じる。まるで虫に刺された時の様だ、と今更のように思った。


「戻って来ない、って噂じゃないか」

「ああ」


 当たり前のようにオリイはうなづいた。


「確かに、戻って来ない」

「それがどうしてか知っているか?」

「よくは、知らない。けど、そうかもしれないというのは」

「そうかもしれない……」


 予想はできる、ということか。すると、予期しない言葉が、六弦弾きのやや厚めの唇からこぼれた。


「入れ替わり。それを知らなくてはならない」

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