第10話 夢

 とろとろとまどろんでいる。まどろんでいるから、これが夢だと断言できる。

 夢の中でひよりは、誰かと一緒にいる。男の人だ。自分より五つくらい年上の、黒目がちのひと。ちょっと人間離れした美しさは、青磁に似ている。

 ひよりはその人を、師匠と呼んでいる。

 師匠だなんてなんだか古風だなあと、夢の中のことながら面白くなってしまう。しかもその師匠の顔が、やけに整っているからなおさら愉快だ。こんな支障が――というか、先輩がいたらいいなあという願望の現れだろうか?


 その師匠は、ひよりにずっしりと重たい包みを手渡す。

 緋色の、何重にも退魔の印の施された布にくるまれていたのは、一枚の鏡だった。


「これはお前にしか扱えないものだ。分かるだろう、この鏡は――もはや神鏡の域にあり、並大抵の陰陽師では触れることもできない」

「はあ」


 夢の中でくらい、もっと気の利いた返事がしたかった。じゃあどんな返しをすれば気が利いているのか、ひよりには皆目見当もつかないのだが。


「私も触るのがやっとのこの鏡を、お前は普通に持ち運んでいる。……どころか、家に置いて平気な顔をしてるじゃないか?」

「便利なんです。よく私の間違いを指摘してくれます」

「ああ、お前が最近遅刻しないのはそのためか。お前はもう陰陽師なんかよりも、巫女になった方が早そうだな」

「そうでしょうか」

「うん。お前は誰よりもどんくさくて、のろまで、あんまり賢いとは言えないが」

「……はあ」


 酷い言われようだ。夢の中でくらい、身に余る誉め言葉を受けてみたいのだが。


「お前の丸さは。真円は。月のように優しい心は。全てに調和をもたらし、あまねく争いを退けるだろう。お前はそれを、皆ができることだと思うだろうけれど、ほんとうは、得難い心なんだよ」


 師匠のまなざしが妙に優しくて、怪訝に思う。

 これではまるで――遺言だ。


 こちらの気持ちを読み取ったのだろう。師匠は茶化すように笑って。


「――とまあ仰々しく言ったが、それしか取り柄がないのだから頑張りなさい、ということだな! 陰陽師としてはへっぽこであることを忘れないように」


 そう言ってその人は、どんどん遠ざかってゆく。夢だから急に背景が変わることも珍しくないとは言え、急に雰囲気が変わってしまう。


「し、師匠、そっちは」


 その人は燃え盛る炎に包まれた都のように行ってしまう。

 すっかり様変わりし、炎の化粧を刷いた都には、悪鬼羅刹が飛び交っている。赤々と濡れた空に覆われた都に足を踏み入れれば、随一の陰陽師である師匠でも、無事では済まない。


「師匠」


 手の中でぶるぶると鏡が震える。行くな、と制止されているようだ。

 鏡は言う。


 ――巫女よ。我らの役目は退魔にあらず。拒絶にあらず。

 ――良きも悪しきもみな全て同一に化す、円環の鈴なりこそが我らが宿業。


「……でも、それでは」


 涙が頬を伝うのを感じる。

 都はいよいよ燃え盛り、生者の気配は遠く煙の向こうに霞む。

 炎を追い払い、煙を吹き飛ばす力は――ない。陰陽師なのに。誰も助けられないで、ただここで手をこまねいている。


「私たちは、見ていることしかできないということですか」


 ――是。

 ――しかし、燃え尽きた中から萌え出づる芽を、育むことができる。


「そんなの、何にもできないのと、おなじだ」


 鏡は答えない。

 何かをしたいのに。何物かになりたいのに。薫のように颯爽と、誇り高く生きてみたいのに。それはだめだと言われてしまう。


「私のできることは、何ですか。どうすれば私は役に立てるんですか」


 青磁の役に立ちたい。いつも助けてくれる大学の友達、小夜子の役にも立ちたい。

 夢と自分がごっちゃになっている。輪郭がとろけて、心臓がばくばく言って、頭の中の微かに残った理性が、目覚めを知覚している。

 鏡は最後にこう言った。


 ――恨むな。吼えるな。他者に牙を剥くな。それは獣の領分なれば。

 ――ただ、在れ。






「……ふわあ」


 目覚めたひよりは泣いていた。鼻の奥に煤の匂いが残っているようで、何度もくしゃみをした。


「すごい、ゆめだったなあ」


 そう言えばやけにファンタジーな映画を見たばかりだから、それに影響されたのかも知れない。サメ映画を見たあとなんかは、よく悪夢を見るし。

 良くも悪くも深く考えないひよりは、そのままゆっくりと起き上がった。

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