第23話 ~ウィルの思惑~

 試合の開始と同時に動きを見せたのは秀一だった。右手を振り上げ、高々と宙に放り出された手榴弾は放物線を描いて飛翔する。秀一の後方――白雪とは正反対の方向へ。


 一見して無意味な行為だが、試合前の言葉が真実であるならば、爆発の位置は関係なく白雪にダメージが入ってしまう。

 ただ、それ自体は大した問題じゃない。冷静に対処できれば、スキルを見抜く足掛かりになるだけだ。


 冷静に対処できれば。


 それが出来ないのは、火を見るよりも明らかだった。かろうじて戦闘態勢を取り繕ってはいるが、剣の不可視化は揺らぎ、輪郭が見え隠れしている。FBのスキル維持にはかなりの集中力を要する。仮想世界であるからこそ、精神状態の乱れはありありと露見してしまうのだ。


 原因は考えるまでもない。秀一の言葉が、表情が、雄弁に物語っている。おそらくは、全てが奴のシナリオ通りだったのだろう。


 試合前に投げ掛けた優しい言葉も。

 二戦目に圧勝させたのも。

 希望を、絶望へと反転させる準備だった。


 試合に勝つなんて生易しいものじゃなく。白雪奏音という人間を潰すために。


 無意識に噛みしめた奥歯が軋む。

 予感はあった。杞憂でも、伝えておくべきだった。気を付けろと、たった一言投げ掛けておけば、避けられたかもしれないのに。


 けれど、どれだけ後悔しようともう遅い。観戦席の声は、プレイヤーに届くことはない。出来るのは、ただただ見守ることだけ。これ以上、何も起こらないように。


 だが――


「いいのかい? 僕ばかり見ていて。そろそろ爆発するよ?」


「――ッ!」


 秀一が宣言した直後、けたたましい爆発音とともに爆煙が立ち込める。直撃すれば相当なダメージは避けられないだろうが、戦闘フィールドの外壁付近で起こった爆発はプレイヤーとは無縁――そのはずなのに。


「……どう……して?」


 弱々しくも驚愕を含んだ声を絞り出した白雪は、その場に膝をついていた。


 ◇ ◇ ◇


 ……力が入らない。

 攻撃を受けた独特の感覚はあった。けれど、それを最後に私の右足は微動だにしなくなってしまった。


 ――不意に一年前の記憶が蘇る。


 自分の意志で動かない、ただの異物が引っ付いている感覚。普段は感じることのない重みが、吐き気を催すほどに気持ち悪かった。


「ほら、次だよ」


 聞き馴染んだはずなのに、まるで別人みたいな秀一くんの声。なんとかして頭を持ち上げると、ほんの一メートル前に黒い楕円体が転がる。


 避けなきゃ。

 反射的に飛び退こうと足に力を込めた――つもりだった。


「う――ッ!」


 イメージ通りに動いてくれたのは左足だけ。必然的にバランスは崩れ、右半身が石畳へ打ち付けられる。


 その直後、視界が紅に覆われた。


 遠距離で爆発した初撃とは比較にならない爆発音と一緒に、全身にダメージを負った感覚が伝播する。皮肉にも言う事を聞かない右足には一際強く、違和感が生じた。


 残りの体力を確認する余裕もない。とにかく、立ち上がらないと。そう思っても、私の右足は一向に枷としての役割を放棄してくれなかった。


「……なんで……? どうして動かないのッ!?」


 叩きつけた感触は確かに伝わるのに。仮想空間この世界なら、動けなくなるなんて、無いはずなのに――ッ!


「教えてあげようか? どうして君の足が、動かなくなったのか」


 爆煙の向こう側、ゆっくりと歩み寄ってくる姿は、もう私の知っている秀一くんじゃなかった。

 私と咲ちゃんが一緒にいるのをいつも優しく見守ってくれていた表情は見る影もなく、無表情に、蔑むような視線を浴びせてくる。


 ――怖い、と。純粋にそう思った。そんな資格はないのに。


「…………」


「喋る気力もなくなっちゃったか。少し昔話をしただけで心が折れるなんて、奏音ちゃんは弱いね。反吐が出るよ」


 うつ伏せに倒れている私の頭上を通り過ぎたかと思うと、右足に重みを感じた。


「おっと、仮想世界の中なのに足が動かない理由だったよね。まあ、君も薄々気づいているだろうけれど、これは罰なんだよ」


「……罰……」


「そう。周囲に迷惑を振りまいて、多くの人間を傷つけておきながら、償おうともせずに全てをリセットしてのうのうと楽しく暮らそうとした。そんな君には相応しい結末だろう?」


「……違う。わたしは咲ちゃんに謝るために、報いるために、こうして――」


「ハハッ! 聞き苦しい冗談は大概にしなよ。だったら、どうして妹に会いに来なかったんだ? もう、どうでもよかったんだろう? 別々の高校に進んで、剣道もできなくなった自分には関係ないからって」


「――違う!」


 どうでもいいなんて、思うはずがない。大怪我をして腐っていた私に、ずっと寄り添ってくれていた彼女は大切な存在なんだ。


 だからこそ、中途半端な状態で会いに行けなかった。

 

『奏音ちゃんが一生懸命に頑張ってる姿を、いつまでも待ってるからね』


 そんな風に支えてくれた咲ちゃんに。

 無理矢理に立ち上がらせようとせず、優しく見守ってくれていた親友に。


 ――伝えたい。


 ありがとう、ごめんねって。

 もう大丈夫だから。咲ちゃんの言ってくれた通り、ちゃんと夢を見つけたからって。


 私のエゴだってことは分かっている。もう嫌われているかもしれない。友達じゃないって言われるかもしれない。その言葉を受け入れる覚悟はできている。

 それくらい、自分が酷いことをしてしまった自覚はあるから。


 でも、絶対に諦めない。そして何度でも会いに行くんだ。かつて、彼女がそうしてくれたように。


「あれ、まだ頑張るつもり? ろくに動けない上に、もう体力も半分を下回っているんだよ? 素直に諦めてくれた方が、僕としても心を痛めずに済むんだけどね」


「……わたしが、降参しちゃいけないんです。自分のためにも、我が儘に付き合ってくれた二人のためにも!」


「ハッ! その気概は買うけど、無駄じゃないかな。もう一人の男子……一緒に出掛けるくらい仲が良いみたいだけど、知ってるよ?」


「……何を、ですか」


 思わず問い返す。どうしてか、今まで以上に悪寒が走った。

 それはきっと、次に彼が告げる言葉が分かってしまっていたから。


「彼、試合では絶対に勝てないんだってね」


 心底愉快そうに発せられた台詞は、寸分違わずに想像通りだった。


 ◇ ◇ ◇


 戦闘フィールドでのやり取りは、鮮明に観客席へと届けられていた。だから、秀一が呆気なく言い放った言葉が聞こえた時、一瞬思考が停止した。


 内容が理解できなかったわけじゃない。どうして、あいつが俺のことまで知っているのか。それが不可解だった。


 白雪への攻撃だけであれば偶然の可能性だって十分に考えられた。昔の怪我と同一の場所を攻撃し、言葉で心を抉る。そうして過去を再現したことで、白雪自身が『足が動かない』と思いこんでしまった。


 プレイヤーのイメージは、良くも悪くも仮想世界でトレースされてしまう。システム上、実現可能な現象は全て再現されるから。


 だとしても、俺のことは別問題だ。俺の欠点を知っているのは、たった数人。


 必然的に可能性はひとつに絞られる。


「……どういうつもりだ」


 言及の矛先は、当然フィールドにいる二人ではなく。


「何のことかな?」


 こんな状況でも笑みを崩そうとしない、もう一人の部員――ウィルケールへ向けて。


「しらばっくれるなよ。俺のことを牙城高校に――秀一に教えたのはお前だろ」


「それは語弊があるね。僕が伝えたのは王子のことだけじゃない。姫についてもさ。練習中、右足に攻撃を受けた時、明らかに動きが鈍っていたからね。まさか、昔の怪我が関係しているとは思わなかったけれど――」


 悪びれることなく淡々と述べる姿に。

 ぶつり、と。何かが切れた音がした。


「――ッ!」


 無意識に右手が伸びる。けれど、裏切者の胸倉へ届くより先に、システム警告によって動きが止められてしまった。


 暴力行為禁止の設定を、今日ほど邪魔だと思ったことはない。


「テメェ……もう一度聞く。どういうつもりだ」


「勘違いしないでくれたまえ。僕は決して、敗北のために情報を流したわけじゃない。むしろ王子と姫のために、必要なことだったんだよ」


「俺たちのため……だと……?」


「いかにも。これはチャンスなのさ。君たちが抱えている欠点を克服するための舞台。僕はそのステージを用意したにすぎない」


 ……チャンス? 舞台? 同じ言語を話しているのかが疑わしくなるくらい、ウィルの言い分を理解できなかった。

 あるいは、脳が拒絶しているのかもしれない。こいつと話す意味はないと。


「……そんなこと、誰が頼んだ」


「強いて言うなら、僕が望んだ。君たちにはね、本当の意味で強くなってもらわないと困るんだよ。そうでなければ、わざわざ峯ヶ崎学園に入学した意味がない」


 あくまで平静を保つ姿に、なおのこと嫌悪感が募る。やり場のない怒りを全て視線に込めて睨みつけても、ウィルは気にする風もなく話し続けた。


「ひとつだけ言い訳をさせてもらうと、姫の旧友が相手にいたのは偶然だよ。むしろ今日の目的は王子――不知火颯の本来の強さを取り戻すことにある」


「……意味が分からねえよ」


「人にとぼけるなと言っておいて、それは酷いんじゃないかな? 僕は君の真の実力を知っている……いや、伝え聞いている。君の牙だけが、魔王に届き得ることを」


 ――魔王。

 

 その名を冠するのは、Fantasy Battleの世界においてただ一人。

 幼馴染にして、夢を違えた元親友。

 水無月穹。


「僕は魔王討伐を成し遂げなければならない。そのためにも、君が弱いままじゃ困るのさ」


「……お前、穹とどういう関係だ」


「機が熟した時には、包み隠さず明かすことを誓うよ。ただ、今はその時じゃないだろう?」

 

 ウィルは俺から闘技場の中央へと視線を移し、意識を向けるよう暗に促す。

 正直、はらわたは煮えくり返ったまま。こいつが白雪の古傷を抉る原因を作った事実を、到底許す気はない。


 だとしても、ここでウィルに謝罪させたところで、過去に戻れるわけじゃない。白雪が感じてしまった痛みや苦しみが、消えて無くなりはしないのだ。


 試合前は純白だった鎧は爆煙で煤けていて。

 思い通りに動かない足の代わりに剣を突き立てて、何とか立ち上がる白雪。


 まさに満身創痍。それでも、手を差し伸べることはできない。

 声すらも届けられない。


 俺に許されるのは、できることは、ひとつだけ。


『どんな状況になっても目を離さないって、約束してくれませんか?』


 白雪の戦いを――進む道を、見届けることだけだった。

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