第15話 ~過去との再会~

「……ふぅ」


 すっかり人が詰め込まれていたショッピングモールから脱出して一息つく。真上から容赦なく光を放つ太陽の眩しさに、一瞬だけ目が眩んだ。


 暦は五月を迎えたばかり。あとひと月もすれば熱線の暑さに苛立ちを覚えるだろうが、今はまだ心地よい。


「いや〜、混んでましたね。まさに、人ばかりの人だかり!」


「語感はいいが、別に上手いこと言えてないからな」


 人波に飲まれないよう、ぴったりと背後に付き従っていた白雪が横に並ぶ。密集しているのはモール内だけで、屋外に出てしまえばさほど混雑していなかった。


「集合時間は十三時だったか?」


 白雪のペースに合わせて最寄駅へと向かいながら、タイムリミットの確認。


「ですね。わたしはこのまま行きますけど、不知火くんは家に寄らなきゃですよね?」


「ああ。流石に休みの日でも、この格好はマズイだろう」


 断じて珍妙な服装を纏っているわけではない。ただ単に普通の私服であり、登校するのには不適というだけだ。陽姉に見られたところで問題はないけれど、他の教師の目もあるだろう。


 脳内のプランでは、昼前には家に帰れる算段だったからな。……羽美が一緒だった時点で、連れまわされることを想定するべきだったかもしれないけれど。


 対して隣の女子といえば、完璧に準備万端である。制服に身を包み、学校指定の鞄を引っ提げ、首にはリアテンドを装着済み。


 ……いや、用意が良すぎる。散歩という彼女の言を信じるのであれば、だけれど。


「君……さては遠足前の小学生よろしく部活を待ちきれずに家を出てきたな?」


「な――ッ!? どうして分かったんですか! 愛ですか、愛ゆえですか!?」


「……そうだな」


「かつてないほどの優しさが痛いッ! そんな生暖かい目を向けないで下さいよ! わたしがめっちゃ可哀想な子みたいじゃないですか!? 可愛くて可哀想みたいじゃないですか!」


 喚きたてる白雪に適当な相槌を打ちながら、リアテンドで電車の時刻表を検索する。駅までは後三分ほど……次の電車には間に合いそうだな――などと目算していると、


「あれ、奏音ちゃん?」


「……え?」


 すれ違いざまに名前を呼ばれて、白雪が立ち止まった。つられて俺も足を止め、声が聞こえた方向へ目を向ける。するとそこには、見覚えのない一人の男がいた。


 大学生……には見えないな。おそらくは高校生だろう。俺が覚えていないだけで、同級生、ひいてはクラスメートの可能性もある。


「……秀一、くん?」


「やっぱり奏音ちゃんだ。一年振りかな? 元気にしてた?」


 白雪の口から名前を聞けたことに安堵したのか、窺っていた様相を微笑みへと切り替えてから親しげに話し始める。その間、俺に対しては全く意識が向けられないことからも、白雪だけの知り合いなのだと察せられた。


「……うん。秀一くんは?」


「見ての通り……って、分からないよね。それなりに楽しくやってるよ。奏音ちゃんは今年から高校だよね。その制服、もしかして峯ヶ崎? さっすが優等生」


「そ、そんなことないですよ」


 スラスラと言葉を並べる秀一と呼ばれた男に対して、白雪はたどたどしく対応する。……やけに歯切れが悪いな。苦手な相手なのか?


 ここまでの会話を聞く限り、普通の青年といった印象だけれど。というか、白雪が苦にするタイプが想像できない。


 そんな風に考えを巡らせていると、不意に身体が引っ張られた。――白雪の方向へと。疑問に思って視線を巡らせると、すぐに原因は判明した。


 白雪が後ろ手に俺の服を摘まんで――いや、掴んでいた。おまけとばかりに、その手は僅かに震えていて、否が応にも緊張が伝染してくる。


 怖がっている? 白雪が、この男を?


 感情の詳細はハッキリしないけれど、彼女の様子からもネガティブな方向であることは間違いない。あからさまに助けを求めてはいないが、この手はそういうことだろう。


「おい、急がないと遅刻するぞ」


 なるべく緊迫感が伝わるよう、普段よりトーンを低くして言い放つ。双方に会話を打ち切るよう舵を切らせるために。


 余計なお世話かもしれないが、勘違いならそれでいい。実際、時間がないのは事実だ。


「……あ、そうでした。ごめんなさい、秀一くん。わたしたち、これから用事があるので失礼しますね」


 俺の意図を汲み取ったのか、もしくはただ単に時間がないことを思い出したのか。どちらにせよ思惑通りだ。

 

「そっか。ごめんね、急に呼び止めちゃって。あ、またうちにも遊びに来なよ。咲も寂しがってるからさ」


「……はい。近いうちに、必ず」


 一際、力強く手を握りしめて。おどおどしていた態度から一転、顔を上げ凛とした声で宣言した。


 白雪の急変に秀一は少し驚いたようだったけれど、すぐに人懐っこい笑みを取り戻して、


「やっと昔みたいな奏音ちゃんになったね。うん、楽しみにしているよ。それじゃ……」


 一歩だけ、白雪のもとへと踏み込んで、


「近いうちに、必ず、ね」


 肩に手を置き、耳元で囁く。口調は今までと変わらずに。間近に迫られた白雪には見えなかっただろうけれど、しかし俺の目には確かに映った。


 ――感情がそぎ落とされた無表情な男の顔が。


 けれども、それも一瞬。すぐさま元の笑顔を取り繕って、悠々と人混みの中へ消えていった。


「……ふぅー」


「大丈夫か? 珍しく緊張していたみたいだけれど」


「ソ、ソンナコトナイデスヨー」


「手」


「ふぇ?」


 指摘されてようやく状況を認識できたのだろう。パッと手を放して、身の潔白を主張するかの如く両手を上げる。君はサッカー選手か。


「いやはや、よもや動揺がこんな形で現れようとは」


「言動からして挙動不審だったけどな」


「シャラップ! 逆に聞きますけど、わたしが心を乱しちゃいけないんですか! 逆に!」


「そんなことは微塵も言ってないだろうが」


 まだ混乱状態にあるようで、理不尽な怒りを撒き散らかす。秀一と呼ばれた男との間に、ただならぬ因縁を感じるな。


 年上らしき言動。親しげな呼び方。若干距離を感じる応酬。ここから導き出される結論は――


「元カレ……というやつか」


 なかなかに納得できる回答だ。鬱陶しい時もあるが、明るく、人懐っこい性格の彼女が人気者であっても不思議じゃない。外見の良し悪しはよく分からないけれど、まあ小柄で可愛い類に分類されるんじゃなかろうか。


 過去に恋人がいたとしても、何ら疑問に思わない。


「うわぁ……不知火くんから元カレなんて浮ついた単語が聞けるなんて思いませんでした。違和感しかありませんね。例えるなら中年のおじさんが『マジ卍』って言っちゃうくらい」


「マジ卍」


「ぷっ……あははっ! ちょっと、真顔で言わないで下さい! 滅茶苦茶面白いじゃないですか!」


 文字通り、お腹を抱えて白雪は笑い続ける。

 こいつは暗に俺を中年だと揶揄しているつもりか。感情の起伏が乏しい自覚はあるけれど、その認識は失礼極まりない。


「はぁー、お腹痛い。……秀一くんは友だ――知り合いのお兄さんですよ。付け加えると、わたしにはお付き合いした男の子はいません。安心しましたか? ほらほら、どうなんです?」


 知り合いの兄……か。だったら、最後に見せたあの顔はどういうことだ? 白雪に対して何かしら思うところが無いと、あんな表情になるはずがない。


 他人の感情なんて、どれだけ考えても理解できるわけがない。だというのに、秀一の形相と去り際の言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。


「ねえねえ、無視は止めてもらえません?」


「あ、悪い。本気で聞いてなかった」


「不知火くん、突っ込み役としての自覚が足りないんじゃないですか? ボケをスルーするようじゃ、わたしの相方は務まりませんからね?」


「スルーするって、めちゃくちゃ面白いな。流石のセンスだ」


「それは素で言っちゃったやつなので、弄らないで下さい!」


 何事もなかったかのように言葉を投げ合いながら、残り僅かとなった駅への道のりを急ぐ。まあ、どれだけ急いだとしても遅刻は免れられない時間になってしまっていたけれど。

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