第三十四話 村川太郎の過去

 藤堂海来探偵社は本郷警察署の管内にあり、探偵業の開業届も本郷署を通じて東京都公安委員会に受理され、許認可を受けているわけだが、関係としてはそれだけではなくて、年に一、二度程度であるが、警察で受理できない仕事を回してもらっている関係でもある。


 大抵は、うちより老舗や大手に回されるのだけど、性犯罪とまでは言えないような微妙な案件、例えば知り合いと酒を飲んでいて無理やりキスされた、のようなそうした揉め事を回してくれることがある。そういうのって、全て本郷署の生活安全課の小西警部を通じて仕事を紹介してくれていたし、小西警部には年始回りくらいだけど営業活動もしていて、少しくらいは情報を教えてくれる仲でもあった……、筈なのに。


「それがさぁ、藤堂さん、こっちも全く知らないんだよね」


 小西警部は真顔でそう言うのだから、私も唖然とする他ない。


「そんなわけないですよ? だって、うちに家宅捜索に来た刑事さんはそちらの管轄でなきゃおかしいじゃないですか? 今日お持ちしたこの押収品目録書にもこちらの警察だって書いてあるわけで」

「いやだからさ、うちの上の者から今朝指示があって、押収品をそっちに返しておいてくれって言われただけで……」


 私としては、家宅捜索を受けた容疑である、探偵業法違反容疑とは具体的に何なのか知りたかったのだけど、小西警部は全く知らないという。


「じゃぁ、この押収品目録書に記載されてる司法警察員巡査部長の、松木さんってこちらにいらっしゃるんでしょう? その人に確認すればいいじゃないですか」

「松木……、松木ねぇ、それはちょっとなぁ……」


 と言葉を濁す。そして、小西警部はそのデスクから一体誰に目配せしているのか、首を右へ左へゆっくり回し、それに応じたのか、この生活安全課の部屋にいる他の人間も数名、ちらっと小西警部に目で合図しているかの如く……。何かを隠しているようだが。


「こちらにいるんでしょう? 松木巡査部長さんって」


 するとやや面倒くさそうに、眉間にシワを寄せて小西警部は言った。


「だからさ、とにかく、容疑は晴れたんだし、何もなかったってことで。押収品持って帰ってくれていいからさ。な~んもなかったってことだから、よかったじゃないか。……ちょっと忙しいんで、奥の部屋から好きに持って帰って頂戴」と、小西警部は席を立って部屋を出ていってしまった。


 うーん、これではやはり、あの家宅捜索は仲西麗華の案件でうちの会社が動いたことに対する、警察内部関係者による嫌がらせであることを証明しているようなものだ。流石に小西警部は無関係だとは思うけど、押収品目録に書いてある松木巡査部長も関係者なのだろうか……。


 ともあれ、受付の外に立っていた押収品引取のために安西調査事務所から借りたアルバイト男性三人に、顎で奥の部屋から押収品を持っていくように指示を出した――。




「社長、村川太郎について色々と分かりましたよ」と、会社へ戻るなり三島が得意満面の表情で私に言った。


 仲西麗華の売春相手であり妊娠までさせたと思われる、村川太郎参議院議員を調べて三日目、村川が過去に何らかの犯罪事案に関係していることは、私の古巣である安西調査事務所が持っている刑事事件記録のデータベース上に村川の名前が出てくることからわかっていたのだが、事件の内容までは分からず、藤堂海来探偵社と取引関係にある弁護士事務所に三島を二日間だけ出向させて協力で調べさせたのだった。


「ごめーん、バイト君たち、荷物は運び入れるだけでいいから、事務所の空いてるスペースに段ボール箱積んでおいてくれる? あと、この階の給湯室にある冷蔵庫はうちの会社のだから、そこからペットボトルのお茶一本ずつ持っていってくれていいよ。終わったら帰ってくれていいからさ」


 事務所の外まで連れてきていたバイト君たちにそう指示すると、私は早速、三島の報告を聞くために、三島の隣にパイプ椅子をセットして座った。


「で、何が分かった? 確か事案でヒットしたのが二件だったよね?」

「ええ。一件目は、今から三十四年前、村川が大学時代のもので、結局、事件は主犯格の人間が一人有罪判決を受けただけで、他の容疑者五人については無罪となっています。事件の内容は、村川の所属していたサークルが、同サークルに所属していた新入生の女子学生に無理やり酒を飲ませて酩酊させた上で輪姦した、というものです」


 うわぁ、それってよくある大学生の犯罪だ。昔からよくある犯罪だって言うことは知ってるけど、村川もそれに関係していたということか。しかし、事件化したのがそれだけってことだし、実際には他にも多くの被害者がいたってことでは。


「当時のニュース記事は調べた?」

「ええ、東都大学集団強姦事件ですね。内容が酷くて、裁判事例では五時間に渡って一人の女子学生を全員で交代交代に強姦、その様子をビデオ撮影して当時のAVメーカーに売ったそうです。それを推定で一年間に渡って、他大学の女子生徒含め十数人に同様の行為を行ったらしくて。事件化したのは一人ですけど……」

「……酷いね。最近でもよく聞く事案と酷さではあまり変わらないけど、それにしても酷い。で、たったの一名しか有罪になってないの?」

「おそらく、一名以外は物的証拠がないらしくて、……ああ、同案件では村川は不起訴になってます」

「不起訴……」

「ええ、実はニュース記事には名前は出てないんです。ただイニシャルが出ていて、ネット情報でMとあり、データベースでヒットした中ではMは村川しかいませんので、おそらく。あと、ガセかもしれないのですが、そのMがホントの主犯ではないかとも」

「わかったわ。別のもう一件は?」


 三島は東都大学について調べた資料のファイルを閉じると、別のファイルを開いて説明し始めた。三島の背後では、ちょうど押収品のダンボールが半分まで積み上がった。


「ええっと、十五年前ですね。こちらは何故かニュースになってないんですけど、何故ニュースにならなかったのか不可解なほど酷い事件です。家出した女子高生を約一年に渡って監禁し、その間複数人で性的暴行を加え続け、その女子高生が監禁場所を脱走して事件が発覚、三名が起訴されましたが全員が無罪になってます」

「そんな事件、ほんとに聞いたことがないわ。ニュースにならなかった理由は全くわからないの? あと、どうして全員無罪なわけ?」

「ニュースになってない理由はさっぱりわかりません。無罪になっているのは、これも物的証拠がなく、一審後も控訴されていませんね。あと、村川はこれもデータベース上でヒットするだけで、不起訴になってます。……ところが」

「ところが、何?」

「その監禁場所なのですが、橋本商会が保有しているアパートだったんです」

「ええ? それほんとなの?」

「はい、間違いありません。監禁場所の住所が、橋本商会本社ビルに近いので、もしかしてと思って法務局に出向いて登記を調べました。その上……、その被害女子高生は脱走後に出産してます」

「えっ……」


 絶句、を超えてほんとにそれを聞いた瞬間息が止まった。だって、仲西麗華も妊娠を……。そんな酷い人間が国会議員? 信じられない。しかも私の方ではさらに酷い情報を知っている――。


「社長、大丈夫ですか?」

「ええ……、ちょっと息が詰まって。三島くん、よく調べたわ。確かな証拠は何もないようだけど、ほんとだったらとてもじゃないけど国会議員になんかすべき人間じゃない。それにね、私の方でも調査したんだけど、今の情報と合わせて考えたらもっと信じられない」

「それは?」


 今度は三島が絶句する番だった。


「ウィメンズオフィスって、その代表を務めているのは、村川涼子」

「……あっ、そうか。えっ? でも、まさか?」

「そう、村川涼子は村川太郎の妻よ。結婚したのは十年前だからもしかしたら、村川涼子はその二件の犯罪のことなんか何も知らないのかもしれないけど、ウィメンズオフィオスの設立を支援したのは橋本商会。しかも信じ難いことに、村川太郎は国会で性犯罪厳罰化議連の一人なの」

「マジですか? 流石にいつも冷静な僕でもそこまでは……」


 三島の額には明らかに汗が滲んでいた。三島の背後には押収品の入った段ボール箱が全て積み上がった。


「では、終わりましたので。僕たち、これで安西調査事務所に戻ります」

「あら、ご苦労さま。じゃぁ、気をつけてね」

「はーい、お茶貰っていきますので、ありがとうございました」


 そう言ってバイト君達は帰っていった。


「……ほんとにねぇ、仲西麗華の案件は驚きの連続で、さすがの私でも神経が持たないって感じ。三島くん、どうしよ?」

「どうしよって……、うちで扱える事案ってレベルではないと思うんですけど。相手は警察に、その上国会議員まで……」

「そうね。困ったね。……そう言えば、むかーし、まだこの会社が設立当初で、三島くんがいなかった時、カンナが酷かったんだけどね。でも今回はそれを遥かに超えるレベルだし」

「カンナさんって、元々はうちの顧客だって聞いてますけど、そんなに酷かったんですか?」

「うん、流石に今回ほどじゃないけど……、カンナの話はいいとして、取り敢えず――」


 一体どう進めればよいのかもわからなくなってきた私は、ひとまず、いま三島と話した事実を、仲西麗華の事案について図式化しているホワイトボードに書き加えた。


「まぁ、来週からコツコツ、相手にばれないように地道に調査するしかないわね。ここまで一応調べ上げたんだしさ。出来ることはやらないと――」


 ふと、頭の中で、父が言った「後悔だけはするな」という言葉が思い出された。


「そうですね。要は売春組織の証拠さえつかめればいいんですからね。地道な尾行や張り込みのほうが探偵らしいし。そろそろ帰りましょうか?」

「そうね、考えていても始まらないしね。今日は定時で店じまいにしましょう」


 事務所を離れても、頭の中は仲西麗華事案の件で渦巻いていた。仲西麗華からは、自身が売春報酬として受け取った一千万近くの大金を、事件解決のために全て使ってくれてもいいとさえ言っていたから、予算はふんだんにある。おそらく、仲西麗華以外にも複数人、強制売春の被害者がいるに違いない。それを考えても、どうにかして証拠さえ掴めば、渡辺らを潰し、仲西麗華以外のまだ見ぬ被害者をすら救える。でもどうやって? ――。


 どうにもこうにも、頭の中がそればかりで、自宅に真っ直ぐ帰ることが出来ず、かと言って恋人のカンナは今、日本にいないし……と思って、私は自宅近くのたまに行くバーに寄ったのだった。そしてカウンターで一人、一個の大きな丸い氷の入ったウィスキーグラスを揺らして見つめていると――。


「失礼ですが、藤堂さん、ですね?」


 同じカウンターの四つ右に離れた椅子に腰掛ける男性から声がかかった。店内に鳴り響いていたよく知らないジャズの曲が、ピタリと鳴り止んだ気がした。


 そこに座っていたのは渡辺二瓶だった――。

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