第二十九話 ボイスチェンジャー

「だからさぁ、仁科ちゃん、確かにそうは言ったけど、それを追加調査してくれなんて私、言ってないってばさぁ」

〈こっちは必要だと思ったからやったんだよ。必要な調査を省く探偵なんて素人でしょ? 海もそれは分かるだろ?〉


 くっそー、ここまで揉めるとは思わなかった。私が知りたかったのは、港西警察署の渡辺二瓶の勤務状況や個人情報だけのハズだったのに、事件の概要を考えたら港西警察署全職員の氏名や所属などの最低限の情報は必要な筈、と言って安西調査事務所の仁科亮平は引き下がらない。


「素人もプロも関係ないってば。契約通りの仕事をするのが職業探偵でしょう? 法律にもそう書いてあるじゃんか」

〈いや、契約書をもしちゃんと発行してたら、その業務の責任として職員に関する調査項目も入れたって。だって、無理だろ? 藤堂海来探偵社で警察署を調べるなんてさ。どうせ絶対必要になる調査なんだし。いい加減認めろって〉


 仁科ってこんなあくどい奴だっけ? コイツいつもなんか裏あるし……。


「あのさぁ、お金の問題なわけよ。無料ならそりゃ嬉しいけどさぁ、そうじゃないっていうから怒ってるわけ。こっちの懐事情知ってるでしょう? それはちゃんとあの場でも話した筈、うちはこれ以上は払えませんって。そしたら仁科は言ったじゃんか、それは分かってるって」

〈それは、基本調査料金の話。当たり前じゃん? こっちだって、情報源にもう金払っちゃってるんだよ〉


 ――ははーん、なるほど、そういうことね。仁科、もしかしてリベート貰ったな? 警察に情報をもらって、その警察の情報源に見返りの金を払うのだけど、その情報源も自分を今後も使って欲しいとそこから裏金を渡す奴がいるんだよな。だから追加調査を入れて、リベート払いやすくするために料金アップしたんだろう、きっと。それならこっちにも考えがあるぞ。


「仁科くぅん、もしだよ、もしそっちに行って仁科くんとこの件で打ち合わせていた時の録音データがあると言ったらどうする?」

〈えっ……、ウソつけ。そんなのあるわけねーだろ。あるんなら出してみろよ〉

「甘いなぁ。君も私もプロだよ。プロの探偵が会話を録音しないなんてあり得る? 今時スマホですら会話録音できる時代なんだしさ」

〈だ、……だったら、あるんなら出せってば〉


 くっくっく。甘い甘い。もちろんそんな録音データはない。仁科もわかってるだろうが、私には奥の手があるんだよな。あんまり使いたくはないが……。


「お父さん怖いよね」

〈うっ……。畜生、海って、親父さんに頼らないんじゃなかったのか?〉

「奥の手は取っておくのが常識でしょう?」

〈ま、待て。ちょっと待て、十秒待ってくれ〉


 十秒でも何秒でも良いけど、私のお父さん、つまり安西調査事務所の社長は、不正は絶対に許さない人だからな。


〈分かった。は、半額でどうだ?〉

「え? 基本料金の半額でいいの?」

〈違うよ、追加料金を半額にするってこと〉

「えーーー? それは流石にないと思うんだけどなぁ」


 くっくっく。困ってる困ってる。まぁでも、全く役に立たない情報ってわけでもないから、ちょっと負けといてやるか。


〈じゃ、六割引きでどう?〉

「追加料金を四分の一にして頂戴。それ以上はびた一文認めないよ」

〈わかった。それで手打ちにして欲しい。絶対親父さんには言うなよ? いいな?〉

「あーい。でも、仁科くん、あくどいことあんまりしないほうが良いと思うよ?」

〈あくどいのは俺じゃねぇよ、警察の方さ。ほんとはさぁ、追加調査は俺が言い出したんじゃなくって、警察内部の人間の方なんだ。まぁそれを認めちゃった俺のミスだけどさ。じゃぁな、くれぐれも親父さんには内緒で〉

「はいはい、ではまた」


 なるほどね。確かに警察の人間って、あくどい人間はいるから、それは本当だろうね。渡辺二瓶のような極悪人までいるくらいだし。


「社長、うまく行ったみたいですね」


 私はニコニコして、対面のデスクに座って仕事してる三島のその質問にVサイン。渡辺二瓶以外の警察署員の情報として、非常勤職員として働いている偽名の薮下真凛、本名は竹中真凛こと愛称が香西雪愛がいることも分かったし、それ以外にも警察署内に関係者がいるかも知れないわけだから、その追加調査料金がたったの四分の一になったんだから内心は大喜びだった。


「それで、三島の方は京極菖蒲の周辺とか、どのくらい調べられたの?」

「別件の合間にしか調べられなかったんですけど、少しだけ分かりました。京極さんのお父さんが一昨年亡くなってて、そのお父さんの亡くなった理由が自殺でして」

「あら、そうなんだ。自殺の原因は?」

「そこまではまだ調べきれてません。ただ、どうやら父子家庭だったようです」

「ふーん、あたしとは逆なんだ。あたしは母子家庭だったから」

「あれ? そう言えば、社長のお母さんの話って、僕、一度も聞いたことないですね?」

「いいのよ。あんまり話したくないから……」


 あたしは母は大っきらいだから。……おっと、スマホに着信。漆原か。


「はいはーい、漆原くん、調査はどう?」

〈現れたよ、あの男〉

「えっ? 仲西麗華と会ってた男?」

〈うん、ついさっき、ベランダに出て見てたら、あの建物に入っていった。歩き方と髪型も似てたし、着てたスーツも多分一緒だった。間違いないと思う〉

「やったじゃん。ああ、そうそう、今その男ってウィメンズの建物の中にいるんだよね?」

〈いるよ、多分〉

「やばいから、ベランダに出ないで部屋のうちでモニターで確認しておいてくれないかな?」

〈その事なんだけどさぁ……、パソコンの電源が切れてて、それにさっき気がついて〉

「ええっ? てことは今録画されてないの?」

〈いや、今は再起動して録画は再開してるんだけど、その男は撮れてないんだ〉

「そうなのか。まぁいいや、出てくるところが録画できるんだったら、男の顔は撮れるわけだし」

〈いや、それは多分無理だと思う。玄関から出てくるところはちょうど屋根に隠れていて見えないし、駐車場に車を止めてるみたいなんだけど、そっちの方向に歩いていくと背中しか映らないからさ〉

「ありゃ、それはちょっと困るなぁ。どうしてパソコンの電源が切れちゃったの?」

〈ごめん。正直に言うと、昨日の晩から朝まで女の子と一緒にいて、どうもその女の子が勝手に切っちゃったみたいなんだ〉

「もー。どうしてそんな女の子を……、って言ってても始まらないわね。分かった、私が今から行くからさ、待ってて。そっちには一時間後くらいには着くからさ」

〈分かった。じゃあ、杏樹さんをお待ちしてます〉



 そして、私と漆原の分、二つのお弁当を途中で買って、ウィメンズマンション監視用のそのマンションの一室のドアを開けたら――、漆原がいない。ったく、どこへ行ったんだ? 仕方ないなぁ、取り敢えずスマホで連絡を……。


「もしもし、漆原くん? 今どこにいるの?」

〈今、あの男を車で尾行中〉

「ええ? ちょっと待って。誰が尾行しろって言ったの?」

〈顔が撮れなかったのは俺の責任だから――〉……プチッ。

「ちょ、おい! 漆原くん!」


 しかし、切れた電話に何度電話しても、〈おかけになった電話は電波の届かない場所にいるか電源が入っていないためかかりません〉とアナウンスが繰り返されるだけだった。

 これは不味いぞ。売買春の買い手の男だって監視されてる恐れはあるし、それに何より売買春の拠点と目されるウィメンズオフィス前から尾行してるんだろうし、それにアイツ素人だから、やばいぞ。不味ったなぁ、漆原って責任感だけは人一倍強いからなぁ……。でもどうしよう? どこに行ったかもわからない。私と三島なら、会社でスマホGPS検索すれば分かるけど、漆原は登録されてないからなぁ……。取り敢えず、三島に相談してみるか。


「もしもし、三島くん、今電話できる?」

〈はい、ランチ終わって会社に戻るところですけど、どうしましたか?〉

「漆原が、勝手に尾行をし始めちゃって、スマホが電源切れてるのか繋がらないの」

〈もしかして、例の男ですか? それはやばいですよ〉

「でしょう? ウィメンズオフィスの前から尾行し始めたみたいだし。どうすればいいか、なんか考えないかなぁ?」

〈そうですねぇ……、あっ、もしかしてその男がそのウィメンズに来たってことは、仲西麗華と会うためじゃないんですか?〉

「どうかな。確かに直接は連絡できない筈だから、連絡取ってもらうとかはあるかもだけど、今日の相手が仲西麗華だとは……」

〈それはありますけど、接点は仲西麗華しかないですし〉

「そうだね。じゃぁその線でどうにかする。ごめんね、また会社を三島くん一人にしちゃうけど」

〈いつもだからいいですよ。ではお気をつけて〉


 三島との電話を切ると、即、仲西麗華に電話した。すると、仲西の方は〈ただ今電話に出ることが出来ません。しばらくたってからおかけ直しください。ご利用ありがとうございました〉だった。まぁいいだろう、着信履歴は入ってるわけだから、履歴見て多分掛け直してくるだろうと、私はその監視用マンションで一人寂しく弁当を食べると、一旦自宅に寄ってから、武蔵川女子大学まで車を走らせた――。



「リリアンさん、はいこれ。この前の交換した服装お返しします、ちゃんと洗ったからね」


 仲西麗華に会うとなると、平日の昼間は確率的には武蔵川女子大学、正門前、のその道路を隔てた反対側にある喫茶リリアンに来るのがベストだと思った。ていうか、借りていた服装もリリアンおばさんに、ついでにお返ししたかった。


「あら、そんなのいつでも良いのに。海来さんのスーツはまだクリーニングから上がってないからお返しできないんだけど」

「リリアンさん、それこそ別に良いよ。この前はお店も休ませちゃったし。今日は……、あ、ポスター剥がしてあるんだね。あの窓側の席でまた見張らせてもらっていいかな?」

「いいわよ、どうぞどうぞ。ご注文は?」

「えーっと、じゃぁ今日は美味しいコーヒーで」

「不味いコーヒーなんか出さないわよ。おほほ、じゃあちょっと待っててね」


 何回もこの店に来ているからか、なんだかホッとするものがある。リリアンさんの旦那さんはいつもの通り、カウンター席で一人新聞を読んでるし、今時のカフェじゃなくて、こういうレトロな喫茶店ってなんだか温かい雰囲気がある。古いけど、古さなら私の事務所も負けたものではない。


 コーヒーが運ばれてきて、リリアンおばさんも私の前に座り、また探偵の話で盛り上がっていると――、非通知番号からの着信。非通知は取るのが嫌なのだけど、仕事柄、電話番号を明かしたくない人との付き合いもあるので取らざるを得ない。


「はい、もしもし?」

「お前が藤堂海来か?」


 ボイスチェンジャー?


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