第7話 分からないって、どういうこと?

 おそる、おそる…部屋の中に入る。

 20じょうほどの部屋の壁一面かべいちめんにはずらりと本棚ほんだなが整列し、ハードカバーのいかにもお高そうな本が綺麗きれい陳列ちんれつされていた。

 部屋の奥には社長室で見た記憶のある、どっしりとした大きな机と椅子が置かれ、そこに声の主と思われる女性が座っていた。

 年齢は(前世の)私の少し上くらい、20代後半くらいかな…

 藍色あいいろの髪は光沢こうたくが美しいサラサラのストレートで、机にかくれて見えないがおそらくはかなりのロングヘアーだろう。

 ひとみも髪と同じ藍色あいいろで、にごりがなく、どこまでも透き通って見えた。

 先刻せんこく挨拶あいさつしたレフィーナの母親、アリアナ・オルデンブルク伯爵夫人はくしゃくふじん気品きひんあふれる美人だったが、こちらの女性も相当な美人だ。

 オルデンブルク伯爵はくしゃくの好み…なのだろうか?…と、これ以上妄想するのはやめておこう。この先妄想を続けるとドロドロの愛憎あいぞうドラマになりかねないし、今日会ったばかりの人たちに対してそれは失礼がぎるというものだ。


「こんにちは、先生!あの、お取り込み中でなければ、こちらの方をていただきたいんですけど…」

 レフィーナが女性に話しかけた。

 先生と言うからには、やはりこの女性が医者なのだろう。

 いや、医者のいる部屋に案内されて、部屋の中はこの女性一人という時点じてんで、女性が医者であることはうたがいようもないのだが、前世での常識じょうしきが私の異世界での認識にんしきの邪魔をする。

 そもそも医者と言えば白衣はくいでしょう?(偏見へんけんだとは思いますが)

 でも100歩ゆずって、ここは異世界。

 白衣はくいじゃないこともあるとして…

 でも、この姿は…

 黒のとんがり帽子ぼうしに黒のローブ、黒のワンピースドレス、右手には30センチくらいの木の棒を持っている…どう見ても魔女にしか見えなかった。医者なのに魔女?


「こんにちは、お嬢様じょうさま。ウィリアムから話はいているわ。…そしてあなたがユメさんね?」

 黒い魔女の姿をした医者が私の方に顔を向ける。

「は、はい。あなたがお医者様…ですか?」

「ええ、そうです。私の名前はアレクサンドラ。ここ、オルデンブルク伯爵家はくしゃくけ医療いりょう従事じゅうじしています。」

 アレクサンドラは丁寧ていねいやわらかな口調で語りかけてきた。

「ユメ、アレクサンドラはねとってもすごいのよ!お父様のお取りはからいで、街にも病院を持っているのだけど、評判ひょうばんがとても良くてみんなから『黒の救命士きゅうめいし』って呼ばれているの。」

 レフィーナは嬉々ききとして私に語った。

 それにしても「黒の救命士きゅうめいし」って何?ふたつ名とかいうの?

 黒の救命士きゅうめいしだなんて、正義なのか悪なのか、なんだかよく分からないけど…!?

「レフィーナ様、そのようなことお客様の前でおっしゃらないでくださいね。面映おもはゆいですわ。」

 少し困ったような表情を浮かべつつアレクサンドラがレフィーナをたしなめる。

 レフィーナはえへへと笑いながら、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

「それでは、早速さっそく診察しんさつを始めましょうか。」

 そう言ってアレクサンドラは私に椅子に座るようすすめた。

「まずはお身体からだの状態を確認させていただきますね。」


――スタータスプルフーン


 アレクサンドラがそう唱えると、彼女が右手に持っている木の棒がかすかに黄色に光った。

 あれ?聴診器ちょうしんきとかそういうの使わないんだ。

状態ステータス異常、病気、それと身体損傷しんたいそんしょうはありませんね。脈拍みゃくはく呼吸こきゅう血流けつりゅう全て正常。」


――インスペクティオン


 今度はかすかに緑色に光った

身体からだがいをなすほどの病原体びょうげんたいもありません。」

 なるほど、科学技術ではなく魔法技術が発達はったつしたこの世界、魔法使いや魔女が医療分野いりょうぶんやになっているのだろう。

 だからアレクサンドラは魔女の姿なのだ。

 あれ?

 でもうろ覚えだけど、RPGで治癒ちゆ魔法のスペシャリストは神官プリーストだったような気がする…?まぁ、魔法でなおすという点では同じ事よね?

「でも、おかしいですわ。」

 アレクサンドラがあごに手を当てて考え込む。

「ユメさんは、記憶喪失きおくそうしつ…なのですよね?」

 まずい!

 仮病けびょうがバレた!?

 どうしよう…正直に話したほうがいいのかな…

「先生、どうしたの?」

 レフィーナが不安げにたずねた。

脳波のうはが上手く読み取れないんです。こんなこと、初めてで…。ちょっと魔道具まどうぐを使ってみますね。」

 そう言ってアレクサンドラは部屋の奥から占い師さんが使いそうな直径10センチ程度の水晶球すいしょうだまを持ってきた。

脳波のうは魔力値まりょくち連動れんどうしていますので、魔力値まりょくちが高い方はまれ過干渉かかんしょうを起こすことがあるんですよ。それでもノイズ程度ていどで、読み取れないなんてことは今までなかったのですが…。」

 え?

 あ!

 私は魔力値まりょくちが最大…きっとそれが原因げんいん

 ウソがばれたわけではないけど、これはこれで由々ゆゆしき問題だ。


「ちょっと限界げんかいまで測定そくていしてみましょうか…」

 そう言うと、アレクサンドラが持つ水晶球すいしょうだまが強く輝きだした。

 次の瞬間しゅんかん


――パリーン!


 水晶球すいしょうだまぷたつに割れて、光は消えてしまった。

「キャッ!」

「そ、そんな…」

 レフィーナが悲鳴を上げ、その横でアレクサンドラが狼狽うろたえていた。

 

 ごめんなさい!ごめんなさい!

 きっと、私のせいです!

 私は心の中でひたいを地面にこすりつけるほどの気持ちで土下座どげざした。


「ユメさん、貴方あなた…」

 アレクサンドラの言葉にゴクリとつばを飲み込む。

「神の落とし子…なの?」

 そうです!はい!私が神の…え?な、何ですって?

「神の…?」

「神の落とし子、です。世界にまれに現れる、規格外きかくがいの能力を持たれた方ですよ。」

 そしてアレクサンドラは「神の落とし子」について説明をしてくれた。

 だいたい100年に1人くらい、常人じょうじんはるかに凌駕りょうがする能力やスキルを持った人がこの世に現れるのだそうだ。赤子あかごで産まれてくることもあれば、少年少女の姿で現れることもあるらしい。少年少女の姿の場合、生まれ故郷こきょうについて尋ねてもさっぱり分からず、それで「神様がうっかりこの世に現界げんかいさせた子ども」だろうという結論にいたり、ついた名前が神の落とし子。

「いや、私、そんなんじゃ…」

 そんな大層たいそうな存在ではないと否定しようとする。

 だけれど、この身体も能力値も転生するときに神様からもらったもの。

 強く否定はできなかった。


「ユメさん。この水晶球すいしょうだま魔力値まりょくち1000までは測定そくてい可能なの。魔女のジョブを得られる最低さいてい基準きじゅん魔力値まりょくち50。普通の魔女は100から200くらい。宮廷に仕える天才魔女で500ってところ。この水晶球すいしょうだまがいとも簡単かんたんに割れたということは、少なく見積みつもっても魔力値まりょくちは2000をえるわ。」

 どうやら観念かんねんするしかなさそうだ。

 それに、この人なら全て打ち明けたら、助けてくれるかもしれない。

 いや、でも、人体じんたい実験じっけんとか魔法実験じっけんに使われちゃったらどうしよう?


 私は大いに悩んだ。

 そしてうなずいたままだまっていることしかできず、場にシーンとした空気が流れる。

「でもまぁ、記憶きおくがないのでしたら、どうしようもないですわね。神の落とし子の記憶きおく再生は私のいやしの魔法ではどうにもならなさそうですし。」

 その空気にえられなかったのか、アレクサンドラがニッコリ笑いながら口を開いた。

 助かった…のだろうか?

 しかしもう一つ問題がある。

「あ、あの。アレクサンドラさん、この水晶球すいしょうだまってとても貴重きちょうなものではないのですか?全然ぜんぜんりないとは思うのですが、その、弁償べんしょうを…」

 転生の際に、神様から50万円分のお金をもらっている。

 私の規格外きかくがい能力値のうりょくち水晶球すいしょうだまは割れてしまったのだ。弁償べんしょうしないと気が済まない。

「ユメさんはお優しいのですね。どうぞ、お気になさらず。私が私の判断で限界げんかいまで測定そくていした結果ですから。ユメさんは何も悪くありませんよ。」

 それはそうなんだけど、そうじゃないのぉ…と言うわけにもいかず、私はしぶしぶ折れた。


 夕食の後、私はアレクサンドラに呼ばれて、再び彼女の部屋におもむいた。

 おどろいたことに、部屋にはオルデンブルク伯爵はくしゃくもいた。

 そしてアレクサンドラの口から、私の記憶喪失きおくそうしつなおらなかったこと(これは、ごめんなさい…)、それと私が「神の落とし子」かもしれないことが、オルデンブルク伯爵はくしゃくに説明された。

「まさか、神の落とし子とは…。いや、ウィリアムから仔細しさいいた時にはそうかもしれないと一瞬いっしゅん思いはしていたのだが、生きているうちに見られるとはね、光栄こうえいだよ。」

 伯爵はくしゃくおどろきつつも受け入れている様子だった。

「それでね、ユメさん。それと伯爵はくしゃく様。ユメさんの今後について話しておいた方が良いと思いましたの。」

 アレクサンドラが切り出す。

「私はずっとここにてもらってもかまわないと思っているよ?ユメが来てから、レフィーナがとても楽しそうなんだ。」

 伯爵はくしゃくがにこやかな顔で提案ていあんした。

「恐れながら伯爵はくしゃく様、それはご再考さいこういただいたほうがよろしいかと思います。ユメさんの力は強大です。それこそ本気を出せば国一つほろぼすことができるでしょう。もしそれが国王の耳に入ったら?よこしまな考えを持つ者が、伯爵はくしゃく謀反むほんうたがいありと流布るふしたら?ユメさんは強すぎるがゆえに、いち伯爵はくしゃくかこっておける人ではないと思います。」

 私はそんなこと、思いもしなかった。

 強いは正義、強ければ何でもできる。何があっても大丈夫、そう思っていたけれど、規格外きかくがいの力は争いの火種ひだねになることもあるのだ…。

「アレクサンドラ、確かにそうかもしれない。だけれど、私はユメの思いを尊重そんちょうしたいと思っている。ユメがここにたいのであれば、私はユメがここにられるよう最大限努力をするよ。」

 オルデンブルク伯爵はくしゃくはなんて優しいのだろう。これこそ、統治とうちする者のり方だと私は思った。

 それと同時にこの人を無用なトラブルに巻き込みたくない、と強く思った。


「さぁ、ユメ。ユメはどうしたいんだい?」

 私はどうしたいんだろう。前世では会社にこき使われて、過労死かろうしした私。人生を謳歌おうかすることの無かった私。

「そうですね、私…どこかでゆっくりと静かに暮らしていきたいです。あ、誤解しないでくださいね。ここがいやというわけではないんです。ここは素敵すてきな場所ですし、伯爵はくしゃく様をはじめ、皆さまとっても良くしてくださいます。本当に感謝の気持ちしかないです。」

「そうか…」

 伯爵はくしゃくは残念そうな表情を浮かべながらも、微笑ほほえみやさない。

 父親のように温かく見守る顔をしている。

「ユメさん、これは提案ていあんなのですけれど…もうしばらくだけ、ここに滞在たいざいしませんか?」

 アレクサンドラが先程さきほどとは矛盾むじゅんするようなことを切り出した。

 に落ちない顔をしている私に、アレクサンドラが続けて言う。

「あなた、どこかでゆっくり暮らしていくとして、生活費をかせてはありますか?」

「いえ…。それは…。」

「そうではないかと危惧きぐしていました。でもあなたの能力をかした、あなたにぴったりのお仕事があるんです。もう少しだけ滞在たいざいして、その仕事を始めるための技術をみがけば、生活費はかせげると思うのです。」

 なるほど、そういうこと。

 でも私にぴったりの仕事って何だろう…?

「この国は、辺境へんきょうに行けば行くほど魔法使いはいなくなります。それは、辺境へんきょうに行くほど医者が不足している、ということでもあります。」

「つまりそれって…」


――ユメさん、私の弟子になりませんか?

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