第14話 積極的な通い妻のご相談

「うっし! 川島さん、頼まれてたチェック終わったよ」

「りょーかい! 余計な事頼んでわるかったねぇ」

「いいよ。んじゃ、俺あがるな。おさき!」

「おつかれー!」


 志乃の実家に挨拶に行ってから暫くの日が過ぎた。

 御両親に正式な許しを得る事が出来た途端、毎週末どころか週2~3会い行くと言い出した志乃を宥めるのに苦労したのはつい最近の話だ。

 いくら俺の部屋で泊まる事を許してもらえたとはいえ、やはり節度というのは大切であり、そもそもの話色々と問題もあるのだ。

 具体的には東京から新潟間の交通費とか……体力的な事とか。

 前者は俺に払わせてくれないから志乃の問題。後者は主に俺の問題だ。

 志乃曰く、交通費の問題はアルバイトを探すし、ゼミの夏期合宿の臨時講習の仕事が決まっているからと押してくるのだが、後者である俺自身の体力問題があるから何とか毎週末にして貰っている。

 こういう言い方をしてしまうと相手は現役女子大生で俺が三十路だからへばるからと思われるかもしれないが、それは誤解というかまったくの逆だ。

 志乃は普段から贔屓目無しで絶世の美女なのは周知の通りだ。だが、部屋に2人きりになり甘い雰囲気になった時の志乃の魅力は暴力的で、煩悩が底なしに湧き上がってしまい精魂果てるまで求めてしまう。

 元々整い過ぎている容姿に艶が加わり、芸術と言っても過言ではない体が俺の脳を焦がして欲求が自分の意思では止められなってしまうのだ。

 せめて志乃が拒否してくれれば我に返る事も出来るのだが、彼女は俺の要求を微塵も拒まずに全て受け入れるのが基本姿勢のようで、止め所を見失ってしまって気が付けば空が白々と明るくなっているという事が少なくない。

 その結果、翌日の仕事に多大な影響がでてしまってチームの皆に迷惑をかけてしまう為、頻繁に通おうとする志乃のペースを抑えているのだ。


(まぁ、俺が我慢すればいい話なんだけど、さ)


 というわけで今日は週のど真ん中である水曜日である。

 まっすぐ家に帰って適当に晩飯食ってから、風呂入る前に志乃にテレビ電話をかける。これが俺の新しい平日の夜の過ごし方になっている。


 会社を出て駐輪所に向かいながらトークアプリで志乃に『今から帰る』とだけ送った。

 これもいつものルーティンで自転車に跨るまでに『お疲れ様、気を付けてね』等の返信があるまでがデフォになっている。


(あれ? 返信がない、な。既読は付いてるのに)


 風呂に入っている時でさえスマホを浴室に持ち込んでいるらしく、必ずと言っていい程に返信があるはずなのにと首を傾げながらもそういう時もあるかと、深く考えずに守衛に挨拶をして敷地を出た。

 ここ新潟も本格的な夏が訪れて暑い日が続いているが、東京や大阪と違ってカラっとした暑さで決して不快なものではない。

 冷房で冷えた体を吹き抜けていく風が温めていく。

 暑いと言えば暑いけど、無風の室内でバスケに明け暮れた俺には全く苦になるものではなく、寧ろ自宅までの距離を考えると冷えて固まった体を解すのに丁度いいくらいだ。



 明日は会議が控えてるから事前に作っておいた資料をチェックしないとなと考えながら、自宅の駐輪所に自転車を停めて二階に繋がる階段を上っていく。

 通路に出て歩きながら鞄から自宅の鍵を取り出すと、どこからか漂ってくるいい匂いに空腹の腹から大きな音が鳴る。

 1人飯をわざわざ作るのが面倒で備蓄してあるカップ麺で済ませるつもりだったけど、このいい匂いで食欲を掻き立てられた俺は冷蔵庫にある物で何か作ってビールを飲もうと、喉を鳴らして自分の部屋の前に着いた。


「あれ?」


 部屋の窓から明かりが漏れている。

 一瞬だけ消し忘れたかと間抜けな事を考えたが、そんな思考を瞬時に拭い捨てた俺は部屋の鍵を開錠して家に入った。


「ただいま」


 本来なら誰も迎える事がない廊下の奥にあるリビングドアが開く。


「おかえりー、良介!」


 リビングから姿を現したのは、最愛の恋人である志乃だった。

 志乃は肩を出したニットシャツにフレアスカートといった服装で、その上から可愛らしいエプロン姿でパタパタとスリッパの音と共に俺を出迎えた。


「来てたんだ」

「来てたよ? わるい?」


 平日にいるんだからリアクション的に間違ってないと思うんだけど、志乃は思っていたリアクションをとらなかった俺に不貞腐れて口を尖らせる。


「悪いわけないだろ? いきなり来られるのが嫌なら合鍵なんて渡してないって」


「だよね!」と言った志乃はパタパタと俺の手を引いてリビングに向かって行く。


 度々、こういう事がある。


 会うのは基本的に週末にと決めたにも関わらず、偶にこうして平日に事前に知らされる事なく家に帰ると志乃がいるのだ。


 その事自体は特段問題はないし、嬉しい気持ちもある。

 何より温かい食事を作ってくれている事が、自炊するのを面倒臭がってばかりいる俺にとって、本当に有難いんだ。


 だけどあの日、拓郎さんが影でどれだけ志乃の事を案じてるのかを知った俺には素直に喜べない部分もある。


 それとは別の問題もあるんだが……。


 リビングに入った俺は、事前に志乃が用意してくれた部屋着に着替えてソファーに疲れた体を預けた。

 因みにだが、俺達が付き合う事になる前までの部屋と、今ではまるで似ても似つかない部屋になっている。

 志乃と一緒に家具を買いに行った時、基本的にシンプルなデザインを好む俺の趣味に合わせた家具を選ぼうとしたのだが、志乃の希望も取り入れようとあまり目立たない箇所に可愛らしい物が組み込まれた家具が我が家に運び込まれている。

 露骨に可愛らしい家具を選ばれたらどうしようとちょっと心配だったけれど、この程度なら許容範囲と言っていいだろう。


 対面式のキッチンスペースと合わせて10畳ほどのリビングにL字型のローソファーと木製の小さなラックテーブルを置いて、カウンターテーブルの側には程よい大きさのダイニングテーブルを置く。

 寝室には元々クローゼットが備え付けられていた為、足元にお洒落な収納ボックスだけを設置。

 そしてベッドだが、セミダブルを探していたんだけどデザインがとてもツボにきたベッドがクイーンサイズ以上しかなかった為、思い切ってクイーンサイズを購入。

 でも、実際に寝室に設置されたベッドを眺めてみると……デカ過ぎたと2人で笑った。

 その他に照明器具やキッチン周りのアイテム、それと志乃の分の食器やその他諸々を購入して新たな生活をスタートさせた。


「なぁ、拓郎さん何か言ってなかった?」

「んー? 何も言われてないけど、どうして?」

「いや……御両親から許可は貰えたけど、だからといって好き勝手していいわけじゃないと思うんだけど」

「またその話? 私がここに来るのにお父さん達に迷惑かけてるわけじゃないんだからいいじゃんて事にならなかったっけ?」

「まぁ、そうなんだけど、さ」

「それともなに? もしかして私が良介に会いに来るの迷惑?」


 迷惑と訊かれれば、そんなわけないと答える。

 先に述べたように夜の事でいくらか仕事に支障をきたす事もあるけど、総括してこうして志乃が来てくれるのは嬉しいのだ。

 だが、俺達の我儘のせいで瑞樹家の生活に支障がでているのではないかと危惧するのは矛盾してるだろうか。


「今度、さ。俺がそっちに行くから、待っててよ」

「え? ホント!?」


 迷惑なんじゃないかと勘違いして曇らせた志乃の顔から、瞬時にぱぁっと大輪の花が咲き乱れる。

 ただ俺が東京に会いに行くと言っただけでこれだけの反応を示すのは、口には出さないがきっとそれだけ寂しかったんだと思う。

 その事に対して申し訳ない気持ちが溢れて、向こうへ行った時は志乃の望むままに過ごそうと決めた。


「え? K大ミスコン?」

「……うん。実は、ね――」


 志乃が作ってくれた夕飯を食べ終えて食後の珈琲を楽しんでいる時に、志乃が唐突にそんな話を始めた。

 どうやら今日突然ここに来たのは俺に会いにという事の他に、相談があったようだ。


 話の内容はこうだ。


 まだ俺と付き合う前、岸田と付き合っている時の事だ。

 大学のK大際の実行委員会からミスコン参加の打診があったそうなのだ。

 目立つ事を極端に嫌う志乃は当然迷う事なく断ったそうなのだが、実行委員の連中は諦めようとせずに可能な限り志乃の言い分を訊くからと粘った。

 その粘りに根負けした志乃は当時付き合っていた岸田に相談してからまた話をすると言ってその場を回避したのだが、まさかの岸田からのお許しが出てしまったそうなのだ。

 とはいえ俺の時代もそうだったんだけど、K大のミスコンは他のミスコンの例に漏れず水着審査の項目があり、岸田は志乃の水着姿を晒すのは許容出来ないと言う事を盾に、志乃が断りやすい逃げ道を用意した。

 これで角を立たせずに断る事が出来ると安堵した志乃であったが、その事を伝えると最初は難色を示した実行委員長だったのだが。まさかの了承すると首を縦に振ったのだ。

 これには俺も驚いた。

 ミスコンの水着審査といえばコンテストの花形で一番盛り上がる審査だというのに、瑞樹志乃をエントリーさせる為だけに水着審査を廃止すると言うのだから。

 こうなると引っ込みがつかなくなった志乃は渋々参加するしかなくなってしまい、肩を落として首を縦に振ったのだと言う。

 それから岸田と色々とトラブルがあった末に別れる事になったり、俺を追いかける事に必死になっていた為にすっかりミスコンの事が頭から抜け落ちていたらしい。

 だが、今日午前中の講義を受けに大学に行った時に実行委員達にミスコン参加者の打ち合わせがある事を知らされて、すっかり忘れていた事を思い出したのだと言う。


「……なるほど、ね」

「……うん。良介と付き合う前の話だからホントは黙ったまま、実行委員には迷惑かけちゃうけど、当日仮病でもなんでも使って逃げようと思ってたんだけど、やっぱり参加してみようかなって思って」

「そうか。気が変わった理由を訊いていいか?」

「理由は二つあるんだけど、1つは良介が傍にいてくれたら頑張れるかなと思って。だからこっちに来てくれる日を学際の日にして私を見ててくれないかな」

「……それは別にいいけど」


 志乃の言い分はもっともだと思う。

 実際は当時の岸田と志乃とのやり取りで決まった事柄なのだから、今カレの俺には関係ない事といえば関係ない。

 だからこそ、例え悪者になると分かっていてもドタキャンして参加を辞退しようとするのは、如何にも志乃らしいと言える。

 所詮、学生のお祭り事なんだからそれほど騒ぎにならないだろうからというのもあるだろう。

 だが、そういう経緯でミスコンをドタキャンするつもりだった志乃が、どうして参加する気になったのか理由が気になった。


「二つ目の理由が、ね。私がこれから始めようと思っているアルバイトが関係しているの」


 志乃が始めようとしているバイトと、今回のミスコン参加がどう関係しているのか全く分からずに首を傾げる俺に、志乃は俺の想像の斜め上をいく話を始めるのだった。

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