第2話 お姉ちゃんの凱旋待ち
「んー! お母さんこれ美味しい!」
「でしょ? 今日のは会心の出来だったのよ」
私は今自宅のダイニングでお母さんが作った晩御飯を食べている。
何時もの光景であり、いつものお喋りを楽しみながら食べ進めているんだけど、お父さんは何だかソワソワとして落ち着かない様子だ。
まぁ、理由は分かってる。
私の隣の席に何時もいるはずのお姉ちゃんの姿がないからだろう。
別にお姉ちゃんがいなくて三人でご飯を食べるのは初めての事じゃない。
昨日から外泊しているけど、それも偶にある事だ。
確かにお姉ちゃんが高校三年生にあがった頃までなら、有り得ない事だったと思うけど、愛菜さん達と知り合ってからはこういう事が起こるようになった。
だけど、この変化は私だけじゃなくてお父さん達だって喜んでいた。
お父さん達がずっと訊けなかった事。
中学の時に平田達にされた酷いイジメが原因で人間不信に陥って、高校生になってからのお姉ちゃんはまるで自分の心を持たないお人形のようだった事。
私は気になってある程度まで突き止める事が出来たんだけど、結局それから先は私だけじゃ何も出来なかった。
だけど、ゼミの夏期合宿で愛菜さんと結衣さんの出会いがお姉ちゃんを少し変えてくれた。
合宿でどんな事があったのかは知らされていないんだけど、きっとこの出会いが新しいお姉ちゃんを作り出したきっかけの1つなんだと思う。
それから松崎さんと知り合って、ついにはカリスマロックシンガーとして有名は神楽優希とまで繋がっていた事を知った時は、本当に驚いた。
その他にも沢山の友人を得て、自分の殻に閉じこもっていたお姉ちゃんの世界が広がる度に、あの作り笑いしか出来なかったお姉ちゃんの表情が本当に豊かになっていった。
そのお姉ちゃんの変化の原動力になっているのが、間宮良介さんだというのは疑う余地もない事だ。
前にお姉ちゃんから訊いた話だ。
初めは夏期合宿で知り合った人だと思ってたんだけど、どうやらそれ以前に接点があったらしい。
だけど、その初めての出会いが最悪なものだったと聞いた。
親切で拾ったお姉ちゃんが大切にしていたキーホルダーを届けてくれた間宮さんに、あろうことか暴言を吐いて怒らせたと言う。
そんな事をしてしまった経緯を知っている私でも、それはないだろうと腹を立てたものだ。
そんな事をしていてしまった相手と夏期合宿の場で再会してしまったのだから、当時のお姉ちゃんの心境を一言で表せば『大混乱』だったに違いない。
でも、それはお姉ちゃんの自業自得であり、そのせいで間宮さんに女子高生に対して悪いイメージを植え付けてしまった。
お姉ちゃんはお姉ちゃんで自暴自棄に陥って投げやりな行動をとったりしたらしいけど、そんなお姉ちゃんに間宮さんはお礼を言ったらしい。
といっても、お姉ちゃんがあの時の態度の悪い女子高生だと気が付いてなかったらしいんだけど、それでも女子高生を嫌悪している間宮さんにお礼を言われた時、初めて心の底から自分のとった行動を後悔したと言う。
だけど激しい後悔と同時に、自分の中にある気持ちをはっきりと自覚した瞬間だったとも言ってた。
そんなお姉ちゃんの気持ちは行動としても現れていて、合宿から帰ってくる日の夜、家の前まで間宮さんと2人で帰ってきた様子を見た時は驚いたものだ。
だって以前のお姉ちゃんならどんな理由があろうと、男に送って貰うなんて事は絶対にしなかったからだ。
その翌日からお姉ちゃんは目に見える形で変わっていった。
変わった所は色々あるけれど、やっぱり一番は作り笑いなんかじゃないホントの笑顔を見せてくれるようになった事だ。
それから本当に色々な事があった。
私が関わっただけでも、文化祭での平田とのトラブルにキッシーと付き合っちゃった件。そして何と言っても間宮さんがお姉ちゃんを庇って刺されてしまった事だ。
不幸中の幸いで刺されたナイフは臓器を傷つけていなかったみたいだったけど、それでも出血が酷くて生死を彷徨う大怪我を負ったのだ。
連絡を受けてお父さん達と病院に駆けつけた時のお姉ちゃんの姿は、一生忘れられないものだった。
全身血まみれって言葉がぴったり当てはまる程、お姉ちゃんが着ていた制服が間宮さんの血で染まっていたからだ。
真っ赤に染まったお姉ちゃんの目は完全に光を失っていて、その目と血染めの制服を見た瞬間に、どれだけ悲惨は事件に巻き込まれたかなんて想像するまでもなかった。
何とか一命を取り留めた間宮さんだったけど、意識が戻らずにこのままだと危険だと執刀した医師から聞かされたお姉ちゃんの絶望に染まった顔は今でも忘れる事なんて出来ない。
もし、もしもの話だけど、このまま最悪の事態になってしまったら――お姉ちゃんは後を追ってしまうと本気で思った。
だから、あの病院に現れた神楽優希は私達にとって救世主だったんだ。
優希さんがお姉ちゃんの頬を引っ叩いてきつく叱ってくれたおかげで、お姉ちゃんの目に僅かに光が戻ったからだ。
あのカリスマアーティストの神楽優希と間宮さんを取り合った私のお姉ちゃんだったけど、今では2人はとっても仲が良くて時々会ったり、マメに連絡を取り合ってる仲らしい。
まったく我が姉ならだ、恐ろしい。
そんなお姉ちゃんだったから、岸田さんと付き合ったって聞いた時は自分の耳を疑ったものだ。
だけど、岸田君と付き合ったのは自分の気持ちから逃げる為だった事を自覚していたからか、2人の関係は短い期間で終わりを迎えた。
今だから言える事だけど、あの状況で岸田さんはよくお姉ちゃんの背中を押せたなと思う。
岸田さんがずっとお姉ちゃんを想っていたのかは、有紀に協力してもらって平田の事を調べた時から知っていた。だからようやく手に入れたお姉ちゃんを手放して、間宮さんの元へ背中を押した事を知って驚いた。
それだけお姉ちゃんの事が好きなんだと理解は出来るけど、どう考えても私には真似出来そうにない。
ずっと苦しんでいた時に自分の立場なんて気にせずにお姉ちゃんに寄り添ってくれた岸田さんのとった行動は、本当にカッコいいと思う。だから、岸田さんにも幸せになって欲しいと強く願わずにはいられなかった。
そんな紆余曲折だらけだったお姉ちゃんと間宮さんだったけど、ついに間宮さんが行動を起こした。
新潟からお姉ちゃんに会いに来たのだ。
大事な話があるって言うからには、何をお姉ちゃんに伝えようとしていたのかなんて明白で、あの場にお姉ちゃんがいない事に心の中で空を仰いだものだ。
だけど、実はお姉ちゃんも行動を起こしていて友達とパジャマパーティーしてると思ってたら、お姉ちゃんとの電話を切ってからこっそりお母さんからお姉ちゃんは間宮さんの家にいる事を教えられて、柄にもなく身震いした。
電話を切ってから2人がどうなったのかは知らされていないけど、気持ちが盛り上がった2人が一つ屋根の下にいるのだから考えるだけ野暮なんだろうけど、もう気になって仕方がないのだ。
お母さんの話だどそろそろ帰ってくる頃らしい。わくわくが止まらない私だけど、そわそわしているお父さんを見ていると手放しに喜ぶ気持ちがちょっと萎んでしまう。
多分お父さんも気が付いているんだと思う。
だけど、頭ごなしに問い詰めようとしなかったのは、きっとお姉ちゃんの選んだ人が間宮さんだからだろう。
だって、大切な娘を命がけで守った人なんだもん。
複雑な気持ちはあるんだろうけど、どこか納得というか覚悟している――私にはそう見えたんだ。
「ただいまー」
そんな時、玄関の鍵を開錠してドアを開ける音と共に、お姉ちゃんの声が聞こえてきた。
私はその声に瞬時に反応して席を立って、パタパタとスリッパの音を鳴らして玄関にいるお姉ちゃんを迎えに行くのだった。
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