第4話 思いやりのカレーライス

 食堂が休みのある日の朝、私は市場に買い物に出ていた。市場は川沿いの開けた場所にあり、四角く立てた骨組みの上に白い布を被せたテントのような空間に机を置き野菜や肉などを並べている。


 ここへは食堂で使う食材を買う目的でリオルさんに連れられて何度も足を運んだことがあるから、今や見慣れつつある光景を尻目にして人混みをスイスイと歩いていく。食堂で提供する料理は頻繁には変わらないので、いつもなら決まったテントを決まった順番に回っていくのだが今日は違う。

 

「お昼ご飯、美味しいって言って喜んでもらえたらいいなぁ」

 

 ――そう、今日は私がお昼ご飯を作ることになっているのだ。


 きっかけというほどのものはないけど、食堂の営業日も休日もリオルさんかロウネさんにお昼ご飯を作ってもらっていたから、休日くらいは休んでもらいたいとの思いで私から提案したことだった。2人とも喜んで、楽しみに待っていてくれているから作り甲斐がある。

 

 私はいくつかのテントを回って、手早く新鮮なお肉に色や形の良さそうな野菜を買うと、今回の料理の決め手となる食材を扱うテントへと向かった。目当ての場所に近づくと、段々とエスニックな匂いが強く香ってくるようになる。


 そして着いた先のテントには全体的に茶系の実が乗せられた藁編みのカゴがズラリと地面や長机に並べられており、同じ色でパウダー状のものは壜に詰められて置いてある。テントの中で座っていた人が私に気付いて手を振った。 


 「いらっしゃい! お、今日は1人かい?」


 「おはようございます、デッツさん。今日は私だけなんです」

 

 この人はスパイス専門の行商人、デッツさん。多くの町を行き来して、その土地のスパイスを仕入れては色々な町で売って歩いているらしい。そのためか他のテントでは売られていない珍しいスパイスなんかの品揃えもあったりして人気があり、リオルさんも御用達ごようたしなのだ。


 私は藁のカゴの前にしゃがみ込んで、スパイスの吟味ぎんみを始める。どれにしようかと並べられているカゴの間で目を行ったり来たりさせたり、一生懸命に香りのチェックをしている間にも、主婦らしき女性たちが後から次々にテントに来てはスパイスを買っていく。

 

「ソフィアちゃん、今日はずいぶんと悩んでるねぇ」

 

 しかしそこそこの時間が経過しても、私はそんな主婦たちの即断即決の横でどのスパイスを買っていくかをウンウンと唸っていた。


「実は今日は私がお昼ご飯を作ろうと思ってるので、どういう組み合わせがいいかなぁと……」


「へぇ、そりゃ感心だね。スパイスを組み合わせて何を作るんだい?」


「えっと、カレーです」


 今日作ろうと思っているのは、私が両親譲りで大好きだったカレー。両親が健在の頃はよく一緒に作っていたから一番自信をもって食べてもらえる料理――だったのだが、心配事が1つだけあった。

 

「<かれー>? いったい何だいそれは?」


「……ですよね。やっぱりデッツさんも知らないですか」


 私の大好物である料理、カレー。しかし、どうやらこの世界ではカレーという料理が存在していないようなのだ。


 実は何度かリオルさんとロウネさんにカレーについての質問をしたことがあるのだけど、そんな料理は聞いたことがないと言われてしまった。もしかすると料理名が違うのかとも思って、調理方法や組み合わせるスパイスの話をしても通じず、それと同じ説明を不思議そうな顔をしているデッツさんにも行ったが、やはり首を傾げるだけだった。

 

「ソフィアちゃん、スパイスってのは肉や魚の臭みを消したり、料理に少し付け足して香りや味に深みを出すものだ。何種類ものスパイスをごちゃ混ぜにしちゃ、味も香りも分からなくなっちまうだろう?」


「うーん……私の元いた所では普通だったんですけど……」


「ふーん、そうなのか。地域によっちゃ変わった料理もあるもんなんだなぁ」


 そう言って、私が念入りに選んでいる光景をまるで珍しいものであるかなようににしげしげと見てくる。とても選び辛い。


(普段、自分で作るときはカレー粉やガラムマサラに頼り切ってたからなぁ……)


 カレーに使うスパイスとして基本的なものをミックスした調味料がカレー粉やガラムマサラだが、この世界にカレーという概念がない以上はそういった便利な調味料も存在しない。もう少しパパやママがスパイスを選んでいるところを注意深く観察していれば、と思うも後の祭りだ。


(カレーに必須なのはコレ、それに確かコレを入れてもよかったはず。他には……)


 いつまでもテント前に居座ってしまうのも迷惑だと思うので、自分の知識と記憶を必死に呼び覚まして考える。


(よし、多分これでいけるはず……!)

 

「デッツさん、この4種類のスパイスをください」


「はいよ、まいどあり!」 

 

 そうして私が無事に全ての食材を買った頃には、日差しはもうだいぶ高くなり始めていた。両手にいっぱいの荷物を抱えてもうこれだけで充分やりきった感が出てしまうが、しかし家に帰ってからが本番だ。


 私はリオルさん達が喜んでくれるだろうかと、今から胸を少しワクワクさせて帰り道を急ぎ歩いた。




※△▼△▼△※




「さてと」

 

 私はそう意気込むと腕をまくり、キッチンに向かった。台には玉ねぎ、にんじん、トマト、豚挽き肉と購入した香辛料各種が並んでいる。


 時刻はお昼ちょっと前、まさに今からお昼ご飯づくりに取り掛かるところだ。リオルさん達には1階の生活部分の居間でゆっくり待っててね、と話してあるがそれほど時間を掛けるつもりはない。今日作るカレーはかなり簡単に作れるお手軽カレーの部類なのだ。


 まず、粗みじんにしたニンニク2つと鷹の爪2つを油を引いた大き目のフライパンに入れて<加熱魔具>――火を使わずに熱することができる、いわゆるIHのようなものだ――を動かす。弱めで熱するように設定をした後、野菜を切りにかかる。


「はじめは玉ねぎ、っと」


 小さめな手の平に丁度良く収まるサイズの玉ねぎをみじん切りにする。買ってきてから冷蔵庫(もちろんこれも魔具)でちゃんと冷やしていたので玉ねぎ成分が目に染みることはない(常温保存だと目に染みてしまうのだ)。


 ボウルなどをいちいち使いたくないので、1玉みじん切りにしたらまな板の上の玉ねぎはそのままフライパンに投入した。3玉切ってフライパンに入れた後は、塩を3摘み程度入れて軽くかき回して、ここから飴色になるまで玉ねぎを炒めていく。


 その間、人参のみじん切りをしつつ、時折玉ねぎが焦げ付かないようにフライパンを動かす。人参を切り終わる頃には、玉ねぎが程よく飴色がかってきたので、またもやまな板の上から直接人参を投入。

 

 続いて大き目のトマトを2つ粗みじん切りにする。ナイフの切れ味が良いので、断面が潰れて無駄に水分を出してしまわずにトマトをカットできる。こちらも切り終わった端からフライパンへ投入し、そしてここからが大一番の香辛料による味付けだ。


「さーて、腕の見せ所だぞーっ!!」




◦―――――――――――――――――

 ★Memo

◦―――――――――――――――――

 ◍ クミン(パウダー)

◦―――――――――――――――――

  ・特徴:ザ・カレーの香り!

◦―――――――――――――――――


◦―――――――――――――――――

 ◍ カルダモン(パウダー)

◦―――――――――――――――――

   特徴:花のように爽やかな香り!

◦―――――――――――――――――


◦―――――――――――――――――

 ◍ オールスパイス(パウダー)

◦―――――――――――――――――

   特徴:甘い香りが食欲を誘う!

◦―――――――――――――――――


◦―――――――――――――――――

 ◍ カイエンペッパー(パウダー)

◦―――――――――――――――――

   特徴:いわゆる一味唐辛子!

◦―――――――――――――――――

  

 


 私は市場で買ってきたそれらの4つの香辛料をそれぞれ少しずつ入れていく。味付けは濃くはできるが薄くはできないというのが料理の基本。スパイスを入れてかき混ぜて、適宜味を見ながら足りないと思った種類のパウダーを加えていく。


 ただやはりカレーにも黄金比というものがあって、クミンは味のベースとなるスパイスだから多めに、その他のスパイスは味が際立ち過ぎないように、ということは心掛ける必要がある。


「うん、いい感じになったかな」


 後はまた適量塩を入れて、味と香りをチェック。ここまでの工程ですでにもうカレーの匂いしかしない。トマトの水分が飛び、ちょっとしょっぱいくらいに味が付いたタイミングでフライパンを熱の入っていない別コンロに移し、別のフライパンでひき肉を炒める。

 

 出てきた肉汁・油は少々もったいないが拭きとった。以前お肉を食べていた時に「好きだけど油に胃をやられてしまって、最近はよく食べられない」といった話をリオルさんから聞いていたためだ。肉全体に熱が通ったら先程横のコンロによけたフライパンのカレーと手早く混ぜ合わせる。


「……できた!」


 これで今日のお昼ご飯、『豚挽き肉のキーマカレー』の完成だ。


「よーし! ちょっと味見しちゃおう……」


 フライパンからスプーンですくって1口食べる。


「うん! よくできてるね、美味しい!」

 

 これは自画自賛になっちゃうのかもしれない、いやそれでも本当にいい具合にできている。

 

 ――そう思った直後だった。

 

 ブワァっと、身体中の毛穴が開いて、そこから蒸気でも噴出するような熱い感覚が私を包み込んだ。突然のことに驚いたが、しかしそれは決して嫌な感覚ではなかった。

 

 それどころか身体がやけに元気になって力が漲るような気がする。重力さえ感じられないような軽快感がして、今なら風を切ってどこまでも走っていけそうな気分。まるで全身が新しく強い細胞に置き換えられたかのような、そんな――


「美味しそうな匂いがしてきたのう」


 急に、後ろから声がした。振り向くと、独特な香辛料の強い香りと肉の焼ける匂いが届いからか、リオルさんが居間の方からやってきて厨房に顔を覗かせていた。

 

「あ……うん。とっても美味しくできたよ! 完成したから今持って行くね!」


「うむ。わしも少し手伝おう」


「ありがとー!」

 

 リオルさんがご飯を器に盛りつけてくれている間に、手早く自分の身体に異変が無いかを見て確かめるも変わった様子は見られない。

 

「ソフィアちゃん、これは平皿でいいんじゃろ?」


「う、うん。ご飯盛ってくれたんだね、ありがとう。後は私が盛りつけるね!」

 

 私は平皿の上のご飯の横にキーマカレーを盛りつけて、トレイの上に載せる。リオルさんはそこにスプーンを用意してくれて居間に持って行ってくれた。


「それにしてもなんだったんだろう、あの感覚。でも体調が悪いわけじゃない……どころかむしろ良いし、害はなさそうだよね」


 きっとこちらのスパイスの成分は前の世界のスパイスとちょっと違っていて、こういう効能があるのかもしれない。私は一旦そんな風に考えるに留めて居間に向かったのだった。

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