第12話 第七王女 2

 年齢は十歳を超えたくらいか。『おしゃべり妖精亭』のルルカナと近いだろう。


「顔のこと……驚きました?」


 少女がにっこり笑う。

 愛嬌のある丸い瞳に、薄い唇。けれど、白い肌に浮かぶ、渦巻く黒い紋様がとても目立つ。


「ナーシィ様はお部屋に引きこもり気味ですけど、悪い人じゃないんですよ」


 ミャナンが苦笑いしながらナーシィの隣に立って肩を寄せた。


「ハルマさんは、真面目そうな人ですから、ナーシィ様のご事情を伝えておいた方がいいかなって思いまして。それに……言いふらすような人でもないと思って……」


 言い淀むミャナン。ナーシィが一歩前に出て、紋様に触れる。


「ミャナンやアントレットを責めないでください。最初は隠すようにお願いしているのは私なので……その、昔、ちょっと嫌なことがあってから、顔を見せるのには慎重なんです」


 視線を合わせない第七王女は、わずかに体を震わせている。顔は青白く、ほっそりした腕は静脈が透けそうなほどの白さだ。

 僕は、素早く彼女に近づき尋ねた。


「その状態で立っていて大丈夫ですか?」

「……えっ?」


 黒い紋様の渦巻く顔が、不思議そうに変わった。

 ミャナンが何かに気づいたように、はっと目を見開いた。

 僕はナーシィの両肩に手を乗せた。彼女の体が強張ったことは気にならなかった。


「こんなにマナをため込んでいては危険です。すぐに、横になってください」


 慌てて彼女を抱きかかえて、ベッドにのせた。なされるがままのナーシィは口を挟む余裕もなく狼狽している。

 ミャナンが僕の隣に走り寄って、早口で尋ねた。


「体の状態がわかるのですか?」

「マナの状態はすべて見えています。でも、その話はあとにしましょう。今は先に何とかしないと――」


 僕は躊躇なく、ナーシィの衣服のボタンに手をかけた。

 白い衣装がはだけ、肩から上半身があっという間にあらわになった。


「やっぱり……体にも紋様があるのか」


 その言葉に、ミャナンがごくりと息を呑み、ナーシィが恥ずかしそうにあお向けから横向きになって背を向けた。


「もう一度上を向いてください」


 ナーシィの片腕を引っ張り、無理やり仰向けに戻す。

 そして、顔の真横に左手を。右手を彼女の腹部に軽く当てた。


「な、なにを?」

「黙って」


 僕はミャナンの抗議を聞き入れず、ゆっくりと体の中の魔力で通路を作り始めた。ナーシィの腹部――体の中央から、溜まりに溜まったマナを排出させる。

 今の彼女ははちきれる寸前の風船だ。

 一歩踏み出すたびに、あふれんばかりのマナが体内で揺れ動いている。

 先日、ラッセルドーンと戦ったが、普通は作り出されたマナは自然に放出するか、自分の意思で出すもの。

 でも、ナーシィの体からは何も出ていないのだ。

 こんなに溜めたものが、爆発する瞬間は想像したくない。

 だから、魔力操作を応用し、マナの通り道を作って外に強制的に放出する。

 これで、危険な状態は避けられる。

 ――はずなのに、


「この黒い紋様か……」


 肌を渦巻く紋様が形を変えた。蛇のように蠢き、腹部に集まってくる。

 なんだこれは。

 吸いだそうとするマナを必死に引きとどめようとする不気味な動き。


「あっ――」


 ナーシィが小さな唇をあけて苦悶の声を漏らした。額にうっすら汗が浮かんでいる。端整な眉が寄り、痛みをこらえるような表情。


「無茶はやめてください!」


 後ろで、ミャナンが叫んだが、僕は首を振って拒絶する。


「ほんとうに危険なんです。ラッセルドーンに匹敵するほどの量が溜まっているのに、この子はコントロールできていない」


 黒い紋様があざ笑うようにさらに集まってくる。

 腹部に盾を作り上げるような行動。意思を持つ紋様は、ただの病気ではなく呪いに近いことを示している。

 けれど、それならやりようはある。

 どんな呪いか知らないが、マナを力の源にする呪いであることに変わりはない。


「――邪魔をするな」


 小さなつぶやきと共に、腹部に当てた手に大量の魔力を込めた。

 ナーシィの肌を傷つけないよう、慎重に黒い紋様を浸食していく。

 紋様が嫌がるように手の下から逃げ出した。異質な力の波動に耐えきれなかったのだろう。

 途端、ナーシィの体からマナが流れ始めた。僕の腕を伝うようにして、逆の手を通ってベッドの上へ。

 一気に流せば、部屋が吹き飛ぶほどの量。ミャナンだって危ないだろう。

 部屋には風が巻き起こり、窓際の背の高い置物が音を立てて落ちた。

 すごいマナの量だ。


「楽に……なってきた……」


 いつの間にか、ナーシィがこっちを見ていた。前髪が額に張り付くほどの汗をかいている。

 体は力なくゆるみ、頬が赤く染まっている。

 と、小さな両手が、僕が当てている手にのせられた。

 にこりと花が咲いたような顔が浮かんだ。


「ハルマ、ありがとう……」

「これで、しばらくは大丈夫だと思う」

「うん……今までで一番楽かも」

「それは良かった。よくこんな状態で耐えていたね」


 ナーシィは「いつものことだから」とつぶやき、首だけ回して、真横に置かれた僕の左手を見つめた。


「ここから、すごいマナを感じる」

「右手から左手に流してるんだ。全部、君のマナだよ。もう少しで、危険な量から下がるから、しばらく我慢して」

「うん……」


 ナーシィは微笑を浮かべて目をつむった。

 その顔は、とても心地よさそうだった。

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