第9話 管理者のたくらみ

 気が遠くなるほどの浮遊感。

 耳をなぶる豪風と水しぶき。

 千メートル級の落下。途方もなく恐ろしい時間――のはずが、気づけば草木が生い茂る丘に着地していた。


「あれ? もう着いた?」

「ハルマ、俺が最奥の扉を開けたんだ」


 ポケットでプニオンが震えている。

 『終極の鍵エニュプニオン』が力を使ったのか。


「さすがに、見ていてかわいそうだったから勝手に開けたぞ」

「いや……助かったよ。死ぬかと思った……落下は、二度と経験したくない」

「人前で話せないってのは、ああいう時はどうしようもない」

「わかってる。話さないよう頼んだのは僕だ。とりあえず、ほんとに助かったよ」


 ふわふわとした感覚の膝を叱咤して、ゆっくり立ちあがる。

 小さな丘は円状だ。

 見上げても滝は見えない。話には聞いていたけれど、ダンジョンの最奥は異世界というのはほんとらしい。


「お兄ちゃん……早かったね」


 背もたれの無い木製のベンチに、リンゴナが座っていた。細い足をぷらぷらと揺らして驚いている。


「まあ、僕にも裏技があるから」

「ふーん……ありがと」

「ありがと?」

「管理者になってくれて」

「副な。正管理者はラッセルドーンだろ」

「うん。でも、賊もやっつけてくれたし、ありがと」

「飛び降りの恐怖に比べれば、大したことないよ。ところで、これで手続きは終了かい?」

「そうだよ。『管理者の部屋』に入ったから、ちゃんとお兄ちゃんも権利を得られた」

「それは良かった。じゃあ、僕はこれで帰るよ」

「ええっ! せっかくダンジョンの最奥に来たのにもう帰るの? あっちにはアップルパイの木だってあるし、コンポートだってジャムの湖もあるのに……外に出回ってるものより、ずうっとおいしいよ」

「僕は副管理者だからね。ラッセルドーンに許可ももらってないし、遠慮しとくよ」

「お兄ちゃん……欲無さすぎ」


 どこから取り出したのか、リンゴナが薄く切ったリンゴを口に運ぶ。

 しゃくしゃくと小気味良い音が響いた。


「じゃあ、せめてこれ持ってかえって。ダンジョン管理者の私からのプレゼント」


 リンゴナは近くの木になっていた金色のリンゴをもぎとって僕に渡した。大きさは拳大で小さいけど、ずしりと重い。


「一個くらいいいでしょ? で、気に入ったら今度は取りにきて。待ってるから」

「うん、ありがと……リンゴナって、ここにずっと一人で住んでるの?」

「……そんなこと聞いたのはお兄ちゃんが初めてかな」

「ごめん……」

「別に退屈じゃないんだよ。ダンジョンだから人が来るし、賊みたいな変わったのも来て、それを捕まえようとする探闘者たちの戦いを見届けて、リンゴの管理をして……って。でも……たまーに来てくれたらうれしい……かも」

「わかったよ。必ずまた来るよ」

「ほんと?」

「うん」

「じゃあ、もう一個あげる」


 リンゴナは嬉しそうに金のリンゴをさし出した。僕は彼女の頭をなでて、ストレージにリンゴを収納する。

 驚いた顔を見せた彼女に、秘密だよと目配せした。


「ハルマって、秘密がいっぱい」

「ダンジョンほどじゃないさ。じゃあ、またね」

「うん」


 僕は頭上に視線を向けて「リタイア」と口にする。

 体が白い光に包まれ、リンゴのダンジョンの入り口に立っていた。


「ようやく終わりかあ。どうなることかと思ったよ」

「そういやハルマ、報酬はもらったのか?」

「『おしゃべり妖精亭』に送ってもらうように頼んでる。でも、依頼は賊を捕らえることだった。しまった……入口までみんなを護衛した方が良かったかな」

「首謀者の武器まで砕いたんだし、大丈夫だろ。ヘンディたちも強そうだしな」

「それはそうだけど、依頼は依頼だから、しばらくここで待とう。何かあったら『リタイア』で出会えるだろ」


 「律儀だな」と苦笑するプニオンに、「見届けたいだけだよ」と返した。

 全員と出会えたのは、それからだいぶ経って夜だった。



 ***



「――以上が、今回の顛末です」


 ヘンディがかかとを揃えて室内で報告する。

 相手はもちろんラッセルドーンだ。

 数々の宝石ダンジョンに加え、食料系のダンジョン。そして武器や魔術のダンジョンも手中にしている有名人だ。

 濃い茶色の髪を丁寧に整え、口ひげをたくわえた顔は凛々しく、体つきはがっしりしている。

 スプライトの濃紺のスーツにワインレッドのネクタイ。

 四十歳中盤にはとても見えない男だ。

 ラッセルドーンは目尻を下げて笑う。


「ヘンディ、良いところなしだな」

「まったく、返す言葉もございません」


 ヘンディは深々と頭を下げた。

 ラールセンに何かあってはならない。そのために側近の中で腕が立つ探闘者をつけたのだ。

 しかし、その側近は初歩的な幻惑のリンゴの影響を受け、為す術なくオアシスに走ってしまったという事態。

 サポートにつけた探闘者たちも同様だ。


「罰として、明日の食事をリンゴ一個とする。他の四人もな」

「謹んでお受けします」

「まあ、お前たちはその程度でいいとして、問題は勝手に女を連れ込んだバカの方か。あれはどうしてくれようか」

「穏便な措置を……」

「ヘンディ、思ってもないことを言うな。あれだけダンジョンに連れていって、まだ危険がわからんとは。きつい罰がいるな。ダイヤモンドのダンジョンに一日放り込むか」

「ご冗談を。坊ちゃんの実力では竜の巣で一時間も持ちません」

「まだその程度か……まあいい、あれの罰は考えておこう」


 ラッセルドーンはそう言って、おもむろに立ち上がってヘンディに近づいた。

 はきはきしゃべっていた彼の声が小さくなり、口端が上がる。


「ウインドは、どうだった?」

「おもしろい人物でした。捕まえたガイルの武器も見てのとおりです」

「窓口の男にはだいぶ渋られたが、接点を作るために金を積んだかいはあったな。ヘンディ、私と――どっちが強いと思う」

「正直なところ、わかりません。ウインドもまったく力を出していなかったようですから」

「そうかそうか。それは楽しみだ。だいぶ若そうだと言ってたな?」

「おそらくは、坊ちゃんと同じくらいかと」

「ほう……それは将来有望だな」


 ラッセルドーンは嬉しそうに笑みを浮かべて、部屋の扉を押した。


「どちらに?」

「リンゴのダンジョンだ。リンゴナの意見を聞いてくる。俄然興味がわいてきた」

「武器はいりませんか?」

「いらん」



 ***



『ダンジョン維持機関:ホープ』の職員はひどく慌てた。

 目の前にラッセルドーンを名乗る男が現れたからだ。茶髪にトレードマークの口ひげと赤いネクタイ。間違いなく本人だ。

 書類でしか知らない有名人は、威風堂々と「入るぞ」と言い残し、風のごとき速度で消えた。

 魔力もマナも全身に行き渡らせる精度で強さが変わる。

 ラッセルドーンほどになれば、髪の一本一本すらマナで操ることが可能だと言われる。


「リンゴナめ、手を抜いているな」


 スーツ姿の男は、突風を巻き起こしつつ駆ける。草花のエリアを抜け、林を抜け、砂漠を抜けて、たちまちオアシスにたどり着いた。

 その最中に一個だけ緑のリンゴをかじり、瞬く間に食べきると、「ふん」と鼻を鳴らして、崖に足をかけた。

 躊躇のない跳躍。

 水しぶきの中を、悠然と飛び降り、落下中も腕組みをする余裕だ。

 頑丈そうな銀色の二枚の扉が真下に見えた。

 管理者を受け入れようと、素早く開いて中に誘う。


「最奥は、いつも通りか」


 ラッセルドーンは周囲を見回し、つかつかと丘の上でベンチに座る少女を見やった。


「何しにきたの?」


 つっけんどんな態度に、ラッセルドーンは肩をすくめる。

 わずかに濡れたスーツの水滴を取りだしたハンカチで押さえ取る。


「賊を追い払いに」

「遅い」

「そう言うな。私も数々のダンジョンを抱えて忙しいのは知っているだろ?」

「それなら、前にも言ったとおり、さっさと放棄して」

「分かっている。すぐにでも息子に譲って管理者を任せる」

「ラールセンじゃだめ」

「あれでも私の息子の一人だ。将来、強くなる」

「…………じゃあ、今、ここで息子に譲って」

「ここで?」


 リンゴナの瞳が鋭くなる。

 ラッセルドーンは首をかしげた。彼女の希望は再三聞いている。何度も足を運ぶように要求されているのだ。

 しかし、ラッセルドーンは数々のダンジョン管理者を相手にしているためになかなか手が回らない。

 緊急性の高い要求から順に応える必要があるからだ。

 その点、リンゴナの要求は、「最近、客が少ない」とか「リンゴへの感謝が少ない」とか先送りして問題ないものばかりだ。


「今さら、そんなに急ぐのか?」

「あとで譲るつもりなんでしょ? なら今でもいいでしょ」

「それはそうだが……」


 ラッセルドーンは腕組みしてしばらく考え込んだ。

 ラールセンは譲られたと言えば喜ぶだけだろう。モンスターのいないダンジョンは比較的安全で、管理者の練習にはなるだろう。

 特にデメリットはないか。


「わかった。譲ろう」

「ほんと!? じゃあ、早速放棄して! わかってると思うけど、管理者を放棄してから、譲る、の流れだから」

「知っている。『ラッセルドーンは今ここで、リンゴのダンジョンの管理権を放棄する』。そして――」

「やった! ありがと! もうそこまでで大丈夫だから!」

「は?」


 リンゴナが立ち上がって手を叩く。

 ダンジョン最奥の空が真っ白に染まった。ダンジョンが管理者の意思を受け止めた証拠だった。

 そして、周囲を覆い尽くす綺麗な声が響く。


 ――当ダンジョンの正管理者が、権利を放棄しました。権利第二位の副管理者が繰り上がります。


「やった! やった! ハル……ウインドになった! やった!」

「……なんだと?」


 ラッセルドーンは目を見開いて頭上を見上げた。

 真っ白な光がゆっくり溶けて消えていく。

 これはダンジョンの意思。どうあってもひっくり返すことのできない決定事項だ。

 賢い彼は、小さくうなった。

 一体何が起こったのか、予想はついた。


 ――リンゴのダンジョン管理者が、自分からウインドに変わった。


「リンゴナ……やってくれたな」

「他のダンジョンばっかり相手にしてるからこうなったの」

「ウインド……私と互角と言われるやつか」


 リンゴナがにんまりと笑みを浮かべる。

 しばらく忘れていた。見かけにだまされてはいけないのだ。ダンジョンの支配者ともダンジョンそのものとも言われる彼女たちは、みな一癖ある者ばかりなのだ。年齢も思考も不明。

 協力者とあなどってはいけないのだ。


「お兄ちゃんはすごく強いよ。どうする? 決闘で取り戻す?」

「……そこまで見越してウインドを引き込んだのか。他の探闘者なら声をかけるだけで即座に私に返しただろうに」

「一目でわかったの。お兄ちゃんは、ラッセルドーンに引けをとらない人だって。いいでしょ? あなたにとったら、たくさん持ってるダンジョンの中の一つなんだから。もう……金のリンゴになんか興味ないでしょ? 食べあきたでしょ? だから……」

「それを決めるのは私だ。……『リタイア』」


 ラッセルドーンの体が白い光に包まれて、その場から消えた。


「お兄ちゃん、ごめんね……」


 リンゴナが所在無さげに足を揺らして、ぽつりとつぶやいた。

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