22 願いを叶える幻の花

 朝食の前に、私はお兄様の部屋を訪ねた。ユベールはすでにどこかへ行ってしまったようで、部屋にはお兄様だけがいた。


「おはよう、レティシア。ユベールはきっと、庭のどこかにいるよ」


 お兄様は読んでいた本を閉じると、私を見て言った。


「ちょうどよかったわ。お兄様に教えてほしいことがあったの」

「なんだい?」

「魔物が退治できたら未来に戻るってユベールは言ってたんだけど、本当にそんなことができるのかしら? 魔物を倒すことで未来は大きく変わるだろうし、百年後に戻ったところで、ユベールのまったく知らない世界が待っているだけなんじゃないかって心配になって……」


 昨日の夜ユベールの話を聞きながら疑問に思ったが、なんだかユベールには聞きづらくて尋ねることができなかった。私でもすぐに疑問に思うことを、ユベールが気づかないとは考えにくい。


 お兄様は難しい顔をして黙ってしまった。私の質問に対する答えを知らないのであれば、すぐに「知らない」と答えるだけでいい。どう答えようか迷っているということは、知っているけれど、私にはあまり伝えたくないということだ。


「お兄様、お願い。事実をありのままに教えてほしいの。私のためを思って話さないでいてくれるんでしょうけど、私は知りたいのよ」


 お兄様はしばし沈黙したあと、観念したように重い口を開いた。


「……ユベールが百年後に戻ることはないよ。彼は時空を超えて過去に来た代償で、そう遠くない未来に消えてしまうからね」


 聞く前からなんとなく答えは想像できていたが、実際にお兄様の口から言われると胸が痛かった。

 時空を超えた代償でユベールが消えるということは、未来から一緒に来たグラディウスは先に未来へ帰ったわけではなく、すでに消えてしまったということだ。

 お兄様は、私が傷ついているのではないかと、心配そうな顔で私を見ている。


「ユベールが消えるのを防ぐ方法はないの?」

「……ほぼない。――ユベールはきっと、魔物さえ退治できたあとであるなら、消えることを受け入れていると思うよ」


 お兄様は、私がこの件に関わることを好ましく思っていないようだ。方法はない、と断言してくれればいいものを、ほぼない、と答えるのは、私に正直であろうとする、お兄様なりの優しさなのだろう。


 ユベールのことだから、時空を超えることの代償を知り覚悟したうえで、こちらの世界に来ている。実際に私は、ユベールに「消えたくない、助けてくれ」と頼まれたわけではないのだから、ユベールの覚悟に私が横から茶々を入れるのは、野暮なことのように思える。


 ユベールが消えてしまうことは私の中では受け入れがたく、できることなら消えないでほしい。だけどそれは私の願いであって、ユベールの願いでもあるとはかぎらない。

 きっとユベールの願いはただ一つ。――魔物を退治し、人々が魔物を恐がらなくてすむ世界をこの先もずっと維持すること。それ以上のことは望んでいないだろう。


「――分かったわ、私、この件に関してはユベールを見守ることにする」


 ユベールが私に知られたくないと思っている以上、ユベールの優しさを尊重して、私も知らないふりを続けることにした。

 私の言葉を聞いて、お兄様はほっとしたようだ。

 私はその隙を見逃さなかった。


「だけど、消えるのを防ぐ方法は教えて。ただ知りたいだけよ。私、本当に何もしないから」


 本当に何もしないから、と強調したのがよくなかったのか、お兄様は困ったように笑った。今までの経験から推測するに、この顔は私の言葉を信じていない顔だ。


「いいよ、教えよう。教えたところで、レティシアにはどうしようもないだろうからね」


 お兄様は私をあおり立てるかのように言う。そんなふうに言われると、何としてでもその方法を試したい気持ちになってくる。


「この島には、どんな願いでも叶えることのできる花が、百年に一度咲く。その花であれば、ユベールが消えることを防ぐことができるかもしれない」

「百年に一度って、次に咲くのはいつ?」


 私は身を乗り出してお兄様に聞いた。


「はっきりした日は分からないけど、おそらく近いうちに咲くよ」


「その花はどんな見た目をしているの?」


「花は咲くたびに姿を変えるから、次にどんな姿で現れるかは私にも分からない。道端によく咲いているような野花と同じ見た目かもしれないし、いかにも幻の花と言うにふさわしい美しい姿をしているかもしれない」


「どういう場所に咲くのかしら? 森の中?」


「咲く場所も特には決まっていない。普通の花が咲くように、土から芽吹くともかぎらない。そして咲いているのは、たったの三日間だけだ。――だから私たちは、その花を自分から見つけ出すことはできない。花自身が願いを叶えたいと思った人間がいた場合にのみ、自分から姿を現すんだ。私たちはその花に声をかけられることを、ただ待つことしかできないんだよ」


 お兄様は、探したいのならどうぞ自由に探してごらん、と幼い子供の挑戦を見守る親のような目で私のことを見ている。

 魔物退治が一段落ついたら、ユベールと二人でその花を探してみるのもおもしろいかもしれない。未来に帰る前に、何でも願いを叶えてくれる花を一緒に探してほしいとユベールを誘ってみようと思った。


 魔物退治という彼の願いが叶ったあと、もう一つ願いが叶うとしたら、いったいユベールは何を望むのだろうか。「自分が消えないこと」は、決してお願いしないだろうな。それをお願いするような人であったら、自分の身を犠牲にしてまで過去には来ないだろうから。


「その花は百年に一度、必ず誰かの願いを叶えてくれるの?」

「願いを叶えたいと思う人が見つからなければ、その花は人知れず咲くだけだよ。自分が眠っていた間にこの島に何が起こったのか観察して、そしてまた眠りにつく」


 幻の花についてここまで詳しいのは、お兄様が人間ではないからだ。

 人間でこの花の存在を知ることができるのは、実際に願いを叶えてもらった人だけだ。

 百年という長い期間に一度しか咲かないのだから、生きている間に出会えるのは多くても一回。

 花の存在を知っている人に、花はどんな見た目? どこに咲く? と聞けば、自分が実際に見た花の特徴と、場所を言うだろう。どれくらいの頻度で咲くかなんて、語れるわけがない。


 本当に人間のふりをする気はあるのかと、お兄様を疑いたくなる時がたまにある。だけど私が、人間はそんなふうに振る舞わないよ、なんて指摘をすると、きっとお兄様は銀の鳥に戻って私の前から姿を消してしまうのだろう。お兄様ともう少し一緒にいたい私は、お兄様の下手な人間のふりをひやひやしながら見守ることしかできない。


「そうね、魔物退治が終わったら、その花を探してみようかしら。願いを叶えてもらわないにしても、一度目にしてみたいわ」

「どうぞご自由に。でも、あまり遠くには行かないようにね」


 お兄様は立ち上がると、そろそろ朝食の時間だよ、と言った。時計を見ると、もうすぐ七時になろうとしていた。

 私はお兄様の後について、部屋を出た。


「私、朝食を食べ終わったら、ユベールと一緒にリーヴェスの家まで行こうと思うの。昨日も私、途中で倒れてしまったから、リーヴェスが仕事に行く前に少し話せないかと思って」


 その日に何をする予定でいるのか事前に教えてほしい、と二日前の夜――リーヴェスを浄化して倒れた日の夜――にお兄様から言われていた。私のことが心配でたまらないらしい。

 お兄様はリーヴェスという名前を出した途端、顔をこわばらせた。数秒黙ったあと、言いにくそうに口を開く。


「レティシア、悲しまずに聞いてほしいんだけど……リーヴェスはお前を危険に巻き込みたくないから、もうお前とは会う気がないと昨日言っていたよ」


 私が人生で一番ふさぎ込んでいた時期を知っているせいか、お兄様は必要以上に私のことを心配する。私はもういつ結婚して家を出てもおかしくない年頃なのに、お兄様は今でも私を幼い子どものように扱ってくる。

 お兄様の視線に、私は笑顔で返した。心配しないで、という意味を込めて、私はお兄様の肩をぽんぽんと叩く。


「教えてくれてありがとう。だったらなおさら、私の方からリーヴェスに会いに行かなきゃね。リーヴェスの方からはもう会いに来てくれそうにないんでしょ」


 「おはよう!」と元気よく言って、私は食堂の戸を開けた。すでに席についていたお父様も、大きな声で「おはよう」と返してくれた。後ろからは、なぜかお兄様のため息が聞こえてくる。

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