第一章 レティシアの物語(1)

05 優秀で優しい兄

 気がつくと、私、レティシアは自分の部屋のベッドの上にいた。


 窓の外を見ると、日が沈みかけている。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。森での現実離れした出来事は、すべて夢だったようだ。


 いつも通り平和な日々が続くと思うと安心できたが、未来から来たと言う自分の子孫が夢だったというのは少し残念に思えた。


 ベッドから起き上がろうとしていると、部屋の戸がトントンと鳴った。

 心配そうな顔をして、カーティスお兄様が部屋の中に入ってきた。


 お兄様は貴族が通う学校で優秀な成績を収めたことが評価され、数年前から第三王子の教育係として働いていた。いつもは日が暮れてから家に帰ってくるので、こんな時間に家にいるのは珍しい。


「レティシア、体の具合はどう? もう大丈夫かい?」


 お兄様はそう言うと、ベッドの脇に置かれている椅子に腰を掛けた。


「私、昼寝をしていたんじゃないの?」


 もしかして、森での出来事は夢じゃなかった?

 私は驚きながらお兄様に確認すると、


「何を言っているんだ。森で倒れていたそうだよ。紫の目をした青年がレティシアをうちまで連れてきてくれたらしい。――いったい、森で何があったんだ?」


と、お兄様が険しい表情で言った。いつも笑顔を絶やさない優しいお兄様が、険しい顔を私に見せることなどめったにない。


 森での出来事は、どうやら夢ではなかったようだ。


 私はお兄様に、黒くて大きな生き物を森で見たこと、黒い生き物と一緒にいた男性に命を狙われたこと、危ないところを未来から来たと言う紫色の目をした青年に助けてもらったことなど、森での出来事を一から話した。

 にわかには信じがたい話だが、お兄様なら否定せず聞いてくれるだろうと思った。


 私は幼い頃から、その日にどんなことをしたのか、一日の終わりにお兄様に話す習慣があった。明らかに私が悪いことをしたような話でもお兄様は私を否定したことがなく、どんな話でも受け入れてくれていた。


 ただ、恋愛の話だけは今までしたことがない。


 私から話すのは恥ずかしかったし、お兄様自身も恋愛話を避けているように見えた。


 お兄様は私やお父様に似ず、非常に整った顔立ちをしている。うちで働いている女性たちから人気があるのはもちろん、仕事先である王宮でも多くの侍女たちから好意を寄せられているらしい。


 お父様はお兄様に「誰か仲のいい女性はいないのか?」とよく聞くが、お兄様はすぐに話をそらしてしまうし、縁談話が来ても、相手に会う前に断ってしまう。


 お兄様は女性から人気があるものの、私はお兄様が女性と二人で楽しそうに話す姿を、今まで見たことがなかった。


 だから、私から恋愛話をお兄様にするのは気が引け、森での出来事を話すうえでリーヴェスという人を惚れさせろと言われたことだけは伝えなかった。


「喋る剣って、もしかしてグラディウスのことか?」


 グラディウスのことは「喋る剣」としか話していなかったのだが、さすが博識のお兄様、グラディウスを知っているようだった。


「お兄様、何でも知っているのね。その通りよ、グラディウスって言ってたわ」


 そう言って私が尊敬の目でお兄様を見ると、お兄様の険しかった顔が一瞬ほころんだ。しかしすぐにまた、難しい顔に戻る。


「できたらそいつらには関わってほしくないんだが……。レティシアはどうしたいんだ?」


 お兄様が心配そうな顔で私を見てくる。お兄様は自分の考えを私に押しつけるようなことはしない。いつも私の考えを尊重してくれていた。

 私は迷わず答える。


「私にできることがあるのなら、力になりたいわ」


 お兄様は私の目をじっと見たまま黙っていたが、小さくため息をつくと、ポケットの中から銀の羽根の髪飾りを取り出した。

 私は慌てて自分の髪を確認する。身につけていたはずの髪飾りがなくなっていた。


「道に落ちていたよ」

「ごめんなさい、気づかなかったの……」


 その髪飾りは、お兄様からもらったものだ。お兄様の髪の色と同じ、綺麗な銀色をしていて、羽根は光が当たると七色に輝く。お守りだから、肌身離さず持っているようにと、私はお兄様から言われていた。


「おてんばもいいけど、この髪飾りだけは絶対に落とさないように注意するんだよ。レティシアが危険な時、この羽根がきっと守ってくれるから」

「はい、ごめんなさい……」


 お兄様は私の手のひらの上に髪飾りをそっと置いた。受け取るとすぐに、私は自分の髪に指す。


「父さんが今外出しているから、夕飯は少し遅くなりそうだ。コレットが呼びに来るまで、部屋で休んでていいから」


とお兄様は言うと、部屋から出て行った。

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