第13話 恐ろしい物

ヴァルハラ領

「アーカス子爵家から、正式に婚姻の断り書がきたわ」

執務室では、エリザベスがうれしそうにしている。それに対して、エレルは複雑な表情を浮かべていた。

「まさか、借金に身を守られるとは……」

「あははっ。サクセスに助けられちゃった」

自分が借金まみれであることを、女王に公認されてしまったというのに、エリザベスの顔は明るい。

「でも、これでお嬢様に悪い評判が広まってしまいます。借金を持っていることが貴族に広まったら、婿が来なくなって……」

「大丈夫よ。あてはあるもん」

エリザベスは、余裕たっぷりに隣で黙々と書類仕事をしているサクセスに視線を向ける。

「借金金貨10万枚がもれなくついて来る聖女様を、引き取ってくれる金持ちは王国にも数少ないだろうな。心あたりを探してみるか」

「またまたそんなことを言って。ま、そんな奇特な人が出るまで、よろしくね」

「ああ。しっかり借金は返してもらうぞ」

ヴァルハラ領の聖女と御用商人は、金貨10万枚の借金という強固な絆で結ばれるのだった。


真冬が過ぎて、少しずつ温かくなってきた頃、サクセスがエリザベスに提案する。

「さて、交易ルートも確保したし税収も増えた。領内には職人や兵士、労働者も確保した。本格的に王都から交易商人たちが来る前に次の段階に進めよう」

「次の段階?もっと豊かになれるの?」

エリザベスが期待した目をサクセスに向けるので、エレルは慌てて間に入った。

「お嬢様。もういいではありませんか。以前よりは豊かになったんだし、これ以上何かしなくても」

そう諌めると、サクセスに向き直る。

「サクセス、あなたは家宰の地位にいるとはいえ、平民ですよ。これ以上お嬢様をないがしろにするようなことは……」

「ないがしろになんかしてないぞ。だからちゃんと説明しているだろ。いずれこの領にはとんでもないモノが押し寄せてくるんだからな。それから身を守る必要があるんだ」

サクセスは恐ろしそうな顔になった。

「とんでもないモノ、それは何ですか?」

胡散臭そうな顔になるエレルに、サクセスはそれを見せた。

「国が発行している金貨と銀貨ではないですか」

「そうだ。王都から商人が来るということは、これが領内に入ってくるんだ」

今まではヴァルハラ領は王都から離れた辺境の地で、特に特産品もなかったので交易ルートから外れていた。領内で流通していたのは麦で、それが貨幣の代わりになっていたのである。

「商人が紙を買いつけに来るのに、手ぶらで来るわけがない。当然何か品物を持ってきて交易しようとするだろう。彼らが民にそれを売るとして、要求する代価は何だ?」

「それは……お金ですけど」

「でも、庶民は現金をもってないよなぁ」

サクセスの言葉に、エレルは頷く。

「売る商人たちだってそんなことは百も承知だ。それでも少しでも商売をしようと思ったら、どうする?」

エレルは少し考え、はっとなる。

「最初に民から麦を買い取りお金を支払う。そしてそのお金を品物を民に売ることで回収するということですか?」

さすがに領の中心である町においては、現金も少しは流通していて住民たちもその価値を知っている。商人たちが「品物」という対価を差し出せば、この取引に乗ることは予測がついた。

「流通が整備され商取引が活発化すればするほど、現金の価値と利便性が広まる。やがて町の住人だけではなくて、村の者たちも貨幣価値というものを理解するだろう」

現金は麦と違って腐らず、軽くて持ち運びに便利である。しかも『価値』を蓄積してくれるのである。

今までは使う場所がないという一点だけで領内に広まってなかったが、商人が来るようになったら一気に貨幣経済が浸透するだろう。

「でも、それの何が悪いことなのですか?」

エレルがわかってないみたいなので、サクセスはため息をついた。

「現金の価値が民の間に広まるということは、それを武器にできるんだ。ヴァルハラ領を支配したいと思うほかの領主や大商人が、金をばら撒いたらどうするんだ。民は簡単に新しい支配者になびくようになるぞ」

そういわれて、隣のアーカス領からちょっかいをかけられたエリザベスが震える。

「今回、俺はお前の借金額を公表してしまった。言い方を換えれば、『聖女』という本来プライスレスのブランドに値をつけてしまったんだ。金貨10万枚払えばお前が手に入ると思われたら、どうする」

「そんなの嫌よ!」

「そうならないために、ある程度外圧をブロックする必要があるんだ」

サクセスの言葉に、エリザベスとエレルもうなずく。

次の日、その対抗策を作っているというゴールドマン商会に視察に赴くのだった。


ゴールドマン商会の工場

職人たちが総出で白い『貴公紙』を運んでいる。それは技術村かで作られた横長の長方形をしたもので、大小3種類が作られていた。

「この紙を、『印刷』する」

基盤となる木の板にインクが付けられ、そこに紙を押し付けていく。

それらを色と柄を変えて何工程も繰り返すと、複雑な絵が描かれていった。

「できたぞ。これが『麦札』だ」

印刷された貴公紙の大きい紙には『100ライ札』という数字とエリザベスの顔、中くらいの紙には『10ライ札』という数字とサクセスの顔、そして一番小さい紙には『1ライ札』という数字と麦の絵が描かれていた。

ちなみに、「ライ」とは国で使われている麦を計る単位である。

「麦札?なにそれ?」

エリザベスが不思議そうな顔をしているので、サクセスは説明した。

「要するに麦の引換券だ。これをもってきたら、記載された量に応じた麦を手渡すといったものだ」

サクセスが採用したのは『麦本位制』である。そのままではただの紙であるお札に、麦の引き換えを保障することで『信用』を付けたのだ。

「元々、ヴァルハラ領では兵士や小作人、労働者への報酬はすべて麦の現物支給で行われているが、これからはこの「麦札」で行うことにする」

「でも、その人たちはちゃんと受け取ってくれるかしら」

その疑問に、サクセスは自信満々に答える。

「問題ない。麦札の兌換性―いつでも使える場所さえ用意しておけば、ちゃんと信用してくれる。というわけで、ヴァルハラ領の町、五つの農村、技術村、エルドリン村、スネークバード平原、そして港村ロッテルダムに、交換所を開くからな」

「わ、わかったわ」

サクセスの勢いにおされて、商会の新たな店の出店を許可するエリザベスだった。

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