はたらかない息子

佐藤 交(Sato Kou)

第1話

 二階への階段をのぼり、静かに扉を開けると埃っぽい匂いがうっすらと香った。入り口から見える六畳ほどのフローリングの部屋は、匂いの感触に反して存外明るく、物も整理されさっぱりと片付いている。どこか殺風景なその部屋は数年前に俺が居た実家の部屋とどことなく似ている気がした。

 部屋の奥の机でオフィスチェアに座りノートパソコンのキーボードを叩いていた晴文(はるふみ)が、ヘッドフォンを外してこちらを振り向いた。もうビデオカメラを向けられるのにも慣れたようで、表情に当初みせていたような過分な緊張は見られない。

「ちょっと遅かったね」

 晴文が眼鏡の奥の眼を細め、小さく笑みを浮かべて言った。

「すまん。ちょっと家を出るのが遅れちゃってさ」

 カメラの小型モニターの中に映る、どこか希薄に感じられる晴文の姿を見つめながら答える。

「ううん。逆にちょうど良かった。今メールチェックが終わって、これから車で出ようと思ってたところだったから。一緒に行くでしょ」

「もちろん。最近やけに頑張るな」

「次はいよいよ本命の面接だし、亮平(りょうへい)のためにもそろそろ決めないとだからね」

「なんだか急かしちゃってるみたいで悪いな」

「いいって。こっちも期限があるのわかってて引き受けたわけだし、それが亮平の仕事だろ」

 晴文は立ち上がりこちらに背を向けてそう言うと、押し入れを開けてハンガーにかけられたスーツとワイシャツを取り出して着替え始めた。部屋の奥の窓からは外の明るい陽射しが差し込み、逆光になった晴文の後ろ姿に濃い影が落ちる。俺は微かに胸の疼きを憶えながら、まだどことなく不慣れな手つきで正装に着替える晴文をモニター越しに眺め、その姿を息を潜めて記録した。


 俺がこうやって地元に足繁く通い、晴文の撮影を始めたのは二ヵ月前の四月。ドキュメンタリー番組の取材対象さがしが難航していた時、地元が同じ友人から聞いた晴文の話を思い出し、ダメもとで取材を依頼したのがきっかけだった。

 あまりに唐突な依頼に晴文も始めは難色を示していたが、急遽こちらから予定になかった晴文にも利点のある企画を提案することで、何とか出演を承諾してもらった。それ以来、時間の都合をつけては東北にある地元の街に足を運び、晴文の私生活を撮影している。

「それにしても『働かない若者たちの実態』って今どきスゴい直球なタイトルだよね」

 右横に座る晴文がおもむろに言った。

 ぼんやりしていた俺はその声で我に返り、慌てて周囲を確認する。気がつくと窓の外の景色はマンションやビルが建ち並ぶ市街地の街並に変わっていて、車が目的地にほど近い交差点で信号待ちをしていることがわかった。

「ほぼ十数年ぶりに駅の喫茶店で再会して、いきなりそのタイトルの無職の若者を取り上げる番組に出てくれって言われた時は、さすがに戸惑ったよ」

 運転席に座る晴文は両手でハンドルを軽く握り、視線を前に向けたまま軽快な口調で続ける。

「すまんすまん。あの時は出演者が決まらなくて俺も焦っててさ。なんとか引き受けてもらおうと必死だったんだ。確かにチョットぶしつけだったよな」

「ううん、いいんだ。むしろ今となっては感謝してる。あの時亮平が特別に新しい企画まで提案して強引に押し切ってくれなかったら、俺は今でも夢物語を追いかけて、あの部屋で先の見えない努力をし続けてたんだと思うから」

 その真摯で好意的な言葉に、中学時代の親しい友人を自分のために都合良く利用して、番組のネタとして扱っていることへの罪悪感が疼いた。

「こうやって動き出してみたら、自分はなんであんなに思い詰めてたんだろって思うよ。世の中には思ってたよりずっとたくさんの仕事があって、自分がずっとこだわってた仕事以外にも、幸せな生き方はいっぱいあったのに」

 どこか自分に言い聞かせているような晴文の言葉を聞きながら、俺は視線を晴文の顔から逸らす。しばし沈黙が流れ、ウィンカーの点滅を示すリズム音が一段と大きく耳に響いた。

「亮平はさ、何で今の仕事についたの?」

 晴文が口にした質問に内心がざわめくのを感じた。

「ずっと映像関連の仕事をしたいって思ってて、大学出るときの就職活動で一番先に内定くれたのがたまたま今の会社だったってだけ。そんなに深い意味はないよ」

 動揺を悟られぬようゆっくりとした口調で返事をした。言い終わってから横目で運転席を確認すると、晴文はわずかに口を尖らせて何度か頭を縦に揺らしていた。

「そんなもんか」

「そんなもんだよ」

 信号機が青に変わるのと同時に周囲の景色がゆっくり動き始める。充分過ぎるくらい安全確認をした晴文がハンドルを左に切って大通りに出ると、左前方に周囲から浮き上がって見えるほど真新しく輝く市役所の建物が見えた。

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