第9話 金獅子エドゥアール

 イファヴァールを治めるアングラード伯爵はあまり体が丈夫な方ではなく、執務の殆どは一人息子であるエドゥアールが行っていた。若いながらもその政治的手腕は非常に優れており、近いうちに爵位を継ぐのではないかとも囁かれていた。


 打ち出す政策は的確で、それを実行するため強引に物事を進めることも少なくない。けれども最終的には結果が伴う為、多少の敵はいても住民の多くは彼を支持していた。


 傲慢な態度ながらも守るべき住民を率いていくその姿を百獣の王に喩え、イファヴァールの住民は彼を「金獅子のエドゥアール」と敬意を込めてそう呼んだ。


 そんな彼を妬み、時期領主の座を厚かましくも狙っていたのが従兄弟のブライアンだった。ブライアンの父はアングラード伯爵の弟で、子爵として補佐を行っている。アングラード伯爵の嫡男であるエドゥアールがいなくなれば、血の濃さから自分が選ばれるだろうと浅はかな考えに至ったのだ。




 大広間は緊迫した空気が漂っていた。

 椅子に座って頭を抱えるアングラード伯爵と、側近。彼らの脇には数人の騎士が控え、目の前のブライアンを驚いた瞳で見つめている。


「それはまことか……ブライアン」


「レティラの森で捕らえた魔女が口を割りました。自分の使い魔にするために、エドゥアール殿に呪をかけたと」


「何と……」


「おそらくエドゥアール殿は、魔女の傀儡になってしまわれたかと。……残念です」


 悔しそうに眉を寄せたブライアンが、込み上げる笑いを見られまいとするように顔を俯かせた。その前ではただでさえ顔色の悪い伯爵が更に落胆の色を滲ませ、その隣の側近と騎士には動揺が広がりだしたのか大広間に暗い溜息と囁き声が蔓延する。


「その魔女に話を聞くことは出来ないのか?」


 側に控えた側近の一人が訊ねると、ブライアンが少し慌てた様子で顔を上げた。


「そ、それは止めた方がいいかと。知らぬ間に傀儡の呪をかけられるかもしれませんし……早めの処刑を勧めます」


 二人のやりとりを聞いて、伯爵が疲れた表情を浮かべたままブライアンに同意する。物憂げに落としていた視線をブライアンに向けて、処刑を告げようと開きかけた口を……はたと閉じた。


「ふむ。……だがブライアン、お主はどうなのだ?」


「は? どう、とは……」


「この中で魔女と対峙したのはお主だけだ。お主が魔女の呪にかかっていないと、どう証明する?」


「な、何を仰いますか! 私は魔女を捕らえたのですよ? 仮に傀儡であったとして、自分を処刑するよう魔女が私に働きかけるなんておかしいでしょう!」


「そう言われればそうなのだがな。命を奪う処刑を行うにあたって、私は十分に納得したいのだ。彼らの犯した罪、そうせざるを得なかった理由。それらを聞いて理解し、処刑という判断を下したいのだ」


 あと一歩の所で道を塞がれ、ブライアンが苦々しげに眉を顰めた。微かに視線を逸らし、誰にも聞こえないように舌打ちする。


「彼女は魔女ですよ! 何かあってからでは遅いのです!」


 焦る気持ちは隠しようもなく、ブライアンが苛立ったように声を荒げた。その様子を咎めようと制止に立ち上がった側近が声を発するよりも先に、大広間の扉が大きな音をたてて外から豪快に開かれた。


「さすがは我が父上。ブライアンの愚策に安易に乗らずほっとしました」


 大広間にいた全員の視線を一斉に受け、エドゥアールが不敵な笑みを浮かべたまま大股でアングラード伯爵の前まで進み出た。


「エドゥアール! 今までどこにいたのだ! 魔女の傀儡にされたと聞いたが、……無事なのか?」


「えぇ。ご覧の通り、無事戻って参りました。それにしても傀儡とは一体何の事です?」


「ブライアンの捕らえた魔女が、お前を傀儡にすると言っていたそうだ」


「あぁ、それで……」


 薄く微笑を浮かべたまま、エドゥアールが微かに顎を引いて隣のブライアンへ視線を流す。目を合わすまいと顔を逸らしたブライアンの体が、滑稽なほど小刻みに震えていた。


「確かに……見方を変えれば、私は魔女に囚われてしまったのかも知れません」


 予想だにしなかった言葉にブライアンが思わず顔を向けると、自分を見据える冷たいアメジストの瞳とぶつかり合った。美しく微笑んでいると言うのに、向けられるアメジストの瞳は刃のように鋭くブライアンに突き刺さる。逃げたいのに逃げられず、目を逸らすことも出来ないブライアンが喘ぐように唇を震わせた。


「エリック」


 主に呼ばれ、外に控えていたエリックが四人の騎士を連れて広間に入ってきた。その後ろから怯えたように顔をのぞかせたジゼルを見るなり、ブライアンが発狂まがいの声を上げて彼女を指差した。


「魔女だ! あいつがエドゥアール殿を誑かしたんだ! 何をしているっ。さっさと捕まえろ!!」


 無様に喚き散らしながら、ブライアンがジゼルの腕を掴んで乱暴に引き寄せた。


「きゃっ」


 短い悲鳴を上げたジゼルに少しも構うことなく、ブライアンは半ば引き摺るようにして彼女を領主の前に突き出した。――その手が、瞬時に鮮血に染まる。


「下衆な手で触るな」


 冷酷に燃えるアメジストの瞳で睨み付けたまま、エドゥアールが自身の剣でブライアンの腕を切り裂いていた。空いた左腕で素早くジゼルを奪い返し、汚らしい血に濡れた剣の切っ先を再度ブライアンへと向ける。


「エドゥアール……っ、貴様!」


「今のは俺の許可なくこいつに触れた罰だ。お前にはまだこいつを貶めた罪と、牢に繋いだ罪、あぁ……それから俺を殺そうとした罪もあったな」


 エドゥアールの視線の先で動いたエリックが、既に捕まえてあったブライアンの仲間だった騎士四人を領主の前に跪かせる。目論見が全て暴露され言い逃れようのない証拠まで出されたブライアンが、苦虫を噛み潰したように顔を醜く歪めてその場に崩れ落ちた。


「連れて行け」


 エドゥアールの命令受けて、エリックがブライアンの腕を掴む。抵抗する素振りもなく大人しく連れて行かれるブライアンを見て、ジゼルがふいにエドゥアールの腕の中から飛び出した。


「あの! これ、良かったら使って下さい。私が作った薬で、痛みを和らげてくれる作用が」


「要らん」


 即座に拒絶され、それでもなお怯まずに薬を渡そうとしたジゼルの体が、強い力で後ろに引き戻された。何事かと振り向いた先に、怒りに似た炎を燻らせたアメジストの瞳を確認するや否や、ジゼルの唇が強引にエドゥアールの熱い唇に塞がれる。


「んっ! ……んんーっ!」


 エドゥアールの胸を叩いて抗議する手を右手で掴み、左腕を腰に回してジゼルの体を腕の中に拘束する。ほんの一瞬の間に深くじっくりとジゼルの唇を堪能した後で、エドゥアールが名残惜しそうに唇を離すと、最後にぺろりとジゼルの濡れた唇を舐めてから顔を離した。


「なっ………なんっ」


「放っておくと、お前はまた口移しで薬を飲ませようとするからな」


「そ、そんなこと、もうエドさんにしかしません!!」


「ほう?」


 にやりと笑うその顔がやけに色気を纏い、熱を孕んだアメジストの瞳が再度近付いてくる。その距離を必死に押し戻すジゼルと、普段は滅多に見る事のない楽しそうなエドゥアールの様子に、周りにいたものはすっかり毒気を抜かれて呆れたように溜息をついていた。

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