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「しかし、変わらないなあ二人とも」


 海浜公園前駅駅のホームで、工藤は絵里と井出の横に立っていた。


 一年生は線路を一つ挟んだ先の、ちょうど今駅から出て行く電車に乗って帰っていく。


 久しぶりの再会もあってか、過去と現在の話が入り混じりながら話題は尽きない。


「それよかさ、工藤が絵を描いてたの全然記憶無いや」


 不意に、井出が切り出す。


「それ、私も思った。描いてた?」


「真剣に取り組み始めたのは中学に上がってからだよ。熱中して作品を作ってたら推薦を頂いて、今の高校にね」


「マジかよ、超優秀じゃん」


「そんな事ないよ、他の人に比べればまだまださ。必死で頑張ってるよ」


「それでも凄い。綺麗な絵を描いてると思う」


「ま、絵は良く分かんないけどもっと自信持てよって事!」


 井出が工藤の背中を強く叩く。


「痛って!! 励ましてくれるのはいいけど、優しく頼むぜ」


「これが最大限の優しさだぞ」


「残念ながら」


 他愛ないやり取りを続ける中、電車の到着を告げるアナウンスが流れ始める。


 車両が走る音が聞こえてきた方向へ目を向けた工藤が、遠くに見える人物を見つめる。


「……友達を見つけたから、今日はここで」


 絵里らに振り返り、軽く会釈して歩き出す。


「おっ、じゃあ明日! 楽しみにしてるねー」


「おう」


 走っていく工藤とは反対に、電車は二人の前に近づいて来る。


「……香苗が楽しみなのは、カフェのデザートでしょ」


 絵里が井出を横目で見上げながら呟く。


「ま、そうだけど。絵里は楽しみじゃないの?」


「じゃない、訳でも無い」


 二人は会話を続けながら、開いたドアの中へ入っていく。



 工藤が辿りついた先には、隣のホームへ向かったはずの多々良が立っている。


「僕らと行き先が反対じゃ無かった?」


「……工藤さんにお話があるんです」


 相変わらず、柔らかな笑みを見せている。


 二人の前を、電車の先頭が横切っていく。



 新条駅は本土側に面しており、治安も整備の遅れた太平洋側に比べて格段に良い。


 駅周辺はスーパーや飲食店等の、派手じゃない明かりが灯っている。


「あれ? 絵里ちゃん……だよな?」


 スーパーで買い物を済ませた絵里の背に、問いが投げられる。


 振り返った前に、背の高い男性が立っている。


 恰幅のいい齢五十程の男性で、絵里は見覚えがあった。


「松原さん、ですよね?」


 絵里が覚えていた事に安堵したのか、息を吐いて松原は笑顔を見せた。


 皺は増えているが、その笑みは絵里が知っているそのものであった。


「……ここには、事件で?」


 不安げな表情の絵里を前に、松原が慌てて訂正する。


「違う違う、今はこちらに住んでてね」


 このスーパーは安いからね、と買い物袋を軽く掲げてみせる。


 少々大げさな動きで笑いを誘おうとした松原だったが、絵里は上手く笑えずにまた口を微妙に動かしただけであった。


 その姿を見て、何かを察したのか少し屈み絵里の目を見る。


「その様子だと、憲……お父さんは家に帰って無いのかな」


「昨日は帰って来ましたが、すぐに出ていきました」


「相変わらず……」


 松原が呆れを含んだため息を吐き、頭を掻く。


「でも、そういう仕事ですから。大変なのは、理解しているつもりです」


 用意していた台詞を淡々と読み上げる様に絵里が告げる。


 松原は少し考えた後、口を開いた。


「……ウチにも娘がいてね、良く話し合いをしたもんだよ。アイツ……憲次もいつかそういう日が来ると思う。その時は、相手をしてやってくれる事を望むよ」


 軽く頭を下げ、背を向ける。


 絵里はその背に、躊躇いがちに声を掛けた。


「松原さん……は、理解してもらえたんですか」


 少し離れた所で、松原が向き直す。


「今は上手くやってるよ。全部理解した訳じゃ無いとは、思うけどね」


「そう、ですか」


 視線を地に落とし、絵里は口ごもる。


「いや、年取ると説教臭くていかんね……焦らなくてもいいと思うよ」


 気まずくなったのか、松原は笑いながら言葉を付け加えた。


 絵里は顔を上げ、頭を下げた。


「ありがとうございます」


「じゃあ、また」


 去っていく松原の背をしばらく見つめた後、反対方向へ歩いて行く。


 

 蛍雪駅は、中心部から離れた工場地帯の付近にある。


 既に辺りは暗く、うっすらと機械の音が聞こえる程度で人はまばらだ。


 駅から少し歩いた場所で、多々良が足を止める。


「ここです」


 多々良は横の建物を指差す。


 六階建てのビルだが、一階にはシャッターで閉ざされた大きな搬入口もあり、通常のオフィスビルと言う訳では無いらしい。


「ここ、今は動いてないんですよ。だから隠れ家に丁度良くて」


 ブレザーのポケットから鍵を取り出し、シャッター横の扉を開錠する。


 その鍵をどこから入手したのか、工藤は気になったが深入りするのを避けた。


「どうぞ、外じゃ話しにくいですから」


 多々良は相変わらず笑みを浮かべたまま、向き直る。


「……いや、ここでいいよ。周りの工場も閉まってるし、人は来ない」


 工藤は警戒し、ビルから離れて道路の真ん中へ移動する。


「そうですか」


 多々良はドアを少し開けて、鞄を中へ入れて閉じた。


「さっさと本題に移ろう。早く帰りたいんだ」


 多々良が道路へ移動し、向き合う様にして二人は立っている。


「そうですね。では手短に……二見さんから手を引いて頂きたいんです」


 工藤は怪訝な顔で言葉を受け止める。


「それ、どういう意味?」

 

「そのままの意味ですよ」


 多々良は相変わらずの笑みを浮かべている。


 その姿が、工藤を更に苛つかせた。


「それはさ……」


 一呼吸置いて、多々良を睨み付ける。


「彼女は君の『獲物』だからって事で、いいのかな」


 多々良の顔から、笑みが消える。


 冷たい眼と、怒りを含んだ表情だ。


「やっぱりか、君が――」


 次の言葉が出る前に、多々良は動いた。


 構える事も無く、右の縦拳が工藤の顔面を捉える。


 間一髪、体を落とし避ける。多々良は拳を戻す勢いを利用し、左拳を振り下ろす形で頭頂部目がけて放つ。


 工藤は鞄を多々良の拳と自身の頭との間に挟み、接触と同時に鞄ごとかち上げる。


 体勢を崩した多々良だったが、体の反りを利用し膝蹴りを放つ。


 咄嗟に突き出した蹴りだったが、工藤は反射的に両腕でガードし後方へ跳ねる。


 互いの距離が、初めの位置より離れた。


 工藤が体勢を立て直そうとした直後、眼前に自分の鞄が返って来る。


 手で弾き、直撃を避けた。


 動きが速い――一連の動作を終え、工藤は冷静に息を整える。


 多々良は構えを取らず、利き腕側であろう右半身を前に出し体を揺らしている。


「随分乱暴な答えじゃないか」


 半笑いで茶化す為に放った言葉に、返事は無かった。


 多々良は工藤を睨み付け、その姿には先程までの面影はない。


 工藤は体を少し倒し、両手を顔の前に構えている。


「そっちがその気なら――」


 工藤は横に逸れ、先程弾いて地面に落ちていた鞄を蹴り上げる。


 鞄は多々良の眼前へ向かうが、辿りつく前に手刀で弾かれてしまう。


 しかし、工藤の狙いは当てる事では無く『意識を逸らす』事にあった。


 勢いよく距離を詰め、工藤が右のジャブを放つ。


 多々良は後方へ少し跳ねて避け、次に来るストレートに合わせ前へ出て縦拳を放つ。


 咄嗟に横に跳ね、かわす。


 厄介な相手だ、と工藤は思いつつ距離を取る。


「そう上手くは、行かないらしいな」


 多々良が工藤の方向を向いたまま、眼鏡を外す。


 瞳の色が、黒から赤へ変わる。


 工藤は驚く事も無く、構えを閉じ瞳の色を赤へ変える。


 互いに、全身が真っ赤な液体に瞬時に包み込まれ、炎にも似た熱の壁を周囲に放ち始める。


 熱の中に、二人の姿が消えていく。



 公園内の人々は突然の緊急事態に困惑しながらも、流れ続ける避難要請の音声を聞き避難を始めている。


「警察です! 焦らず出口へ向かって下さい!」


 憲次は、声を掛けながら逆走していた。


 蠢いていた何かを確かめずにはいられなかった。


 憲次の手には、弾の込められていない玩具の拳銃が握られている、


 脅しが効く相手じゃあないだろ――と、自嘲気味に苦笑いしながら、突き進む。


 絵里の心配そうな顔が、脳裏には浮かんでいた。


 が、進まずにはいられなかったのだ。


 自身の頭をかすめる、一つの可能性を確かめるために。



 絵里は鍵を開けながら、明らかに誰もいない家の中を冷めた目で見つめていた。


 鍵を閉め、暗闇が広がる通路をそのまま突っ切りリビングへ向かう。


 慣れた手つきで買い物袋を持ったまま壁のスイッチを押し、明かりを点ける。


 荷物をテーブルに置き、一息ついてドア横の棚を見た。


 棚の上には、花と写真立てが飾られている。


 写真には、白い肌と意志の強そうな鋭い眼の女性が写っていた。


 絵里によく似たその女性は、自然で優し気な笑みを見せている。


 花の横には、おそらく憲次が置いて行った缶ビールが添えられていた。


「……ただいま」


 絵里は母の写真に向かい、微笑した。



 工場地帯を離れ、二人はビルの屋上を飛び移り猛スピードで移動していく。


 高く飛んで、海浜公園へともみ合いながら落下していく。


 フェンスに囲まれたグラウンドの地面に激突し、衝撃と共に二人はその場を転がりながら離れた。


 衝突と同時に、警告音が園内に鳴り響いている。


 砂埃の中、ゆっくりと二人は立ち上がった。


 互いに、その姿を視認した。


 一人は、骸骨を模したと思われる姿をしている。


 もう一人は、更に蜘蛛の意匠を含んでいるのか目は八個に増え、背には脚に似た小さな突起物が生えている。


 両者ともに硬化した皮膚が鎧の様に変化しており、皮膚の隙間からは発達した赤黒い筋肉繊維が見え隠れしている。


 異形二人が、その場で対峙した。



 憲次が流れ落ちる姿を見るまで、最も有り得ないと思っていた可能性がそこに二つ立っていた。


 フェンス越しに、ただ呆然と眺めるしか出来ない。


 理解の追い付いていない憲次の前で、二人は互いに向かって走り始めた。

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