第25話 二人は眠る

 互いの思いを話し合った後。しばらく俺と周防は手を握り合い、喧嘩が終わったことを確認しあっていた。


 どれくらい経っただろうか。周防がゆっくりと手を離す。そして彼女はテーブルの上にあったティッシュを数枚取ると、鼻をかんだ。それから丸めたティッシュを少し離れたゴミ箱へ投げる。歩いて捨てに行くのが面倒だったのだろう。

 投げられたそれはゴミ箱の縁に当たり、惜しくも中へ入らなかった。周防は無言で立ち上がり、結局歩いて普通に捨てるのと同じ結果となった。


 どうしてか、張り詰めていた空気が少しだけ弛緩した。


「泣いたからめっちゃ喉乾いた」


 周防が喉を抑えて、やや掠れた声を出す。それから間をおいて、こちらをちらと見た。


「お茶、いる?」


 何だかいつか聞かれたような質問だ。


「分かったよ。周防家の茶葉は何処だ」


 俺は先回りして立ち上がり、お茶を淹れる準備をしようとする。


「……ふふ」


 耐えきれないといった風で、周防が控えめに笑う。


「……はは」


 つられて、俺も何だか笑えてきた。


「今日は私が淹れるよ」


「わかった」






 俺達は、大した会話もなくただただお茶を飲んで、戸棚から出てきたチョコレート菓子をちょっと齧って、空き教室での時間とそう変わらないような雰囲気で過ごした。

 直ぐに帰る気には、どうしてもならなかった。よく分からない余韻のようなものが部屋に漂っていて、それが俺の帰宅する気力を吸い取ってしまっていたのだ。


 そうしてのんびりとしていると、このリビングだけ時間の進み方が随分遅くなったように思えて、もう夜も遅いことを忘れそうになってしまった。

 しかし、時計を見れば、やはり相応の時間が過ぎている。


「じゃあ、そろそろ帰るか」


 流石にずっと居るわけにも行かない。俺が立ち上がると、周防もまた同じように立ち上がった。


 最初はもしかして見送りでもしてくれるのかと思ったが、どうもそういう様子ではない。


「す、周防?」


「……」


 周防は、俺の制服の袖を指で摘んだ。

 別に大した力が入っているわけではないが、理由も聞かずに振りほどくのは躊躇われる。しかし、当の本人は無言。


「……何か帰ったら不味いことでもあるのか?」


「ある、かなぁ」


「じゃあ、俺はどうすればいい?」


「ここで、一緒に寝ようか」


 周防が自信満々に告げる。

 いや、どうしてそうなった。


「明日テストだって忘れてるんじゃないだろうな」


「夜船のことだから、勉強道具は全部鞄にあるでしょ?」


 周防がソファの上に置かれた俺の荷物に視線を向ける。確かにその通りだった。教科書もテスト前に見る要点をまとめたノートも、よく尖らせた鉛筆も鞄にしまい済みだ。


 行こうと思えば、このままテスト会場に行けるくらいの準備は揃っている。いや、まぁそういう問題ではないのだが。


「一応、ほら、俺達って性別がその……」


「今更じゃない?」


 確かにそうだった。空き教室でのことを考えれば、別に同じ部屋で眠ることは大した問題じゃない。ただ、学校よりも家の方がずっと良くない感じがするのは何故だろう。学校で寝るほうが明らかにルール違反のはずなのだが。


「そもそも、何でここで寝なきゃいけないんだよ……」


「だってこれから夜船は家に帰るわけでしょ?」


「そうだけど」


「絶対寝ないじゃん。物凄く寝不足で疲れてるはずだけど、寝ないんでしょどーせ」


 周防がやれやれと首を横に振る。

 流石にあんな話をして帰った後に限界まで徹夜することは無いと信じたいが、正常に寝ることが出来るかと言われたら自信はなかった。


「寝るって言うなら、私の目の前じゃないと信用できないかなぁ」


 周防がじっとこちらを見てくる。前科が数回あるということで、睡眠に関して俺はすっかり周防の信用を失っているようだった。


 しかし、俺にも言い分は無いわけじゃない。


「それなら、お前にもきちんと寝てもらうぞ」


「へ?」


 周防がぽかんとした顔を見せる。何意外そうな顔してるんだよ。


「さっき言っただろ。周防が夜に眠れるよう手伝うって」


「いや、私昼にめちゃくちゃ寝たし……」


「昼に寝てるのはいつも通りだろうが」


「うぐ……」


 周防が言葉に詰まる。どうやらコイツは今夜俺が寝ているのをずっと観察しておくつもりだったらしい。


 そんなことは絶対にさせない。

 仮に周防が眠れなかったとしても、手伝うと言ったからには、ここで行動を起こさないのはあり得ないことだ。


「で、でもさ……」


 周防は眠る自信が無いのか、まだ何か言い訳をしようとしていた。


「大丈夫だ」


 俺はその言葉を遮る。


「俺は基本居なくならない。約束する。仮に死ぬ時は、ちゃんと連絡するから」


 ここで「絶対居なくならない」と言えたら格好いいんだろうけど、どうしても俺は嘘になるかもしれないことは言えなかった。

 周防は俺の言葉を聞いて、きょとんとする。


「……いや、連絡なんて良いから、居なくならないでよ」


 それから周防は、ちょっと呆れたように微笑んだ。妙に優しい表情。それは何だか、家族に向けられるような顔だった。


「寝ようか」


「……了解」


 返事をしたものの、どこで寝るのか分からなかった。取り敢えず、周防に着いていこう。そう思い周防を見ると、周防もまた、俺を見ていた。


「……え」


「え、なに?」


 周防が糸が切れた人形のように首を傾げる。黒い癖毛がぴょこっと揺れた。


「どこで寝るんだ?」


「私の部屋」


 即答だった。


 周防が部屋に男を連れ込む。冴島先生が聞いたら卒倒しそうな話だ。今回ばかりは不純異性交遊を疑われても仕方がない気がする。


 周防はそれだけ言うと、二階へ登っていった。取り敢えず、俺もそれに続く。


「入って」


 周防に促されるがまま俺は部屋に入った。


 周防の部屋。

 女子の部屋自体は彩華で見慣れているはずだったが、結構様相が違った。まぁ、彩華と周防の性格の違いを考えれば、部屋が違っているのも当然だろう。

 あまり飾り気のない勉強机。本棚には古い少女漫画。大きなクローゼットと地層のように積み重なったCD。


 ベットは一つだった。

 一つ。

 まぁ、二つある方がおかしいのだが。


「これ、シングルベットだよな……」


 言いながら俺は周防に「まさかここで寝るわけじゃないだろうな」という意味の視線を送った。


 周防は俺の言葉を無視し、ベットに入る。


「ほら、隣」


 半身を起こした状態で、周防はシングルベットの狭いスペースをぽんぽん叩いた。

 まぁ、同意したのだから、寝ざるを得ない。これで周防が信頼してくれるのなら、安いものだ。

 幸い、制服で寝るのには慣れていた。


「ブレザーは椅子に掛けていいよ」


 言われたとおりブレザーを椅子に掛け、ネクタイを緩める。


「いらっしゃい」


 そんなことを言って周防が笑う。


「お邪魔します」


 本当に邪魔になりそうだな、と思いながら、俺は周防と一緒にベッドに入った。柔らかい毛布の感触。先に周防が入っていたからか、妙にぬくい。肩が当たる上に不思議と甘い匂いがして、寝られる環境だとは思えなかった。


 欲望を断ち切るように、消灯。面倒くさがりの周防らしく、明かりには紐が括り付けられていて、ベットから手を伸ばせば電気を消せるようになっていた。


「私さぁ」


 周防が仰向けのまま喋りだす。距離が近すぎるせいか、耳がこそばゆい。


「昼にめっちゃ寝たんだけど」


 周防はどうやら、目が冴えているようだった。


「俺は寝てないはずなんだが、あんまり眠くない」


 俺も、特に眠い感じはしない。


「駄目だよ。夜船は特に寝なきゃでしょぉー」


 周防がこてんと横に転がり、顔をこっちに向ける。うっかりその様子を見ていたら、至近距離で目があってしまった。

 瞬き三回分の時間、周防は何を考えていたのだろうか。何となく、その瞳が揺れた気がする。


「……周防?」


 気付けば、俺は周防に抱きしめられていた。胸に周防の息がかかって、熱い。初めて触れる癖毛は、思ったよりか柔らかかった。


「ほら、夜船。寝なよ」


 それは、この距離でなければ聞こえない程小さな呟きだった。


「お前こそ、寝て良いんだぞ」


 俺もそれに、小さな声で返事をした。

 そして、俺は周防を抱きしめ返した。一瞬、肩がビクリと反応したが、彼女はそれ以上動くことも、それについて何か言うこともなかった。


「あーあ」


 周防が自嘲的に笑う。


「眠くなってきちゃった」


「……それは良かった」


 純粋に、そう思った。もし、夜眠れて、周防が昼間に起きていられたらきっと冴島先生は喜ぶだろう。


「私、おにいちゃんのこと忘れちゃったのかな」


 周防は俺の胸に顔を押し付けるようにして、表情を隠した。

 周防にとってトラウマで眠れないということは、兄の死を自分が今でも心に深く刻みつけている証明だったのだろう。


「お前の兄ちゃんからしたら、死んだ時ばかり思い出されるのは嫌だと思うけどな……多分」


 前を向いて欲しいと、そう思っているはずだ。きっと。


「うん、そうかもね」

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