第23話 周防の兄

「え、コイツを知ってる?」


 先生は俺の発言に眉をひそめた。そんなに意外なことだろうか。いや、でも、こんな偶然そうあることじゃない。驚くのも無理はないだろう。


「小学校の頃、話したことがあって。すごく印象的な人だったので、覚えていたんです」


「そういうことか……」


 先生は小さく何度か頷いて、納得したようだった。それから、譲葉から携帯を没収する。


「あー、何で隠すんですか!」


「もう十分見ただろ」


 先生は奪った携帯をポケットに大切そうにしまう。譲葉はまだ不満顔である。


「じゃあ、これ以上見せるなら、そっちのスマホを見せてもらおうか」


 先生は面倒そうに手を差し出し「よこせ」と言った。譲葉の反応はと言うと、静かに青ざめている。


「……」


「まさか自分のを見せられないのに俺の携帯を強引に見たんじゃないだろうな!」


 譲葉が弱っているのを見て、先生は急に強気である。やってることが完全に恋人同士の喧嘩っぽいのは黙っておこうか。


 すると、譲葉がゆっくりと口を開いた。


「……見る勇気があるなら、どうぞ。私はオススメしません。ちなみに、パスワードは先生の誕生日です」


 ……一体、譲葉の携帯に何が入っているというのだろう。そういえば、譲葉は写真部だった。部活動で使う立派なカメラが無くとも、写真を撮っているのはよく見る。

 冴島先生は譲葉から携帯を受け取る。今度は、先生が青ざめる番だった。脂汗をかいて、手を震わせている。


「……」


 黙る譲葉。


「……」


 無視して勉強する俺。


「……止めときます」


 結構長い沈黙の後、先生は譲葉へ彼女の携帯を返却した。普段の譲葉は真面目で凄く良いやつなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。


「まぁ、本気で浮気をしてるなんて思っているわけじゃなかったので、許してください。単に先生のことが知りたかったんですよ」


「……お、おう」


 譲葉の笑顔に、先生がたじろぐ。なんていうか、いつもこうやって誤魔化されてきたのだろうか。どうやって譲葉が先生の色々な情報を知り得たのかが容易に想像できるな……。


「まぁそれはテスト後のお楽しみってことで。流石に家に帰って勉強します。あ、そうだ、圭くん」


 急に俺の名前が出てきたので、振り返る。譲葉は機嫌が良さそうに微笑んで、小さく手を振った。


「好きなことなら、きっと頑張れるから。だから、頑張れ!」


 何とも譲葉らしい言葉で、思わず笑ってしまった。

 俺の笑い顔を見て満足したのか、譲葉は去っていく。場は再び、先生と俺の二人きりになった。


「勉強の邪魔になっただろ? 悪いな」


 先生とが隣でため息をつく。声の調子からして、どっと疲れたという感じだ。


「譲葉って、二人だといっつもあんな感じなんですか」


「いや、まぁ、分かってるだろうけど悪いやつじゃないんだぞ。一途すぎるというか、恋する相手を間違えたと言うか……」


 そこでフォローを入れるところが先生らしいというか、譲葉に付け入る隙を与えているというか……。


「まぁ、それは良いんですけど、周防のお兄さんって、今何処に居るんですか?」


 仮に会えるのならば、会いたいと思った。例え遠くに居ても、帰省することくらいあるだろう。


「何処に居るか、ねぇ……」


 先生はどこか遠い目で、外の景色を眺めた。もう夕日も沈む頃だ。中庭の金木犀が作っていた長い影も、次第に消えゆく。


「もう、何処にも居ねぇんだよ、アイツ」


 それは、意外なほどあっさりとした口調だった。

 何処にも居ない。

 それが意味するところが分からない俺ではなかった。でも、写真の彼は、あんなに元気そうだったのに。


「どうして……?」


 冴島先生にとって、その話は思い出すのも辛いことだろう。それを分かっていても、俺は聞かざるを得なかった。


「過労だよ」


 先生は携帯の画面を指でなぞり、悲しんでいるような、懐かしんでいるような表情を見せる。


「アイツは真面目で、責任感が強くて、強すぎて……馬鹿だったよ。入った会社が良くなかったんだ。仕事のし過ぎでぶっ倒れて、そのまま……」


 先生は、唇を噛み締め、言葉を最後まで発さなかった。


『努力は裏切らない』


 周防の兄……彼の言った言葉を、思い出す。努力が、本当に裏切らないとすれば、こんな結末はあるだろうか。彼の努力が足りなかったのだろうか。


 体調管理の努力を怠ったといえば、そうとも考えられた。

 そもそも、良くない会社に入ったのが悪かったのかもしれない。就活で努力できなかったんじゃないか。


 それらしい理由は、いくらでも考えられた。原因を本人に見つけ、全てを自己責任で片付けるのは、容易だった。


 でも、そんなのってあんまりだ。


 言いようのない悔しさが、俺の胸を締め付ける。

 自分なりに頑張って、必死にやったのに、報われない。よくある話かもしれないけれど、俺はそれが耐えられなかった。


「夜船。お前、なんかアイツに似てるから……気をつけろよ。頑張るのが悪いって言ってるんじゃないぞ。ただ、もうちょっと視野を広く持てっていう話だ」


「視野を広く?」


 イマイチ表現がピンとこなかった。


「一つのことを頑張るのは凄いことだ。良いことだ。ただ、それ以外にも、大切なものやことはあるだろ? それを見落としちゃいけないってことだよ」


 気が付けば、外はもうすっかり暗くなっていた。教室の灯りが、一つ、また一つと消えてゆく。

 それと同じように、俺も、大切なものを一つ一つ、頭の中で数えてみた。俺は、勉強をして、努力する姿を見せることが、一番大切だと思ってきた。


 でも。


 俺が見落としてきたものは、無かっただろうか。

 何かがあったような気がしても、具体的な答えが出ない。

 俺はどうすれば良いのだろう。


「もしかしたら咲は、お前に兄貴を重ねてるのかもな」


 先生がそう言った瞬間、俺の脳裏には、周防との日々が浮かんだ。アイツは、本当に真剣に、俺を休ませようとしていた。俺は自分の睡眠不足や疲れを甘く見ていたが、周防は違ったのだ。体験に基づいた実感として、本当に人が疲れで命を落としかねないことを知っていた。


 言い合いの時「命を懸ける」などと軽々しく口にしていた自分が急激に恥ずかしくなった。


 俺が後悔の念に駆られていると、先生は髭をさすり「お前には、話したほうが良いかもな」と言って、それから、少しだけ目を閉じた。


「……恵が居なくなってからなんだ。咲が、眠れなくなったのは」


「え?」


 俺は先生の言っている意味が分からず、頭が真っ白になった。


「いや、周防は授業中ずっと寝てるじゃないですか」


「あぁ。咲は授業中ずっと眠っていて……そしてもう長いこと、夜に眠れてない」


 冴島先生の発言に、俺は息を呑んだ。


 考えてみれば、日中にあれだけ眠っておきながら、夜も眠れる人間なんて、そう居るはずがない。

 周防の異常なまでの睡眠。そして、夜になるにつれて目が覚めているような様子。

 あれは、そういうことだったのか。


「咲は、夜に寝ている間に恵が死んだことがトラウマになっているみたいだった。いや、それだけじゃないのかもしれない。咲は、頑張ること自体が、トラウマになってるんだ」


「……全然、知りませんでした。そんなこと」


 周防は、ずっと一人で、苦しんでいたんだ。それなのに、俺は周防に助けられてばかりだった。しかも、その恩を仇で返すようなことを……。


「夜船。お前と咲が仲良くしてるのを見て、俺は正直、嬉しかった。あんな眠ってばかりの奴に話し相手が出来るなんて思ってなかったからだ。だからこそ、お前には、恵のようになってほしくない。お前のためにも、咲のためにも」


 先生は俺の肩を掴んで、真っ直ぐ俺の瞳を見た。分厚い眼鏡のレンズ越しに、先生の真剣な視線が刺すように向かってくる。


 とにかく、周防に会わないと。周防と、話をしないと。


「先生。周防って、今日は空き教室に来てましたか?」


「帰ったはずだ。だから、間違いなく家に居るだろうな」


 それを聞いて、俺は机の上にある参考書を片付ける。そして、乱暴に鞄に詰め込んだ。


「行くところが出来たので、失礼します!」


 普段ならばルールを守って廊下を走ったりなど決してしない俺だが、今ばかりは違った。

 走る、走る。

 いつか周防と運動したときのように脇腹が痛くなるが、それにも構わず、俺は進んだ。


 勉強で疲れた頭に、血が上っている。顔が熱く、頭がむず痒くなった。周防と帰った通学路をなぞる。それから周防を背負って歩いた道に入り、足を止めずに走りきった。

 そうして、俺は周防の家に着いた。


 息が上がって、端から見れば俺は周防をつけて来たストーカーか何かのようだろう。

 ゆっくりと、確かな力を込めて、インターホンを押す。

 静かな住宅街に、ピンポーンと間抜けな音が響いた。

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