第5話 先生公認の悪用

 目が覚めた。

 意識が覚醒して、数十秒。

 自分がさっきまで眠っていたことに気がつく。目が覚めたんだから、恐らくそうだろう。


「……暗い」


 寝転がったまま窓の方を見ると、空はすっかり暗くなっていた。


「起きたんだ」


 横から周防が話しかけてくる。月明かりが、全ての輪郭をぼんやり照らす。


「俺、寝てたんだよな」


「見てる限りは熟睡だったよ。どう? 頭もクリアになったんじゃない?」


「……何で眠れたんだろう」


 本当に、いとも簡単に、スッと眠れた。

 今日まで倒れるほどに眠れなかったのに、これは一体どういう事か。


「枕とか布団が良かったとかかな? お茶とか会話でリラックスしてたのも効果があったかもね」


 周防がそれらしい答えを幾つか挙げたが、どれもピンとこない。

 本当に何でだろうか。

 うーむ。

 ん?


「そういえば、今何時だ?」


 眠っていた頭が段々覚醒していくにつれて、俺はこの状況の不味さに気付き始めた。


 遅い時間の学校。男女二人きりの空き教室。

 もし先生や警備員に見つかったら誤解されること間違いなしだ。


「あー、昇降口閉まるまで、あと五分くらいかな」


 周防が携帯を見て答える。


「滅茶苦茶不味いじゃねぇか!」


 冷や汗がぶわっと出てくる感覚。

 起きたばかりの気持ちの良い気分はどこへやら。

 これって最悪停学とかあるんじゃないか? そもそもこの部屋を周防が好きにしている経緯すら俺は知らないし。


「まー普通やばいよね」


 周防は呑気に冷めたお茶を飲んでいる。

 すると、近くで足音が聞こえた。


「おい、これ、人が来てるんじゃないのか?」


「多分」


 見回りならば、この部屋の鍵だって持っているだろう。わざわざ開けて確認するかは分からないが……。


「咲、居るかー?」


 すると、部屋の扉が開いた。

 開けたのは、冴島先生。


「やっほー健二。居るよ」


 なんと周防は事もあろうか、普通に先生へ返事をしていた。

 怖いもの無しかこいつ。

 俺があまりのことに呆然としていると、冴島先生と目が合った。


「え、夜船? え?」


 冴島先生は俺が居ることにかなり驚いているようだった。というか、何故周防に同じ反応を示さない?


「あー、健二。紹介します。本日のお客様です」


「おい咲。何厄介事増やそうとしてんだテメェ」


「私にそんな口聞いて良いのかなぁ?」


「すいません許してください」


 冴島先生と周防。教室で周防が寝ている為、そもそも二人が話しているところなんて殆ど見たことがなかったが、なんだか仲が良さそうだ。

 怒られるどころか、話を聞く限り周防の方が立場が上っぽいのは何故だろう。下の名前で呼び合っているのも意味不明である。


「えっと、二人は……どういう関係?」


「仲良しだよねぇ」


 周防がへらっと笑う。


「腐れ縁だ。こいつの兄貴と俺が小学校からの知り合いでな。こいつが赤ん坊の頃から知ってんだよ」


 冴島先生がどっと疲れたような目をする。

 何だか、今の会話だけで二人の関係性が垣間見えた気がした。


「まぁ私は偶然健二の弱みを握っちゃってね。黙っている交換条件としてこの部屋を使わせてもらってるんだよ。言わないでね?」


「この部屋、俺が生徒指導で使ってることになってるから絶対に他言するなよ」


 生徒と先生に事実の隠蔽を頼まれた。

 どうするべきか考えたが、よく考えれば、ここで寝た時点で俺も共犯だ。

 選択の余地なし。二人に向かって頷く。


 よく真面目とか言われるが、俺がルールを遵守するのは内申点など諸々の利点があるからだ。俺も我が身は可愛い。バカ正直に告発する気などさらさらない。


「じゃあ、帰ろっか」


 周防はすくっと立ち上がり、枕元に置いていた荷物を持ち上げた。俺もそれに続く。寝るときに脱いだブレザーは、何となく着るのが面倒で、畳んで鞄に入れた。


「おー、帰れ帰れ。あ、夜船」


 冴島先生が脱力しきった様子で俺を見る。


「別にこの部屋を使っても構わないけどな。不純異性交遊はバレないようにしろよ」


「いや、バレないようにじゃなく止めてくださいよ」


 昔からの知り合いらしい周防が居るせいか、先生はいつにも増して適当な感じだった。


 結局、冴島先生に連れられて、俺達は安全に外へ出ることが出来た。校門前なんていつもの景色のはずだけど、こう真っ暗だと別の場所に感じてしまう。


「帰り、どっち?」


 周防が聞いて来たので、大体の方向を指差す。


「なんつーか、スーパーがある大通りの方を通るけど」


「じゃあ大体一緒だねぇ」


 周防が比較的軽快な足取りで歩き始める。

 昼休みの時なんて泥酔した人のようにふにゃふにゃとした歩行だったが、今は大丈夫らしい。


 そのまま、特に会話もなく、二人で道を進む。


「なんつーか」


「んー?」


 何となく溢れた言葉に、周防が反応した。


「周防って、夜になると元気なのか?」


 切れかかった街灯が点滅して、俺達の影が、出たり消えたりを繰り返す。癖か何かなのか、周防はまたへらっと笑った。


「夜になると元気ってなんかやらしーね」


「何言ってんだ……」


「不純異性交遊はバレないようにしなきゃ駄目だぞ」


 周防が冴島先生の声真似をする。あまり似てないけど、笑ってしまった。なんだか、今の周防は無理に上げてるんじゃないかってくらいテンションが高い。


 そんな風に話して歩いていると、すぐに俺の家の前に着いた。アパート『朝倉荘』の一室が俺の家。なんと、俺の家は周防の通学路だったらしい。


「夜船の部屋はどれ?」


 周防がアパートの部屋が幾つあるか数え始める。知ってどうするんだ。


「知る必要ないだろ」


「いや、もしかしたらお邪魔するかもしれないし」


「文字通り邪魔だから止めてくれ」


 軽く周防を睨んでやる。こいつ、睡眠に関して並々ならぬ情熱を抱いているようだし、本当に睡眠グッズとか持って家に来かねない。


「まぁいいか。それじゃ、さよなら。部屋、寝たい時いつでも来てくれていいよ」


「教えてくれって頼んだ立場だし、基本積極的に行くつもりだ」


「いい傾向だねぇ。そのまま身も心もだらけて良いんだよ」


「一応、俺は勉強のために寝るんだからな」


 このまま話してもきりが無さそうなので「それじゃ」とだけ言って家へ向かう。


「じゃーねー……あ!」


 背後で周防がまた大きな声を出す。


「まだなにかあんのか?」


「いや、あそこに……」


 周防が恐る恐るアパートを指さした。

 二階の一室。

 というか、俺の部屋の方向。


「?」


 俺もそちらを見ると、そこには人影があった。

 髪の長い女性。

 よく見るために俺と周防はちょっと移動する。丁度電灯の下で、俺達の姿が明るく照らされた。


「あーー!」


 すると、俺の部屋の前に居た女は、大きな声を上げた。

 聞き覚えのある声。


 隣では、周防がびくりと肩を震わせていた。初めて彼女が動揺している姿を見たような気がする。夜が得意そうだったからそうは思わなかったが、お化けとかそういう類のものは苦手だったりするのだろうか。


「ぐずっ、けーちゃん! けーちゃぁぁぁん!」


 アパートの二階に居た女は、俺の姿を見るなり、泣きながら走ってきた。鼻水が垂れていて、顔はくしゃくしゃ。涙は女の武器と言うけれど、その泣き顔は俺と周防を威圧するのに十分な迫力だった。


「おい彩華。何でそんなに泣いてんだ」


「……夜船の知り合い?」


 周防が引き気味に聞いてきたので、端的に答える。


「幼馴染の、朝倉 彩華」


「……そうなんだ」


 周防の声音にちょっと同情が含まれている。いや、悪いやつじゃないんだぞ、彩華は。ただちょっと感情の起伏が人より激しいだけで。

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