第5話 この人は誰

「あんた……俺が誰だか知らないの?」


 綺麗な瞳が、真っすぐナナセを見ていた。


 逃げてばかりでよく分からなかったが、喋り出すと結構表情豊かだな、この青年。

 美しい顔を一気に崩して、全力のリアクションで驚くんだから。

 そう、青年が愕然とした顔でナナセを見ていた。

 なに? なんなの? 彼を知らないのはそんなに悪いことなのだろうか。


「すいません。有名な方だったんですか? 惑星配信プラネットストリーミングはあんまり見ないもんで」

「ホントに知らないの? スペースアイドル明星ミンシン

「明星……明星……。あっ! あれでしょ、歌手の人!」


 仕事漬けだった脳を動かし、必死で記憶を探る。街で見かけるディスプレイのCMとかで、たまにちらっと見かけるこの顔、歌声。


「聞いたことありますよ! ほら、何かで一位になった有名な歌! スーパーを歌ってる人でしょ?」

「ちょっと違う! ちょっと違うだけで大きな差がある! スーパーローテーションだよ! 金星に吹く超突風」

「お、おう」

「それを歌ってる、今をときめく超アイドル! 一ヶ月後には太陽系を巡る超スーパーツアーをスタートさせる、宇宙の王子だよ!」


 さっきとはまた違った必死の形相で詰め寄られて、思わず後ずさる。何をするにしても迫力がすごい、この人。これが芸能人か……。


 ナナセから身を離して、青年……明星は半ば呆れたように、ふうと息をつく。


「とにかく、変なことに巻き込んで悪かった。あんたは早く帰って、」

「いや、そうはいかない。警備会社が襲撃犯の通信を傍受した。……聞いてみろ」


 言葉を遮ったのはエージェントだった。

 黒服から受け取った無線機のようなものを、神妙な面持ちで二人に差し出す。

 無線機からノイズ混じりに聞こえるのは、


『繰り返す。ターゲット追跡……中断……ターゲットの服装は…………。そしてその護衛は、おさげの若い女。身長は160cmほど、運送会社の制服を着ていて……』


 こ、これは。誰のこと?

 いや、分かる。分かってる。でも……。


 ナナセの不安を肯定するように、エージェントはうなずいた。


「というわけだ。何があったか知らないが、そのお嬢さんは明星のボディーガードだと認識されている。そうでなくても襲撃犯の顔を見てしまっているなら、今後命を狙われる可能性が高い」

「……」


 明星の表情が曇る。

 構わず、エージェントは言葉を続けた。

 アイドル・明星が最近何者かに命を狙われていること。太陽系を巡るツアーにも警備会社が同行すること。そして、


「そのお嬢さんはもう、この件にがっつり巻き込まれている。だから、」


 つまり彼の言うことには、ナナセはこのまま家に帰れないというのだ。

 明星の暗殺の危険が去るまで、彼と同じく警備会社の警護下にいて欲しいと。

 何だそれは。どういうことだ。そんな言葉を抑えて胸に去来する気持ちは。


「本当にあなたのボディーガードになるしかないってことね!」

「な、なんでそうなるんだよ」

「ね! ね! 太陽系のツアーにも一緒に付いていくしかないってことね!」


 家に帰せない。

 その言葉を聞いて、向こうはナナセから一体どんな文句が飛び出すやらと構えていたらしい。

 それが前のめりにワクワクした視線を向けられたのだから、明星の目は真ん丸。

 エージェントも困惑の表情だ。


「それは、ツアー開始までに暗殺者が捕まらなければ君のことも続けて保護する必要があるが……」

「捕まらなければ……」

「ちょっと、あんたなにワクワクしてんだよ。二人とも命が懸かってんだぞ!」


 たしなめる明星の言葉ももう耳に入らない。


「ね! ね! 雇って下さい! 宇宙に連れていってくれるならタダ働きでもいいから!」


 思わず拳を握って頼み込む。今自分はどれほどキラキラした目をしているだろう。


 しかしそれを見つめる青年の、黒髪のかかる目元がすがめられた。一気に表情が険しくなる。表情豊かな青年から、他人を寄せ付けない孤高のスターへと、変わる。


「いや、事件に巻き込んだ穴埋めは後で相当の物を用意する。ただで付いてきてもらうわけにはいかない」

「いいって言ってるのに……」

「変わり者って域を超えてるぞ」


 しかしナナセはナナセで、彼の煙たがるような視線も最早意に介さない。

 宇宙に行けるのだ。宇宙に。それも運よく惑星を巡るツアーに。

 こんなことってあるだろうか。これを逃す手はない。


 ナナセと明星のやりとりに、気付けば何故か周りの黒服達が狼狽えている。

 さらにその向こうで苦笑いしているのがエージェントだ。


「ま、まあそこまで言うなら、ツアーのスタッフとして雇ってもいいが……」

「本当ですか?」


 折れかかるエージェントの言葉に、とうとうアイドルは頭を抱えた。素っ気なく二人に背を向ける。


「まあいい。さっきは本当に助かった。エージェント、あんたがそこまで言うなら、その子リスちゃんをしっかりしてやれ」

「こ、子リスちゃん?」


 いきなり何だ。しかし言いたいことは分かる。ナナセがポカンと口を開けるとコンプレックスの出っ歯がまる見えだ。この出っ歯のせいで今まで何度齧歯類のあだ名を付けられたか。

 いや、そう言えば彼には名乗ってもらったが、こっちはまだ名前を言ってなかった。


「ナナセです! タイガ・ナナセ! 子リスちゃんじゃない!」

「ああ分かった、タイガさん。とにかく余計なことはしないで、大人しく保護されてくれ。今度はこっちがあんたを守るから」

「いや、あたしは保護される側じゃなくて、」


 話は終わりだという風に、青年はひらひらと手を振る。その左腕のバングルがキラリと光った。そのままさっさとこっちに背を向けて歩いて行ってしまう。


 なんだ。エージェントと会ってから急に態度が大きくなったな。

 まあいいや。


「宇宙、宇宙に行ける……! しかもアイドルのボディーガード!」

 

 ナナセの胸はそれだけでいっぱいだった。





「ハッハッハ! メガネがやられたか!」

「笑い事ではありませんよ」


 任務に失敗して帰った男を豪快に笑い飛ばす白髭を前に、その部下はため息を抑えられなかった。まさか精鋭の刺客を送り込んで相手を取り逃がすとは。最新鋭の真空刃エアブレイドまで持たせたのに。

 気を取り直して、聞くべきことを男に尋ねる。


「それで? 付いてたボディーガードはどこの警備会社だ? メテオウルブズとマーズクオリタス以外で我々に対抗できるのは……」

「眼鏡が壊れちゃったから顔は記録されてないけど、リス顔のかわいい配達員さんでしたよ」

「はあ?」


 壊れた眼鏡を手にそう言った男に、今度は困惑の息がこぼれるのだった。

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