第3話 眼鏡の刺客

「あと一時間でボディーガードが撤収する!? どういうことだ!?」

「分からない。上の命令で、突然契約を切りたいと言ってきたんだ。それも同時に二社も……」


 怒りに震える拳を水晶のテーブルに叩きつけ、エージェントは苦くつぶやく。

 それは突然だった。


 明星ミンシン……太陽系一のアイドルの警備には、複数の警備会社が当たっている。

 しかしその中でもトップクラスの実績を誇る、マーズクオリタスとメテオウルブズがいきなり撤収すると言ってきたのだ。一体何故? いや、その前に、


「おい、明星に付けたボディーガード……マーズクオリタスのボディーガードじゃなかったか?」


 その言葉に、エージェントはハッと顔を上げる。

 電話の向こうの相手と激しく言い合っていたから気付かなかった。

 明星がホテルを出て行ってからもうずいぶん経つ。ボディーガードが撤収する時間が迫っていた。


「くそ、あいつはどこ行ったんだ……!」





「逃げて!!」


 ナナセは思わず叫んだ。そして青年の手を力いっぱい引いてドアの外に出していた。

 はずみで青年のかぶっているお洒落な帽子が落ちたが、今はそれどころではない。

 そうしなければ彼の首の方が落ちていたかも知れないのだから。


 ナナセが見ているすぐ側で、カロンさん宅の扉に深い傷が入る。鎌を振るったような、綺麗に一直線の切り傷が。


 幸か不幸か、ナナセはその傷を作った斬撃の軌跡を見てしまった。

 そして間違いでなければ、その斬撃はサングラスの青年の首元を狙って放たれたのだ。


 突如としてカロンさんの家の壁を破って現れた、不敵に笑う謎の男によって。


 どうすればいいか、考える前に体が動いていた。青年の手を引いて玄関から離れる。

 一拍間を置いて、件の男は部屋の外へと姿を現した。


 相変わらず口元に笑みを刻む、若い眼鏡の男。服装は街を行く若者とそう変わらない。

 カジュアルで、通りを行けば普通にすれ違いそうで、しかしそうではない。


 手には、鎌ではなく先端に何もついていない棍棒を握っている。長い棍だが、あれで物が切れるとは思えない。


 脳の回路が焼き切れそうだ。いつも冒険冒険言ってるくせに、何がなんだか全く分からない。さっきから頭の中は『誰』と『何』と『これからどうなる』に支配されている。


 眼鏡越しに、笑い顔に反して感情のない、ガラス玉のような瞳がこちらを向いた。

 そして、


「お姉さん、誰ですか?」


 ナナセの姿をまじまじと見つめて、笑い顔は一瞬にして疑問に満たされた。

 どうやらこの場にいる第三者として、ナナセも彼にとって予想外の人間であったらしい。


「いい動きするから、てっきりボディーガードかと思ったけど……違いますよね?」


 そうですよね。ここには彼一人しかいないって情報を頼りに僕が投入されたんだから。と、謎の独り言を呟いて、謎の棍棒を手にした眼鏡の男は再びナナセを見る。


 頭の中の疑問は一気に引っ込んだ。まずいと思った。本能的にだ。

 眼鏡の男が再び笑っていたから。


「それじゃあごめんなさい、一般人のお姉さん。見られちゃったからには、ターゲットと一緒に葬り去らなければ」


 穏やかな口調で不穏な言葉を聞かされるのは実に嫌な感じだ。まるで本当に命をとると言ってるみたいで。本当に……。


「おい、あんた!」

「え?……あたし?」

「いいから逃げろ! こいつの狙いは俺だ!」


 青年がその背にナナセをかばう。……この人、張り上げるとなかなかいい声をしているな。いやそんなこと考えてる場合じゃない。


 男はその様子を見て、またゆっくり微笑んだ。


「そうです。狙いは君ですよ。でもそのお姉さんもたった今からターゲットの一員です。僕の仕事を見られちゃいましたからね」


 無慈悲な言葉に、青年が歯がみする。

 よく分からないが何かの巻き添えを食って、ナナセもあの男のターゲットとやらになってしまったらしい。一体何の?


 だが男がそのターゲットをどうしたいのかは分かる。あれはただの棍棒ではない。

 先端から物を切断するほどの衝撃波が飛んで来る、まさに……。


「まさか最初の一撃を避けられるとは思わなかったなあ。見えないのに、よく斬られるって分かりましたね。僕、そんなに殺気出してました?」


 赤い唇が笑った。

 棍棒、いいや刃の見えない鎌。それを振りかぶりながら。


「大丈夫。二人とも一瞬で済みますから」

「やめて!!」


 頭の中のすべての疑問を振り払って、ナナセの体はとっさに動いていた。

 鎌が振り切られる前に、思い切り男に体当たりする。

 これはさすがに予想外だったのか、襲撃者の体は強かに通路の手すりに叩きつけられた。


 今だ。逃げろ。逃げるしかない。

 一瞬の隙に、ナナセは急いで青年を引っ張ってアパートの階段を下りていく。

 そのまま彼ごと配送用トラックに乗り込もうとした。


 しかし、


 ひゅん、と音がした。目の前で、トラックが真ん中から綺麗に二つになった。


「逃げられませんよ」 


 頭上から聞こえた声と、二階から飛び下りてきたあの男のやけに軽い着地音と。


 もう、走るしかなかった。

 青年の手を引いて、通りをひたすら駆ける。

 後ろからヒュンヒュンと何発か音がしたが、振り返っている暇はない。


 閑散とした通りの角を思いっきり曲がった。人間二人が並んで歩ける程度の、暗く狭い路地に入る。


 ナナセ達が角を曲がった直後を、後ろからかまいたちの斬撃が通りすぎる。あと一歩遅かったら……これはもう完全に命を奪りにきている。どうしてこんなことに。


「もういい。俺を置いてあんたは逃げろ」


 雑居ビルの隙間を走りながら、手を引かれる青年はそう言った。そのままナナセの腕を振りほどこうとする。


「だけど、」


 躊躇うナナセの言葉の続きは、すぐ真上のアパートの窓に真っすぐな亀裂が入ったことで遮られた。


 息をのむ二人。斜めに入った切れ目から、滑るように崩れ出す両脇の建物。

 青年の手を握り直して、ナナセは急いで路地を抜けた。


 砂埃を上げて、ビルが崩れる。路地が潰れていく。

 振り返る間もなく、再び大きな通りに出てひたすらに走った。


 道を行く人はいない。助けを求めようにもこの辺りに他に商店はない。

 ここは元々空き家だらけの区域。しかも運送会社の配達員であるナナセ的に、この時間は留守にしているだろう家ばかりだ。


 いや、通りすがりの人や店舗や民家に助けを求めてどうにかなる相手とは思えない。

 見えない斬撃は家々を切り裂き、どころか家屋ごと潰していく。辺りは衝撃で砂埃だらけになった。鉄骨やコンクリートを切り裂く相手を、誰が止められるというのか。


 そして、


「……!」


 二人を仕留めにかかるように、とどめの一撃が放たれた。

 直撃はしなかった。それはちょこまか逃げ回る逃走者の足を止めるように、正面に向かっていた。


 目の前に迫っていた、この辺りに残された最古の電波塔。

 無数の斬撃が飛ぶ。鉄骨が千々に切れていく。

 塔が崩れる。


 驚愕の表情の二人を押し潰そうと、頭上から鉄骨が注ぐ。


 青年の手を掴んだまま、ナナセの鼓動は一気に跳ね上がった。


 とっさに。


「つかまって!」


 固まった表情のままの青年を脇に抱える。はずみで彼のサングラスが落ちた。

 それでも構わず、ナナセは横っ跳びに跳んだ。


 轟音と共に、通りに砂埃が上がる。

 バラバラと、鉄骨が注ぐ音が爆発音のように辺りに響いた。

 そしてそれに紛れて二人は電波塔のとなり、解体工事中で立入禁止の看板の掛かった敷地に逃げ込んだのだ。


 

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