斯くして探偵助手

カグー。

第1話 衝路

 「よろしくお願いします!」

玄関扉を開けるなり勢い良く頭を下げたその男を雇う気は、実のところ全く無かった。


 助手志願の電話を受けたのはつい先日のことだ。うちではそんなもの募集していないからと断ったのだけれど、向こうがあんまりしつこく熱心なもので、根負けした私は面接の約束をしてしまったのだ。勿論それを済ませたら二度と会わないつもりで、だが。

端から追い返すつもりで呼び出したのは酷かもしれないが、無理を通そうとした彼だって悪いだろう。そもそも私は性格が難塗れで事務所に来るのも客か刺客かという有様なのに、よりにもよってファンを名乗った彼は正直なところかなり怪しくもあったのだ。

そういうわけで、自分一人で事足りているこの事務所に敢えて他人を置く予定など、その日もさらさら無かったのだった。


 安物のスーツと軸のぶれない綺麗な礼に、無防備に晒された頭頂部。その茶髪と同じような色の鞄はなかなかに年季が入っているようだけれど、誰かのお下がりだろうか?

 暮らしぶりが良いとは言い難く日常的に体を使っている、おそらくは肉体労働者。外見で読み取れるだけの情報からも、彼は偏屈な探偵のファンになり得そうな種類の人間には見えないが、それなら逆に刺客に見えるのかと問われれば、それにしてはその動きはどうにも間抜けていて何とも言い切れなかった。

どうせなら帰すまでに素性くらいは暴いてやろうと勝手に決めて、何か言わなければ下げ続けたままになりそうな頭を戻させるため、私はできる限り柔らかな声を作る。

「そう固くならないでよ。中に入ってさっそく面接といこう」

「はい!」

 バッと上がった顔に見覚えは無かった。歳は私と同じくらいだろうか、比較的明るい表情を心掛けてはいるようだったが、寄せるのが癖になっているらしい眉根と引き結ばれた口元からは、それなりに苦労を重ねていそうな印象を受けた。両の垂れ目はそれらの翳りを打ち消すほどに愛嬌があるものの、その瞳はやはり深く重い色をしている。

元気は良くてもしんどそうな人間だと思った矢先、しかしその双瞳は私を映すと、青く、燃えるように輝いたのだ。

 今までに数度見たきりの光景だった。自棄になった殺人犯がナイフを握り締めて私目掛けて突っ込んでくるときの、屈辱と悲愴と強烈な憤怒が綯い混ぜになった、あの眼だった。

 焦った私は後退り、弾みでよろけさえしたのに、しかしその間彼は不思議そうにしているだけだったばかりか、あまつさえ困惑する私に手を差し伸べた。その動きにも表情にも不自然な点が見受けられなかったのは、これが彼の素だからなのだろうか。

「派手に躓きましたね、大丈夫です?」

「ああ……」

その手には触れずに体勢を正す。てっきり殺されると、少なくとも殴られるくらいはすると思ったのだけれど、青年はそれらの内のどの行動もとらず、結局私が醜態を晒すだけに終わった。

 不思議だった。あれだけ殺意を煮詰めたような目をしておきながら手を出さないとはどういうことだ? もしあんなのがファンの目だと言うならそれこそ大声で笑ってやる。どう見ても彼はあの瞬間、本気で私を殺さんとしたはずなのに、おそらくここに来た目的もそれで間違い無いだろうに、その直後には当たり前のように私を心配したというのか。何なんだこいつ。

 指示を待ちながら手持ち無沙汰に応接室を見回してそわつくその姿に、お人好しの殺人犯という文字列が浮かぶ。目の前の青年はそんな、憐れで愉快な生き物なのだろうか?

……もしもそうなら、飼ってみたいかもしれない。

「そこのソファに掛けて。履歴書を持ってきてくれたなら出してくれるかな」

「はい!」

 面接なんか受けたことすら無いくせにその場に合わせた適当な台詞を吐きながら、私は全く違うことを考えていた。


 この後雇われる保証も無いのに彼があの好機を無駄にしたのは何故だろう。助手にならなければ成し得ない計画でも有るのか? タイミングが大事だとか? もしくは、そうだとすればあまりに嘗められたものだが、近くで私を観察しながら計画を練るつもりなのだろうか。

 殺したいほど憎い人間と長期間共に過ごしてまでするような犯行。無くはない。珍しくもない。それでも、それが自分に向けられるのは初めてだった。興味が湧いてしまったのだ。

死にたいわけでは決してないが、こんな態度でこの仕事を続けていれば早く死ぬだろうことは予想しているし、それで構わないとも思っている。だったらそれまで、このアンバランスな男を手元に置いてみるのも面白いんじゃないか。いつ、どんな方法でこの善人が殺しにくるつもりでいるのか少しだけ気になるし、敢えて予想しないでおいて驚かされてみるのも良いかもしれない。そうして楽しむだけ楽しんで、いざとなったら追い出すか警察にでも引き渡すのだ。しくじってうっかり殺されたとしても、それはそれで嫌われ者には似合いの結末だろう。

 喜々としてファイルを取り出す青年の、正面のソファに腰を下ろしてその眼を見る。既に落ち着きを取り戻したその青は、いつまた暗く輝くのだろう。

 まだ見ぬ楽しみに心が踊れば、緩んだ口は自然と開いた。

「それじゃあ面接を始めようか」


  ◊ ◊ ◊


 やっと会えた。

目の前の探偵はあの日とほとんど変わらなかった。すました顔に仕立ての良い黒のスーツ。全てを白日の下に晒しておきながら、親父の懺悔を聞こうとはしなかった奴。暴いたぶんの真実に責任を持とうとしない探偵。

 殺したいほど憎いが駄目だ、コイツは誰も殺していない。やって良いのはやられたぶんだけ。その薄ら笑いの化けの皮を剥ぎ取って、コイツの権威を地に落とすのだ。誰にも聞こえないところで泣き続けるように。向き合われない虚しさを心の底から知るように。

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