第33話 閻魔を倒す者

「やーたーがーらーすぅー!!」

 端正な顔からは想像もつかぬような形相で忽那は八咫烏に迫ってきた。


「おい、忽那えらい元気じゃねえか」

「てっきりやっつけたのかと思っておったわい!」

 慎一とコマは現れた忽那に驚いた。


「カラスさん、ずいぶん痛んでいるわ。今瑠璃光を当てるから」

 サキはすかさず瑠璃光を八咫烏に向かって放った。


「一日に何回サキにお世話になってるんだろうな。俺様は」

 八咫烏は少し微笑みながら瑠璃光を浴びている。


「いいから黙ってて。治らないわよ!?」

 慎一は忽那の前に立ちはだかった。


「忽那、お前の相手はオレだ。かかってこいよ」

 慎一は忽那を挑発する。


 もちろんブラフだ。特段、勝算があるわけではない。あくまでも八咫烏の治療の為の時間稼ぎに過ぎない。しかし、打てる手は全て打つべきであろう。忽那は謂わば王者で、慎一たちは挑戦者に過ぎないのだ。


「どちらにせよ貴様も始末する。順番はどうでも良い」

 忽那はニヒルに笑って闘騰気を打つ構えをした。驚いたことに、先ほどに比べて格段にモーションは小振りで素早かった。


 既に闘騰気は放たれていて、慎一の顔を掠めて大講堂の壁にぶつかり、派手に弾けた。慎一は自分の頬が少し焼かれて気がついたほどだ。


「おいおい、今のはやばかったんじゃねえか?」

 クイックモーションで闘騰気を撃つ事など想定にはなかった。


 では、忽那は闘騰気を何故外したのか?


 クイックモーションで撃つ事は忽那にとっても馴染んだ動作ではない。威力も、コントロールもイマイチだったわけだ。


「貴様、今度は抜かりなく当てるぞ」

 これはおそらく単なる忽那のハッタリではなさそうだ。


(集中しろ。集中しろ。奴の呼吸が感じられるまで集中するんだ!)


 慎一は目を瞑り、気の流れ、呼吸を読んでいる。忽那はお構いなしにさらに素早いモーションで闘騰気を再度放った。


 早く、強く、正確なベストショットだった。流石、地獄で「隠棲いんせい無双」の二つ名を得ているだけある。忽那の修正能力はピカイチだ。


「風戸慎一、貴様はこれで地獄送りだ」

 闘騰気の着弾を確信して忽那は独り言ちた。


 しかし、闘騰気は慎一には当たらなかった。気と呼吸を読み切った慎一は、五法具の一つ、輪宝を投じていた。


 輪宝は高速で回転する輪状の武器である。八岐大蛇との戦いでも、蛇頭の一つを切り裂いた。


 輪宝は、熱源体である闘騰気にも有効で、闘騰気をなんと霧散させてしまった。


 しかし、輪宝も同時に粉々になり、手元には戻らなかった。


「少しはやる様だな」

 忽那も慎一の短い間での進化には一定の注意を払わざるを得ないと判断したようだ。


「強いアンタにそう言ってもらえるのは光栄な事だね」


「勘違いするな。貴様など虫ケラだと思っていたが、上等なム虫ケラと思い直しただけにすぎん!」


(しかし輪宝を失った。どうするかな。…そうだ!)


「コマ! 済まねえがちょっと忽那の相手をしていてくれ!」


「何をふざけた事を抜かしておる!?」


「自慢の爪で切り刻んでくれよ」

 慎一はそう言い残してとっとと退いた。


「なんだ、今度は薄汚え老いぼれが出てきたな」

 コマはお世辞にも人格者ではない。


 むしろショートテンパー瞬間湯沸かし器である。今の一言でコマにスイッチが入った。


「ただの田舎の狼藉者の分際で、このワシをよくも愚弄してくれるのぅ。お主、タダでは済まさぬぞ?」


「どうしてくれるか生温い目で見守ってやるよ。いつでもどこからでもかかって来い。裏切り者め!」

 コマは忽那に向かって飛びかかった。


「裏切り者、か。閻魔に背いているという意味ではその通りじゃ」

 コマは続ける。


「という事は、お主も閻魔の言うことなど聞かんじゃろう? つまりお主もまた裏切り者じゃな。はっはっ」


 屁理屈も理屈のうちという事だが、心の中でコマは「裏切り者」という言葉に反発していた。


 正義の前では、裏切りという言葉は適切ではないからだ。


「たわけが! 貴様とこの忽那様を同格に語るな! 老いぼれが!」

 怒りに任せて忽那は乱れた長い髪の毛をかき分ける。


「亀の甲より年の功とも言う。お主にまあ目に物見せてくれよう。田舎者には初めてのものばかりじゃて。クックックッ」

 コマの煽りは天下一品である。


(そうだ。怒れ、怒れ。もっと怒れ。怒りに支配されたお主は、隙だらけじゃ。)


 忽那はまんまとコマの策略に嵌って怒り狂った。


「貴様に田舎者と罵られる謂れはないわ!」

 そう言うか言わないかの間に、クイックモーションで闘騰気を撃った。


 闘騰気は大きくコマを外れて、大講堂に再び着弾した。


「今度はワシの番じゃ!」

 コマは亜音速まで加速してジグザグに忽那に迫った。


「何だ、老いぼれのくせに!」

 ここまでの速度に加速したコマは、忽那でも捕まえきれない。


「こっちじゃ! お主は随分とノロマじゃのう? 流石に田舎育ちは鈍なまくらじゃわい」

 忽那の死角から現れたコマは、そう言うと忽那の顔を渾身の力で殴りつけた。


 顔に深く傷をつけた。歪む顔。忽那は咆哮をあげた。

「貴様ぁぁあああ!! オレを甘く見るなよ!!」


「甘くなど見てはおらんぞ。お主を倒すためにはワシの全能力を注ぎ込んでも足りないくらいなんじゃ!!」必死の形相でコマは忽那に歯向かっている。



「コマ、待たせたな」


「慎一! お主何やってたんじゃ!」


 呑気な顔をして慎一が加勢してきた。

 コマは涙目で抗議した。

「お主もワシの闘神が大したことがないのを知っとるじゃろうが!」

 コマは怖かったのだ。本当は。


「悪い悪い」

 慎一はヘラヘラと笑いながらコマに詫びると、一転真剣な眼差しになった。

「コマ、お前が教えてくれたんだよ。俺、軍荼利明王と孔雀王だけじゃなくて、ほかの明王にもなれるんだってな」


 コマはハッとした顔をする。

「お主、いつの間に・・・闘神が88まで上がっておる・・八咫烏を凌いでおるのか!! 否、忽那にも匹敵する・・・」

 慎一は、フッと笑い、真言を唱える。裏に隠れていたのは真言の練習をしていたからだ。


「oṃ ṣṭrīḥ kāla rūpa hūṃ khaṃ svāhā(オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ)!!」

 すると、水牛に乗った六面六臂の憤怒の相を持った明王が現れた。


「大威徳明王様か・・・」

 八咫烏がそういったまま絶句してひれ伏した。


 コマも呆けたようにそこに佇んだ。


「バカな、慎一が大威徳明王様になるとは・・すると忽那を倒せるかもしれぬ!」


「鉄の馬じゃないけどな。俺は乗り物は得意だぜ?」

 慎一は鞭も拍車もないが、鈍重そうな水牛 -- 実は水牛はライオンよりも速く走ることができるーー を操って忽那に向かって突進を始めた。


 鈍い音を立てて水牛は忽那にぶつかった。水牛は、ライオンよりも力強い。忽那は、何とか水牛の角を掴んで全力で組み止めている。


 大威徳明王。慎一が変化したこの明王は五大明王の一つで西方を守る。そして梵語による別名は「ヤマーンタカ」だ。


 死の神、ヤマをアーンタカ(終わらせる)という意味である。閻魔を倒す存在ともいわれている。


 日本では古来より「降閻魔尊」と慕われている。


 宝棒、剣、三叉戟さんさそう、弓、矢を持つ四本の腕と、真ん中の腕は中指を立てて印を結んでいる。


 顔が六つある理由は地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界のすべてに睨みを利かせるため。


 六本の足は忍辱、精進、布施、自戒、智慧、禅定を大切にするという意味で付いている。


「閻魔がこの男に手を出すなと言っていた意味が、今分かったぜ」

 忽那は慎一の姿を見て一連の閻魔の態度の真意を理解した。


「手が出せねえみたいだから、こっちから行くぜ?」

 慎一はお構いなしに三叉戟をザクザクと忽那の胸や腹に突き立てる。


 鮮血が飛び散り、水牛の突進を組み止めていた力も尽き忽那はそこに倒れた。


「やったぜ!」

 慎一は満足そうな顔をして忽那を見下ろしたが、忽那はすぐに脱兎のごとく逃げ出した。


「おい、待てよ!テメぇ!!」

 慎一は忽那を追う。


 手負いではあるが、忽那の逃げ足は恐ろしいほどに速く、流石の水牛もなかなか追いつけない。


 水牛はそのうち力が果てて、動けなくなった。


 慎一は変化を解いた。そして浮遊して忽那を追跡し始めた。


 なかなか追いつけず、気ばかりが焦る。コマと八咫烏は追ってこれないようだった。


 漸く慎一が追いついた時には、忽那は、元にいた場所ーー 有紀と元紀のいた場所ーー に戻っていた。

 忽那は今まさに有紀をさらって煉獄へ連れ去ろうとしているところだった。


「慎一さん、あいつは誰なんですか?」

 元紀にも忽那がはっきりと見えるようだ。


 忽那は現世にも影響を及ぼす愚を犯した。それほどまでに追い込まれていたのも事実である。辺りは騒然とし始めた。


 慎一は元紀に目もくれず、

「有紀に手を出すんじゃねえ!忽那ぁ!待ちやがれ!待てって言ってんだろうが!」


 慎一は必死に叫んだが、慎一には煉獄まで追う手段がない。


 慎一はすでに煉獄でのモラトリアムが許されていない、地獄送りが確定している霊魂だからだ。


 煉獄へは、死後の世界の定めにより簡単には行く事が叶わないのである。


 虚しく遠く小さくなってゆく忽那と有紀を見上げるだけであった。

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