第26話 再会

「解せぬ」

 眉間にしわを寄せながら、忽那くつなは煉獄から現世に繋がっている三途の川を腰まで水に浸かりながら渡っていた。三途の川も正しく言えば煉獄の一部分だ。


 河原では小さな子供が ー どうして幼くして亡くなったのだろうか ー 石を積んでいる。


 うまく塔のように積み上がると、子供達は手を合わせて拝むのだが、すぐに恐ろしい形相をした背丈が2メートルほどもある鬼がやって来て、せっかく積んだ石の塔を崩すのだ。


「賽の河原」

 現世の人間たちはこの三途の川の河原をそう呼ぶ。


 この幼子たちは、親よりも先に死んでしまったとがにより、積んでは崩される、を繰り返す苦行を強いられているのだ。


 親よりも早く死ぬことは許されることではないという事らしい。


 鬼が次々と子供達が積んだ塔を崩すのを見て、忽那が疑問を挟んでいるわけではない。


「閻魔の奴、何故にこの私に鍋島の化け猫と一緒にいるあの男を始末させぬのだ。この私なら、奴を亡き者にするのは容易いたやすいこと」

 忽那は明らかに苛立っている。


「今までも何度もその機会はあった。玉藻前が鍋島の化け猫に引き裂かれた時も、タガメの時も、不死鳥の時もそうだ。そして八岐大蛇。あの男は次々と我々の仲間を…いや、仲間などではない。閻魔の使いの者たち倒してしまう」

 忽那はいままでの慎一の一挙手一投足を見ていた。


「見たところ大した闘神は持ち合わせていないようだが、不気味なのは精神のが可変で、その振り幅がとてつもなく大きいという事だ」

 忽那は実に慎一の事をつぶさに観察していた。


「まだ、私に勝るものは何もない。万が一つにも私が負ける要素などない。しかし、何故なんだ。何故閻魔を裏切り、あの化け猫はあの男を助けるのか。そして八咫烏の奴め。式神など寄越して娘を監視させあまつさえあの男と行動を共にするとは。許せぬ」

 忽那の怒気は頂点まで昇って行った。


「式神を操っているのは誰だ…猫ではないな。あの未熟な男でもない。八咫烏だとすれば最初からそうしているだろう。そうか、あの娘…」

 


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「うぅうっ、寒い!」

 日野の有紀の家の周りで妖に対する警ら中だったサキは突然悪寒に襲われた。


「どうした、サキ? 寒いってお前死んでるのに風邪でも引いたのか?」


「シン兄、幽霊だって風邪は引くんだよ? 知らなかったの?」


「初めて聞いたぜ」


「死んでたってシン兄は妖怪にコテンパンにやっつけられてひどい傷を負ったりしてるじゃない!」


「ぐっ、それとこれとは…」


「なにが違うのよ!」


「貴様ら面白いな」

 八咫烏が割って入った。


 一瞬、慎一とサキはお互いに顔を見合わせたが、またすぐに諍いを始めた。


「おい、無視するなよ。ハチ、あいつらはいつもああなのか?」


「痩せガラスよ、ワシはコマじゃ。ハチなどではないぞ」


「貴様、どさくさに紛れて私を痩せガラスと呼んだな?」


「やや、これは失敬じゃ。フハハハハ!」

 八咫烏は怒りに任せて右の翼でコマを吹き飛ばした。姿こそ人間の形をしているが、八咫烏の背中に灰色の羽が生えている。


「お主! 老人は労わるもんじゃぞ! 何をしてくれる!」


「元気な老人だ。長生きしろ」

 コマと八咫烏が喧嘩を始めると、慎一とサキの諍いは終わった。


「ネコちゃんも相変わらず気が短いのね」


「本当だな」

 四人は「新宿事件」の後、特に妖の類が攻撃してくることがなくなった事にむしろ警戒を強めていたが、気を緩める暇がないことがストレスにもなっていたのか、喧嘩をしやすい雰囲気になっていた。


 そんな時、有紀が家から出てきた。


 今日は土曜日。会社は休みのはずだが、出社する時と変わらぬ時間帯に、少し他所行きの服装をして。


「おい、慎一よ。有紀殿はどこへ行くんじゃ?」

 不思議に思ったコマが慎一に聞いた。


「あー、まあ、付いていけば分かるんじゃないかな」

 と、慎一。


「シン兄、勿体ぶって! なんなのよ!」

 サキは怒っていたがお構い無しに残りの三人は有紀についていった。


 慎一が、三人に言った。


「今日は2月11日だったよな」

 有紀は、中央線に乗り新宿方面へ向かった。


  時間が止まっていた間の記憶は無いものの、黒い「闇が瞬く間に自分の乗っていた電車を呑み込んだ様を思い出し、恐怖が無い訳ではなかったが、行き先は高円寺だ。職場へ出勤する際と同様この電車に乗る他ない。


 立春を過ぎたとはいえまだ2月。この日は日差しが柔らかく、暖かい。来週のヴァレンタインデーを一足先に二人で過ごすカップルが散見される車内も心なしか穏やかな感じだ。


 あの日、慎一がオートバイ事故にあった日から丁度一年だ。事故にあったのは10日の深夜、亡くなったのが11日。一周忌が中野で営まれるが、家族よりも先に有紀は事故現場に赴いて献花をするつもりだったのだ。


 高円寺の駅で降り、新高円寺駅に向かって南下。青梅街道を越えると、その道は「五日市街道」と呼ばれるようになる。


 有紀はまず高円寺駅の近くにある、フローリスト「フルール・ブランシュ」で花束を見繕ってもらった。


 5000円を払うと、その花束を抱えて歩き始めた。


 この日まで、有紀は父哲朗、弟航輝と共に何度となく訪れた。最初のうちはその場で泣き崩れる事もしばしばであったが、この頃はもう少し冷静に事故現場と向き合うことができるようになっていた。


 しかし、現場に着いた有紀はその人物を目を見開いた。


「川上、さん?」


「あ、白石さん。ご無沙汰してます」

 そこに非番なのか、私服を着た川上元紀が慎一に献花をしている姿があった。


「わざわざ花を手向けて下さったんですね。あ、アネモネ。慎一、好きだったんですよね」


 元紀は少しはにかみながら答えた。




「アネモネを選んだのは花屋さんなんですけど。この紫色のアネモネの花言葉を教えてもらったんですが、白石さんはご存知でしたか?」


「ええ、『君を信じて待つ』でしたよね?」


「よくご存知ですね。風戸選手、きっとずっとずっと白石さんを天国でも見守っているんだと思います」

 有紀は、少し躊躇いながらも勇気を出して元紀に聞いた。


「川上さん、なぜ慎一に花を?」

 自分が搬送した要救護者であっても、救急隊員が個人的に特定の人物に対して献花をするのには違和感を禁じ得なかったのだ。


「そうですね」

 と、短く元紀は答えて、


「一年前のあの時、白石さんが見間違えるくらいに僕と風戸選手は似てたんですよね。他人とは思えなかったんです」

 と有紀の目をまっすぐ見てそう続けた。


「この後、一周忌があるんです。今日、もし川上さんが非番でいらっしゃったらきて頂きたいのですが…」

 有紀は思いつきで元紀に言った。


 元紀は、少し考えて、


「せっかくお誘いいただいたのですが、遠慮しようと思います。いえ、嫌というわけでは勿論ないんですよ。ご遺族の方が、私が現れることで少し混乱してしまわないかと心配で」

 有紀は、


「でも」

 と言いかけたが、それに続く言葉を呑み込んだ。


「そうですね。そうかも知れません。川上さんをお見かけして、思いがけず私も舞い上がってしまって。変なお願いをして申し訳ありませんでした」


「いえいえ、そんな、謝らないで下さい。あ、そうだ」

 元紀はそう言って、持っていたディパックからメモ帳とボールペンを取り出して何やら書き出した。


「これ、僕の職場の連絡先なんです。今度是非いらしてください。隊長もきっと喜んでくれると思います」


「私なんかが行ったらお仕事の邪魔になるのでは?」

 有紀は至極普通の反応を見せたのだが、元紀は意に解することなく、


「もしよかったら、白石さんの連絡先も教えてくださいよ。LINEでも大丈夫です」

 と有紀に答えた。


「は、はあ」

 有紀はそう返答するのが精一杯だったが、携帯の電話番号を書いて元紀に渡した。


 この様子を慎一達四人は見ていた。


「元紀君、上手いこと有紀とつながりを持ってくれそうだな」


「シン兄がモトキさんに、そう言うように言ったの? それで本当にいいの?」

 サキが心配そうに聞く。


「いや、俺が何か言ったわけじゃないよ。もし、有紀が元紀くんの事を、その、好きになったとしたら、俺はひょっとして成仏できるんじゃねえかな」

 慎一が真剣な眼差しでそう言うと、コマは、


「お主にはその前にやる事はまだある」

 と、いつもとは違って少しも茶化すことなく慎一を諭すように呟いた。


 

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