覚醒そして

第10話 軍荼利明王

「そろそろ、オレの本体のところに戻っていいか?」

 慎一は気まずそうにコマとサキに言った。


「そろそろお袋とか、有紀とか来てると思うし」


「お前に似たやつに会わんでいいのか?その、有紀とやらは、お前の嫁か?」


「えー、シン兄結婚してたの?ざーんねん」


「ああ、結婚するはずだったんだ」

 コマとサキは黙った。


「婚約者を置いて逝くなんて最悪だなぁ、オレは。悲しんでるんだろうな。きっと」


「ワシの、せいじゃ」


「まあ今更恨んじゃいねえよ。避けれなかった俺が悪いんだ」


「じゃがわしに出来ることはないか?」


「有紀を守ってやりたい。でも、姿も見せられない、声もかけてやらない。触れることも出来ないなんて」

 サキは少しばかり涙ぐんでいる。


「シン兄も辛い思いをしてるんだね。それなのに私のこと気遣おうなんて人が良すぎるよ…」


「誰かのために生きてみたいってこのところずっと考えていたんだ。それが叶わなくなって、それでサキが現れたんだ」

 サキは黙って聞いている。


「お前のために俺の存在を投げ捨てたって構わない、そう思ったんだ」


「お主が有紀とやらを守るために、誰かに憑依する、という手もあるにはあるんじゃが…」

 言いにくそうにコマは呟いた。


「問題はその誰かと有紀とやらが出会わねばならんし、有紀がその者を受け入れねばならん。かなり敷居が高い方法ではあるんじゃ」


「憑依してる間、本人の意識はどうなっている?」


「憑依した者の意識に抑え込まれて表面には発現しては来ぬのじゃ」

コマは続ける。


「見るもの聞くもの、触るもの。全て意識はあるのだが、自分の意のままに何もできぬうえ、生殺しみたいな状態じゃな」


「それは気の毒な。人格を乗っ取る、そんな感じなんだな?」


「まあそうじゃな」


「まあ、まずは急ごうよ。シン兄の身体のところに」

 コマは慎一の肩に乗り、サキは慎一の少し後ろを飛んで松庵労災病院に戻った。


 慎一の遺体は既に霊安室にあり、有紀と慎一の母、敬子の二人が佇んでいた。


「有紀さん本当にごめんなさい。まさかこんな事になるなんて」


「いいえ、義母さま私が悪いのです。弟を駅まで送ってもらわなければこんな事には…」


「そうじゃないわ。弟さんに何もなくて良かった。あの子の気の緩みでしょう。あなたにこんな悲しい思いをさせるなんて」


「やり切れない気分だ」

 慎一はそのやり取りを見ながら呟いた。


 その時である。

 虎柄を纏った小鬼が三体躍り出た。


「クックックッ、コマよ、ワシらが潜んでいたのに気がつかなかったとは貴様も耄碌したようだな!」


「迂闊じゃったわ。確かに慎一本体に近づけばそれだけお前らのような刺客に出会う確率が高いのにワシとしたことが」


「覚悟しろ!」

 小鬼は長く細い鉄槌を振り上げて襲ってきた。


 慎一は動くことなくその場で硬直している。


 躊躇することなく小鬼、天邪鬼は慎一に殴りかかり、制圧にかかった、


 振りかざした鉄槌が慎一の身体にかかる掛からないのタイミングで慎一の身体は眩い光を放ち、鉄槌を曲がるまでに硬化した。


「なんだと? 俺の鉄槌が!」


「よし、今度は俺に任せろ!」

 もう一つの天邪鬼が薙刀で襲いかかる。


 慎一は手刀で応戦する。


(何だこれ、勝手に体が動きやがる。ロクの奴、何か俺にしたのか?)


 目でロクに訴えかけたが、ロクは頭を振り、


「わしは何もしておらんぞ! お主に闘神を三つやろうとしていたがまだ渡せておらん!」

 とどなり返した。


「でも勝手に身体が動くんだ」

 3体目の天邪鬼は網を使って慎一を捕獲しようとした。


「これでお前もおしまいだ! ウェヘヘへぇーっ!」

 気味の悪い笑い声を出しながら慎一に向かって網を投げた。


 慎一は捕らえられた。


「くそっ!」

 そう言うと、手刀で網を裂き始めた。


「おりゃああああああっ!」

 網は呆気なくバラバラになった。


「どうしてくれようか? この不細工ども!」

 慎一は吠えた。


 天邪鬼達の表情には、焦りが滲み出ていた。


まもなく慎一の身体は変化が始まった。


 強い苦痛を伴うもので、慎一は絶望的な咆哮を上げ、それに耐えた。


 まず、慎一の腕は八臂に増えた。


 すると、どこからやってきたのか、首、腕、足に全部で12の蛇が巻き付いた。


 身体は薄暗い緑色に徐々に変わった。

 そして最後に、額の心眼がひらく。


「お、お主は軍荼利明王ぐんだりみょうおうなのか?」

 コマが唖然として姿を変えた慎一を見上げている。


 宝来如来の化身として、様々な障害を取り除く五大明王の一つである軍荼利明王に慎一は変化した。


「ヴェエエえええっ‼」

 しかし、生き地獄とはこのことか。


 変化といえば聞こえはよいが、体そのものが異形に変化するには想像を絶する痛みを同時に体験しなければならなかった。


「はぁ、はぁ、はぁ」

 慎一は肩で息をしながら小鬼たちを睨みつける。


「不細工ども、来いよ。ぶっ飛ばしてやりゅ」


「シン兄、噛んだよね? ネコちゃん」

 と、サキがいたずらっぽい目をしながら言った。


「噛んだ? ああ、言い間違いのことかの?」

 とコマが応える。


 慎一は二人のほうを向いて、


「う、うるせぇ! 今そんなこと言ってる場合か!」

 と怒鳴った刹那、小鬼三匹が同時に襲い掛かった。


「ワシらを前に余所見とはいい度胸だ! 後悔するがよい!」

 すると、軍荼利明王となった慎一は、


「オン アミリテイ ウン ハッタ」

 甘露軍荼利真言~「帰命したてまつる、甘露尊よ、祓いたまえ、浄めたまえ」というマントラを唱えた。


(なんだ。この薄気味悪いお経みたいなのは…)

 自然とマントラを口ずさむ自分に驚く慎一。


「ぎええええええぇっ!」

 小鬼達は断末魔をあげながら、表皮は爛れ、骨肉は崩れて最後には霧散霧消した。


「ど、どういうことだってばよ?」

 自分のした事が俄には信じられなかった。


「こ、これが闘神0の俺のチカラなのか?」

 小鬼が消えると、慎一の体は見る見るうちに元に戻った。


「有紀とお袋は?」

 慎一は周りに居たはずの有紀と、母を案じたが、異空間で何が起こっても、実世界では何も起こらないようだった。


 そして、慎一の変化を目の当たりにした、コマもサキも目を丸くして固まっていた。


 コマが生唾を飲み込みながら言う。

「実世界にはお主と雑魚妖怪どもの戦いは影響を与えん。心配するな。しかし、お主なんじゃそれは。軍荼利明王になれるのか?」


「軍荼利明王だぁ?なんだそのぐんだり妙なやつってのは」


「うつけものめ! 軍荼利明王様を知らんのか!」


「知らんものは知らん!」

 コマは呆れ顔だ。


「お主の『精神』は、算学を超えておる様じゃ。闘神がなければ、『精神』をいくら乗じても無は無なのじゃが…驚いたわい」

 

「それはどうでもいい。俺は一体なんなんだ?」

 コマには答えはない。何しろ三百年以上生きていて来たが、こんな男は初めてだ。


「しかし、こやつに軍荼利明王様が宿るとは。これからの戦い、捨てたものではなさそうじゃな。一発で複数の敵を霧散できるマントラは実に頼もしい」

 慎一は元の体に戻ってからも肩で息をしている。


「ただ、消耗が激しいようじゃ。この程度の雑魚にいちいち変身していては身が持たぬ・・・使いどころを考えさせねばならんようじゃ」

 そう呟くコマの目には、策士としての光が宿っていた。

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