第6話 三島 早織

 恭也と最後に会ってから三日がたった。この三日の間、全てにおいてだらけていた。ダラダラとアルバイト先とアパートの往復をするだけの抜け殻のような生活を送っていた。もはや何もする気になれず、勿論、就職活動など全くしていない。


 涼介と話せば恐らく恭也の事で話は止まらないだろうが、何だか惨めな気持ちになりそうなので、連絡する気にもなれなかった。


 こんな状況に陥ってしまったのは、学生の時から何事においてもやる気を起こさず就職や人生を適当に考えていた自分自身の責任である。一生懸命頑張る事が恥ずかしいと思っていた自分の事が恥ずかしく心底情けなく思う。


 学生時代は恭也と涼介と一緒に楽しく過ごしたが、あの時なぜもっと真剣に勉強しなかったのか、なぜもっと必死に彼女を作ろうとしなかったのかと、なぜもっと毎日を頑張らなかったのかと、後悔しか残っていない。今となってはもう遅いのだが。


 このままでは恭也と涼介に置いて行かれるという焦りはあるのだが、何もやる気は起きないままである。恋人でもいれば頑張れるのだろうか? 仕事もないのに恋人など出来る訳がない。


 完全に仕事も恋人も見つからない、何も出来ないループにはまり込んでいる気がする。仕事が先か恋人が先か。いや恋人を探し求めるよりも何よりも就職先を見つけるのが最優先であろうということだ。


 例え出会いがあったとしても「アルバイトをして生計を立てています」などとはと自己紹介した時点でその出会いは終わるだろう。将来性のない男と誰もつきあってなどくれないだろう。


 絶対にこういう仕事がしたい、この会社に就職したいなどという目標もなく、ただ英語を使う仕事をするのはかっこいいななどと思っているだけのそんな俺に易々と仕事など決まる筈もない。


 昔からなりたい職業、やりたい仕事が有る奴が信じられなかった。こんな人間だけど将来の不安だけはある。兎に角やはり、定職に就くべきだろう。いつまでもやりたい仕事を探している場合ではない。


 いい加減このへこんだ気持ちと考えを切り替えないと、俺の心も永遠に暗黒のループに嵌ってしまいそうだ。


「古川さん、おつかれさまですぅ」

 バイト仲間の三好くんが声を掛けてくるまでずっと考え込んでいたみたいだ。彼が来たってことは、今日はもう上がりの時間か。


 俺みたいなフリーターこそ土日祝日は勤務シフトを目一杯入れられるはずだけど、大学生の三好くんが土日祝日と金曜日は夕方位からシフトを入れたがるので、土日は休みか4時間位の労働時間で、金曜日は遅くとも夜9時上がりになる。

 金曜日はよく恭也と涼介と飲みにいっていたが、それももうなくなるのか、と思うと寂しくなった。


 そういえば三好くんは大和大学だったはずだ、秋吉 里香さんの事を知っているかも知れない。

「そういえば三好くんて、大和大学だったよね」

「違いますよぅ。僕はそんなに賢くないですよぅ」

「じゃ、お疲れさま」

 俺は三好くんに別れの挨拶をして、店を後にした。

 少しイラっとする話し方以外は、三好くんは真面目でいい奴なので、語尾を伸ばす癖をいつも指摘できないでいる。


 今日は久しぶりに何事も無く店からアパートに帰る事が出来た。

 このまま落ち込んでいてもしょうがないのでレンタルビデオ店に行くことにした。こういう時は好きな映画を見るに限る。映画を見て現実逃避、それから腐った気持ちを徐々に回復、そして何本か映画を見終わった頃には恐らく人生のレベルアップぐらいしているだろう。

 何とかやる気を出すためにこの金、土、日はゆっくり休んで、それから今後の事は考えることにしよう。


 レンタルビデオ店で三本の映画を借りコンビニで、遅めの夕飯と三日分のビールと酎ハイとつまみを買ってアパートに戻った。テーブルの上に先程買った食料を広げているとインターホンが鳴った。


 壁時計を見ると九時四十分だ。ひょっとして涼介? いやそれなら電話くらいしてくるだろうし、いやあの恭也の話が壮大なドッキリで二人で俺を驚かそうとして訪ねてきたとか。

 まさか、でも、しかし、もしかして、いやありえる! 

 俺は勢いよく玄関扉に向かい返事もしないで戸を思いっきり開けた。


「きゃっ! 」

 そこには驚いた顔の泥女が立っていた。いや、今日は泥まみれの顔ではないのだけれども。

「なんだ、泥人形かよ」と俺は期待が外れて、ガッカリして言ってしまった。

「この間泊めてもらったお礼をしに来たの、でも、なんだか歓迎されてないみたいね」

 戸惑う彼女。普段ならこんな可愛い娘が部屋に来てくれれば喜びの頂点だが、どうやら、ガッカリした顔を見られてしまっていたみたいだ。

「いや、いやいや、突然だからびっくりしちゃっただけで。お礼なんてよかったのにホントに、ハハハ」


 彼女は自分の家の様に俺の部屋に上がり込み俺のベッドに座った。

「それより、あんた私の事、泥人形って呼んでいたわけ? 」

「あっ、いやいやウソウソ。いやホント。いや違うんだ。だって名前まだ知らなかったから」

「まあいいけど。そう言えばまだ名前言ってなかったよね。私、三島 早織です」

「どうも、古川 晴一です」

「周りの友達からは下の名前でサオリって呼ばれているわ。呼ぶ時はカタカナをイメージしてね」

「……了解。じゃあ俺はハルって呼ばれているよ、親しい友人からは」

「はい、じゃあこれどうぞ。この前、カステラが大好きって言っていたから」

 彼女は俺に高そうな包みのカステラを差し出した。これは三本分のカステラだな、恐らく卵、チョコ、抹茶だろうなと思いながらも俺が好きな物をわざわざ覚えていて、買って来てくれた事に感動した。

「おおっ、ありがとう! お茶の用意をするから、ちょっと待ってて」


 彼女はコーヒーだけもらうと言い、俺は一人でカステラを食べて、ビールと酎ハイを二人で飲み始め、二人で俺の夕飯に買った弁当を食べた。その間、彼女はずっと話し続けていた。

 俺はただ相槌を打ったり質問したりしていただけなのだが、楽しかった。普段女の子と接点が無いからなのか、彼女が可愛いからなのか、それとも本当に彼女の話が楽しいのか。


 彼女は秘書検定の資格を取り就職出来た事を、俺はアルバイトをして生活している事だけを話した。本来ならここらで合コンの一つでも頼んでも良さそうだが、アルバイト生活の俺には、そんなことなど、とても言える身分ではない。


「ふーん、この前来た時気がつかなかったけど英語の参考書と映画のDVDが結構有るのね、何か目指しているの? 」

 サオリに質問された。

「うん、まあ、うん」

 俺は答えるのは濁した。仕事や求職の話を逸らす為にこの前の泥だらけだった顔の理由を聞いてみた。


 彼女の家はここから五つ目の駅なのだがよく就職の願い事参りに水笠神社にお参りに来ていたそうだ。その日彼女は酔った勢いで夜にもかかわらず就職出来た報告に水笠神社に入って行ったそうだ。いくら酔っているとはいえ女の子があのような暗い所に一人で行くなんてどうかとは思うのだが。


 そこで酔ったままでは失礼にあたると思った彼女は参拝する神社の横の手水舎で手と口よりもまず、顔を洗ったそうだ。

 するといつもは手水舎いっぱいに満たされている水が全て濃厚な泥水だったそうだ。嘘のような話だが。


 暗がりの中、泥水を両手いっぱいにすくい顔に塗りたくるまでそれが泥だと認識しなかったそうだ。相当酔っていたんだろうな。慌てた彼女は洗い流そうと自販機を探して道路に飛び出したが面倒になりそのまま寝てしまったらしいのだが、そんな不思議な事ってあるのだろうか。


 彼女は「本当にビックリしたんだから」と何度も言っていた。俺も彼女の行動には本当にビックリだ。


「悪いけどまた終電逃しちゃったからヨロシク」

 兎に角、彼女は今回も終電を逃して、泊まって帰ることになった。前回同様、当たり前のようにベッドを占領された。しかし彼女の訪問のおかげで久しぶりに元気を取り戻せた気がする。


 翌朝コーヒーを飲みながら二本目のカステラを食べていると、やっと目を覚ました彼女がノソノソと化粧をし始めたので、彼女の分のコーヒーをいれた。


 彼女はもっと自分自身の行動には気を付けた方がいいだろう。夜道に一人で神社に行ったり、酔っぱらって道端で寝たり、挙句知らない男の部屋に泊まるなど。そのうちとんでもなく危ない目に遭うことがある、かもしれない。


 大きなお世話だと言われるかもしれないが、駅まで送って行く途中にそのことを忠告した、が鼻で笑われた。

「大丈夫、私、人を見る目と運はあるから。でも、ありがとう心配してくれて。じゃあね、ハル」 

 そう言うと彼女は笑顔で駅に入って行った。女性に名前を呼ばれる事など滅多に無い俺は少し照れた。


 彼女の真っ直ぐな背中を見送りながら、とにかく就職活動を頑張ろうと思った。

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