白き獣の少女 7




少女が目覚めると、そこは悪魔達の住むアパートのリビングの中だった。

そのソファの上に寝かされていたようだった。


横に目を向ければ、ディメが静かにスマホをいじっていた。

ディメは少女が起きたことに気がつくと、スマホを机の上に置いた。


「おはよう。よく眠れたかい?」


その言われて側にあったスライド式のガラスの窓に目を向ければ、外は少し明るくなって鳥が元気良く外で鳴いていた。

少女は寝そべっていたソファに、体にかけられていた毛布を膝にかけて座り直した。


「昨日は散々だったな…しかしなんでまた急に出て行ったりなんかしたんだ?」


ディメの質問に対し、少女は下を向いて俯いてしまったが、意を決したようにディメの方へと顔を向けた。


「わ、わたしが起きて、ファジーさん、と、ディメさんの…お、お二人が喧嘩して…わ…わたしが原因だと思って…それで…」


「自分が悪いと思わせたとはね…そりゃあ悪かったよ」


ディメはすまなさそうに頭の後ろに手を回した。


「あの…ど、どうしてわたしを…助けて、くださったん…ですか…?」


「どうして…か…」


少女の質問に対して、ディメは天井に目を向けた。


「…倒れてるお前を見つけた時、最初は何も感じなかったのさ」


ディメは少しずつ言葉を続けていった。


「ただボロい服を着た見すぼらしいガキが倒れてる…そうとしか認識してなかった。そんなやつは街中探せばいくらでもいる。だが俺は…お前を“可哀想”と感じた」


ディメは少女の顔を見つめながら続けた。


「自分の気持ちを不思議に思いながら倒れてたお前を顔を見ると、どうしてか守ってやりたいって思ってな…そうしたらいてもたってもいられなくなって、連れてきたってところかな…」


ディメは少女を見つめる目をそらすと、自分の足元を見つめた。


「…毎日血生臭い生活を送って、それを当たり前と思ってた中で、こうしてお前の寝顔を見た時に、なんだかこう…穏やかな気持ちになれた」


もう一度少女に目を向けると、少女は話に長い耳を傾けて静かに聞いていた。


「その後、お前が知り合いに似てて…もしそうじゃなかったとしても…いや、今のは忘れてくれ」


ディメは首を横に振って話を切り上げて立ち上がると、ソファに座る少女の前まで歩き立ち止まった。


「改めて…ようこそ、俺の城へ」


右手を差し出し、上半身を下げてお辞儀をする。


「過去の記憶も自信もないお前を俺達は歓迎する。たとえその体に刻まれた名前が分からなくとも、お前ならきっと俺達の助けとなるだろう」


少女はディメの差し出した右手を見つめた。


「今後ともよろしく」


恐る恐る手を伸ばすと、あと少しで手が届くというところで少女が顔を上げてディメの顔を見ると、目が合った。

そして互いの手が触れ合ったその瞬間、少女の脳裏に昨夜蘇った断片的な記憶が再び現れた。

その記憶の中の、薄暗い廊下に立つ男の顔が、冷たい目をしたディメと重なった。





『役立たず』






どこかからそう言われた気がした。




思わず手を引っ込めて胸の前で右手を左手で覆い隠してしまった。

ディメは自分に怯えうつむく少女を少し驚きながら見下ろした。

そして目を伏せため息をつくと、近くにあった窓のカーテンを閉めた。


「朝食までまだ時間もある。もう少し眠っておくといい」


そう言い残すと、ディメはリビングから出ていった。

後に残ったのは、自分の手を見つめながらうつむく白い毛皮の一人の少女だった。











 少女が眠れない心を落ち着けてもう一眠りして目を覚ますと、窓からは朝日が差し込み、外から子供の賑やかな声が聞こえてきた。

どうやらとっくに朝になっているようだった。

トモがソファの上で毛布を握りしめて辺りを見回してみると、どこからかいい匂いが漂ってきた。

匂いのする方へと顔を向けると、そこはリビングに併設するようにして作られたキッチンルールだった。

そこには料理に必要な道具や機材が一通り揃っており、その部屋の真ん中には、食事をするための大きめの明るい色の木製机と椅子が置かれていた。


そのキッチンで誰かが料理をしていた。

ソファを降りて、キッチンの方へと向かった。

近づいてみると、そこには背の高い男がエプロンをつけて何かの野菜のようなものを切っていた。

その男の頭をよく見てみれば、人の頭のような形の輪郭は薄らと見えるが、その頭は煙のような物でできており、不定形で常に揺らいでいた。

その頭についていた唯一の顔のパーツである2つの目がトモを捉えた。

少女がその視線にたじろいでいると、男のほうから声をかけてきた。


「目が覚めたか」


その声は感情がこもっていなかったが、どこか優しい雰囲気を感じた。

料理の手を止めずに男は話し続けた。


「今朝用事を済ませて帰ると、ディメから急に君を引き取ると聞かされた」


「あ…す、すみません…」


「なぜ君が謝る。その言葉はディメから聞きたいものだ」


事実ディメは朝の早い時間に帰って来たこの男に対して唐突に少女のことを伝えると、自室に入っていってしまい、文句のひとつも言えずじまいだったのだった。


「…パンとご飯、どちらがいい?」


「え…?」


「朝にはパンとご飯どちらをよく食べる?好きな方を用意する」


「あ…えと…あ、朝はその…何も食べなくて、それで…」


「…朝食を抜くことを責めるつもりはない。しかし個人的には朝食はしっかり食べたほうがいい…と考えている」


「えと…えと…パ、パンで…」


「…わかった」


一言だけ返事をすると、煙の男はテキパキと朝食の準備を進めていった。

同時にいくつもの作業をこなし、テーブルの上には次々と料理の乗った皿が並べられていった。

気がついた時には、テーブルの上には5人分の食事が並べられていた。


(この家には5人住んでいるんだ…)


少女がそう考えていると、リビングのドアの一つが開いた。

そちらに目を向けてみれば、そこから現れたのは真っ赤な球体だった。

しかしその赤い球体には、上や後ろに管のようなものが飛び出ており、それは何かの本で見たことがあった心臓そのものであった。

球体の横や下からは某黄色いクッキー食べマンのような手足が生えていた。

そしてその球体の真ん中には大きな目玉がはめ込まれていた。


「おっはよー!!」


その球体が喋り出した。

そのままキッチンまで一瞬で歩いてくると、煙の男へと話しかけた。


「ルイン!今日の朝ご飯はなに〜!?」


「…ベーコンエッグだ」


「やった!ベーコン大好き!」


「ちゃんと野菜も食べろよ」


ルインと呼ばれた煙の男と赤い球体が話していると、赤い球体がトモの方へと体ごと目を向けた。


「!わお!おはようこんにちははじめまして!君がディメが昨日電話で言ってた子だね!」


そう言うやいなや、少女の手を取って激しく上下に振って握手をした。

トモが面食らっていると、赤い球体は少女の手を握りながら話しかけてきた。


「自己紹介がまだだったね!僕の名前はマァゴ!」


トモの手を離してその場でくるくる回ったりステップを踏むと、近くにあった椅子に登って天井を右手で指差すと、腰?にあたるであろう部分に左手をあてて、決めポーズのようなものをとった。


「歌って踊れるキュートな神様!それが僕!」


マァゴと名乗った真っ赤な球体のいる場所にだけ頭上や床からライトアップされているかのようだった。

ポーズをとった後すぐに椅子から降りてトモの側に来ると、腰に手を回してハグをした。


「それで君の名前は!?」


「わ…わたしは…」


抱きつかれて苦しくなりつつも、何とか声をし乗り出すが、そういえば自分の名前すらも思い出せないと思い出し、悲しくなってしまった。


「わ…わたし…な、名前は…」


「ん?もしかして名前がないの?それは大変だ!…せっかくだし僕が名前を考えてあげるよ!」


そう言うと、マァゴは腕を組んで考え込む様にして目を閉じた。

数分経ったところで、目を見開いて指を鳴らした。


「よし!君の名前は今から”トモ”、だ!」


そうマァゴが叫ぶと、それを聞いたルインがマァゴに声をかけた。


「どうしてトモ、なんだ?」


「それはもちろん…僕の友達だからさ!」


呆れるルインとは対照的に、マァゴは楽しそうにその場で飛び跳ねた。


「ねぇトモちゃん!僕と友達になってくれないかい!?」


「え…?え、えと…は、はい…わかりました…?」


「本当!?うーわやったー!!」


少女が友達の申し出を承諾すると、マァゴは天井を突き破りそうなほどに飛び上がって喜んだ。

その感情の激しい表現に少女が目を白黒させていると、マァゴの入ってきたドアから誰かがやって来た。


「おはよう…おや、早速仲良くなってるね」


それは脇の間に新聞を挟みながらスマホをいじっていたディメであった。

手に持ったスマホをいじりながらトモ達のいるキッチンの方へと歩いて来た。


「マァゴ、この子はは昨日倒れてたのを介抱したばかりの病み上がりだ。あんまり引っ張り回すなよ」


「おっけー!」


ディメの嗜めに対して、わかっているのかいないのか分からない返事をマァゴがした。


「…準備できたぞ」


ルインがそう言ったのを聞いてその場にいた全員が台所に置かれたテーブルに目を向ければ、そこにはすでに湯気を立ち上らせる料理が並びきっていた。









「あ゛ー…」


トモ達が机に座った直後、台所の奥のほうにあるドアが開いて、そこから黒いTシャツを着たファジーが入って来た。

その目玉の頭には白いとんがり帽子はのってはいなかった。


「おはよー!…まぁーた遅くまで飲んでたの?」


マァゴが声をかけると、ファジーはうるさそうに顔を(目玉を)しかめながら料理の置かれた空いている席に座った。


「デケェ声で騒ぐな…頭に響く…」


その辛そうな様子からしてどうやら二日酔いのようだ。


「まーったく!そんなんだから彼女もできないんだよ!」


「…んだテメェ…朝っぱらから喧嘩売ってんのか…?ああ?」


「そういう喧嘩っ早いところもね!」


そう話している二人の間の空気が徐々に険悪なものになっていく。

テーブルを挟んで行われる睨み合いにトモがあたふたしていると、コーヒーをいれていたルインが手に持った丸めた雑誌で二人の頭をファジーから順番に叩いていった。


「朝っぱらから喧嘩するな。片付かなくなる」


ルインがそう言いながらコーヒーの入ったガラス製の容器を机の真ん中に置くと、空いている席に座った。


ファジーやマァゴがパンやフォークを手に取って食べ始めようとすると、トモが目を閉じて手を合わせていた。


「いただきます」


トモが目を開けると、全員に見られていたためその場で縮こまってしまった。

互いに顔を見合わせる悪魔達。


ディメとルインはトモに倣うように手を合わせた。

マァゴも倣って手を合わせるが、その食事の前の挨拶を知らなかったようで自分の手を不思議そうに見ていた。

ファジーは一瞬手が止まったが、すぐにまた食事をし始めた。


「「「いただきます」」」


3人の声がキッチンに響いた。





四人の悪魔(一人はそれすらも怪しい姿だが)が食事をし始める中で、トモ一人だけが目の前の料理に手をつけていなかった。

厚切りのトーストにベーコンエッグ、サラダの盛られた小皿と味噌汁。

その料理をヨダレを飲み込みながら見つめていた。

その様子を不思議に思ったルインが声をかけた。


「どうした?…苦手な物があったか…?」


するとトモは慌てて首を振った。


「い、いえ…わ、わたしが皆さんと一緒に…た、食べ出しては、いけないと思って…」


ファジーを除いた3人は顔を見合わせた。


「ん?食わねぇんなら俺がもらうぞ」


トモの目玉焼きにフォークを伸ばしたファジーの手を手で叩きながら、ルインはトモに尋ねた。


「わ、わたしがいた場所では…それが決まりだったから…」


その言葉にディメが目を見開いた。


「記憶が戻ったのか?」


その質問に対し、トモは静かに首を横に振った。


「ほんの少しだけ…わたしが、皆さんに迎えてもらった前に、いたところのことを…少しだけ…」


「そうか…」


悲しそうにうつむくトモ。


「…その話は食事の後にしたらどうだ?」


ルインがそう切りだした。


「…君が昔どこにいたかは今この場所では関係は無い。だからそんな決まりは気にしなくていい」


ルインにそう諭され、トモは顔を上げた。

無表情に近い顔をしているルインの顔を見ると、どうしてか穏やかな気持ちになっていった。

ファジーはルインの顔を見て驚いていた。


「…こいつの笑った顔なんて初めて見たな…」


すると、ルインは気まずそうに、トモは恥ずかしそうに慌てて顔を背けた。

その様子をディメは目でニヤニヤ笑いながら眺めていた。


「…冷める前にたべるといい」


ルインがトモに声をかけた。

トモは自分の前に並ぶ料理に目を向けた。

トモにはそのどれもがキラキラと光り輝いているように見えた。

自分の記憶の中に残っている料理の風景は、カビの生えたパンや、他の誰かが食べた後の残飯のような食べ残しだけであった。

トモは頭の中の光景を首を振って頭の中から追い出すと、白い皿の上に置かれたトーストに手を伸ばした。

カリカリに焼けて香ばしい匂いを立ち上らせ、その表面にはバターが塗られており、それがトーストの熱で溶け出していた。


意を決してトモはトーストを口に運んだ。

それを見守る3人と、横目で眺める一人に見つめられる中で、トーストがトモの口の中に入り、噛みしめられた。




その途端、トモの目が驚愕した様子で見開かれた。

何度も何度も口に入れたトーストを噛みしめて味わう様子に3人、特に料理を用意した本人であるルインが安心した様子でほっと息を漏らしていた。


しかしそれも束の間、3人は驚いてしまった。

トーストを食べながら、トモが泣き出してしまったからだ。

声は出さずに涙を流すトモに、マァゴはオロオロとし、ディメは目をキョロキョロと慌ただしく動かし、ルインは静かにそれを見つめていた。





「おいしい…」






トモはそう一言だけもらした。


3人の動きが止まり、再びトモを見つめた。



トモはフォークを手に取ると、ベーコンエッグを食べ始めた。

フォークで突き刺して、口を皿に持っていって食べる姿はお世辞にも行儀が良いとは言えないが、それでも、見守る3人の目には、泣きながら食べ続けるトモの姿が愛おしく感じられた…






しかし、そのトモの姿を見るディメの表情は険しかった。



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