「声」の正体
そこから数日、しばらくは何も起こらなかった。
何も変わらず、ひなのはユノと食事をしたり、買い物に出たり。そこでユノは、ひなのに七色ソフトクリームを買ってくれた。
多分・・・いや、絶対、麗憐の真似をしてくれたのだろう。
そんな小さな変化が、ひなのには嬉しかった。
しかしー・・・
事が起こったのは、ある日の夜中のこと。
夢を、見ていた。いつも夢なんか見ないのに。ずっとずっと、さっきから名前を呼ばれている。
『弥之亥の者よー・・・』
毎度同じあの、声で。
おじいちゃんみたいな、老人の男の声。
振り払いたくて、両手で耳を塞いでみても…
そんなの無駄だと言うように、容赦なく木霊してる。
さわさわと風が吹いているここは、ユノ様と訪れた宮古寺だ。
何度、同じ言葉を聞いただろう。いい加減諦めたひなのは両手を耳から離した。
「…あの、何でしょうか。
誰ですか?何度も、私を呼んでますよね?」
ここまで無視したら、もう作戦を変えるしかない。呼びかけに、答えてみよう。
『…』
「あの!私です、弥之亥ひなのって言います!
ここに来る前から、呼んでましたよね、私の事!」
誰もいない。どこに向かって話しかけたら良いかわからず、とりあえず宙に叫んでみた。
「…あの!…私に何か用でもー…」
『やっと答えてくれたか、弥之亥の者よ』
「わっ」
突然背後に気配を感じ、ひなのはギョッとして飛び上がった。明らかに声の主であろう、一人の老人が立っているではないか。
手には、深紅の柄の刀が一つ。
「…あ、えっと。驚いちゃってごめんなさい」
『いやいや、構わん。
初めましてだな。何度も呼んでおったが、なんだか怖がらせていたようですまぬ』
「あなたはー…
えっと、もしかして、弥之亥十士郎(やのい としろう)さんですか?八龍のー…」
私の、先祖の?八龍を始めて手にしたって言う?
『いかにも。わしが弥之亥十士郎だ。こんな風な形だが、可愛い子孫に会えて嬉しい』
…この人が・。私を呼んでいたのは、十士郎さんだったんだ。
老人と言っても、仙人みたいな白髪でもなく、ヨボヨボ腰が曲がっているわけでもない。
背も高くてニコニコしていてー・・・
なんと言うか、着物を着ている執事みたいな感じ?
灰色混じりの髪は、オールバックに固められている。
『君には伝えねばならぬ事があってな』
「…何でしょうか」
『ユノはわしの妻、ヤエの子孫に当たる男だ。正確には、ヤエと別の男の子孫に当たるがー…
彼は無感情と愛の両方を、己の中に臨在させようとしておる。それは、間違っておはぬか?』
「はい。ユノ様は、最強になりたいって。
そのためには、私の愛の力が必要なんだ…って」
『…うむ。やはりそうか。
それで、お主には苦労をかけておるようだな…。…何を言えば良いのかわからんが、結論から言おう。
無感情と愛の力を両方手に入れることは、不可能だ』
「… …
… …はい??」
…えっ?不可能?どういうこと?何で?
そんな…じゃあ、私今まで何を頑張ってきたのー…?!
「でも、今まで私もユノ様も、それを目指してきたのに…!」
『そうだろう。だが、よく考えてみるが良い。ユノはともかく愛を分かるお主なら、理解出来るはずだ。
…"無感情"の者が、"愛"を覚えるとどうなるのか?
そもそも、"愛"を覚えた者は、"無感情"ではなくなるわけだ。
"無感情"でいる限り"愛"はないし、"愛"を覚えれば"無感情"ではなくなるー…
つまり矛盾というやつだな。"無感情"と"愛"は、一個体になり得ないのだよ』
…う…わ。
確かに、そう言われれば…
…そう、だよね?
ユノ様が愛を手に入れたら、ユノ様は無感情では無くなるんだ。
「…えっと、ごめんなさい。よく分からなくなってきちゃった。
つまり、ユノ様は"無感情"と"愛"を手に入れられない。最強にはなれないってことですか?」
『確かに、二つの力を得ればより強くなれる。だが、八龍に関してはー…
事実、二つの力を得るのは不可能だからだ。
しかしそれは、愛を知らないユノには、分かる話ではない。だから、お主に話したのだ』
「…じゃあ…私はどうしたらー…今まで、ユノ様に愛を教えようと必死だったんですけど…」
『歴史を覆すのだ』
歴史をー…
「覆す…?!」
『わしとヤエの事は、お主も聞いたであろう。ヤエは愛の力を恐れ、わしを殺した。それからというもの、"無感情"は"愛"に勝ってきたのだ。
そして、今の人斬りの世の中が出来た。
わしは、本来なら愛が無感情すら飲み込み、負の念も飲み込んでー…
平和な町になる事を願ったのだよ。
この町の名前は、わしが付けた』
「…!
平和町…ですよね。変だと、思ったんです。人斬りがいて、全然平和じゃなさそうな町なのに、その名前だったから」
『この世の争いは、人の無関心や無感情が、愛に飲まれた時に終わるはずだ。
…"愛"が、"無感情"に勝らねばならんのだ』
…私の力が、ユノ様に勝る…ってこと?
無理!!無理だよ無理!!
「無理ですよ!ユノ様、すごく強いんですよね?!だって、空牙が三人いても敵わないって…!」
『戦えと言っているわけじゃないのだよ。だが刀を、もらうといい。
ユノはいい顔をせんかもしれないが、そうすればお主がどの程度愛の力があるのかが、測れるだろう』
どう考えても、八龍をくれるとは思えないんだけどー…
『お主のような子孫が、ユノと出会ってくれて良かった。
わしもヤエを愛で飲み込もうとしたが、その努力実る前に殺されてしまった。
それでも、彼女を愛している』
「… …!!」
『殺されることを分かりながら、わしは彼女に刀は向けられなかった。だが、愛は弱くなどない。
…ひなのよ、覚えていてほしい。忘れないでいて欲しい。
残忍な人斬りと呼ばれる者達の先祖には…
平和を願う、愛を持った男がいたことをー…』
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