第7話 二人の時間

「体調は大丈夫、総司くん?」

「もう大丈夫だよ。 心配かけてごめんね」


 真剣に包丁を握っている総司の横顔を見ながら、春が心配そうに声をかける。 そんな春に、ぎこちなく包丁を動かす手を止めると総司は笑顔を返した。 その笑顔にぎこちなさはなく、すでに春と自然に接することができる程度には落ち着いていることが窺える。


 結局、総司は午後の授業をまるまる休んでしまった。 六限目が終わり、帰りのHRに顔を出すと心配そうな友人たちに囲まれた。 六限目が始まる前には養護教諭から担任に話がされてみんなにも伝わっていたが、いきなりだったためかなり心配をかけたようだ。 その時には春と文彦の顔を見ても何ともないくらいに、総司の内心は落ち着いていた。


 弁当が夕べの残り物だったからちょっと傷んでいたのかも。 そう話すとみんな納得してくれて、心配だから春が付き添って早く帰るように勧められた。

 遊びに誘うつもりだったと残念そうな新しい友人たちに、明日は遊びに行こうと、できればカラオケに行って洋介と賢也の演奏に歌を付けられるか判断してくれないかと、そう誘ってみた。 全員乗り気で、特に洋介と賢也にはかなり期待された。

 帰りが少し遅くなっても大丈夫なよう親に話をしておくと、全員が楽しみそうにしていた。


 そうして帰る道すがら、隣を自転車で走る春に総司は一つのお願いをした。 もしよかったら料理を教えてくれないかな、と。

 夕べ、春の手料理を食べたわけだけどこれが美味しかった。 野菜炒めと味噌汁と、猪肉に塩胡椒とレモン汁で味付けをしたサイコロステーキだったが、普段から料理をするのに慣れてることを感じさせる出来だった。

 料理を覚えないといけないと思っていた総司は、とりあえずネットで作り方を見て試すつもりでいた。 しかし、こうして料理が上手な女の子がいるのだから、直接教えてもらえるならその方が身に付きやすいだろう。 そう考えてのお願いを春は快諾してくれて、二人は並んで柴谷家の台所に立っていた。


「ならいいんだけど……あたしの作った料理でなっちゃったのかなって心配で……」


 いつも元気いっぱいな春が落ち込んだようにしていると総司もどうも調子が狂ってしまう。


「春ちゃんの料理のせいじゃないからさ。 本当に美味しかったしそんな落ち込まないで」


 料理のせいじゃないとわざわざ言ってしまったのは、原因自体は春にあると、そんな意識が出てしまったのだろう。

 とは言え、あんなことになるとは自分も知らなかったことだし、行為を止めなかったのも自分だ。 それをどうこう言うのはお門違いだろうと、総司はそれを口にはしなかった。

 昼休みのこと、その後のこと──ひょっとすると春の顔を見るだけで思い出してまた吐くんじゃないかと、そんな心配はあった。 しかし、保健室から教室に戻った時には時間を置いて落ち着いたせいかそんなことはなかったし、総司はもう気にしないことにした。

 総司に美味しかったと褒められ、春は照れたように笑う。


「ありがと! 総司くんって優しいよね」


 元気の戻った春に、総司は安心の笑みを溢していた。


──春ちゃんは元気な方が落ち着くな──


 そんな風に思いながらまな板に向かい包丁を動かす。

 時折、春にお手本を見せてもらい、横で教えてもらいながらこうして野菜を刻んでみると、慣れない作業は中々に大変だった。


「そうそう! ゆっくりでいいから慎重に──うん! 上手上手!」


 しかし、こうして春に誉められながら包丁を握ってる時間は楽しかった。


──端から見たら恋人同士に見えるかな──


 一瞬浮かんだそんな考えに、しかし総司は否定するように頭を振る。 みんなでしてると、そう話を聞いた時点であり得ないことだが、昼間あんな場面を見てしまってはなおさら春をそういう対象に見ることはできない。


「どしたの?」

「いや、こういうのも楽しいなって思ってさ」


 さすがに正直には言わず、それでも確かに思っていることを口にすると春が目を輝かせながら食い付いてくる。


「あのね! あたしもこういうの初めてだからすごく楽しいの! 総司くんにもそう思ってもらえてよかった!」


 本当に嬉しそうな春の笑顔に、総司は微かに胸の痛みを覚えた。 あのことさえなければ本当に彼女にしたいくらいのいい娘だと、改めて残念に感じてしまう。


「総司くんってやっぱりいい人だよね。 みんな総司くんのこと気に入ってたよ!」

「俺からしたらみんながいいやつだったよ。 こんなに歓迎してもらえるなんて思ってなかったし、いい友達になれそうで嬉しいんだ」

「今日は遊べなくて残念だったね。 そう言えばさ、梨子も紗奈も由美も総司くんのことかっこいいって言ってたよ! 優太が羨ましがってた!」

「……へぇ」

「あたしも総司くんとこんな風にしてたら羨ましがられるかも。 総司くんはあたしたちの中で誰が好みだった!?」


 誰がと言われても、春と同じでみんなそれなりに可愛くはあったと思う。 垢抜けないが髪色を明るくしてメイクもしっかりしてるちょっとギャル系な梨子に、ポニーテールで姉御肌なイメージの強い由美。 ショートボブで大人しそうな感じの紗奈。 それに春──みんな普通に可愛い感じではある。 だが、春と同じで総司からすれば全員がそういうことの対象外だ。


「……やっぱ東京の娘たちと比べるとダメかな?」

「違う違う。 その……みんな可愛いとは思うけど誰がって言われるとちょっと迷っちゃって」


 考え込む総司の様子に春が顔を曇らせると、総司は慌てて傷付けないよう言葉を選んで返す。


「そうなんだぁ……みんなってあたしも?」


 ちょっと悪戯っぽく、期待するように上目遣いで聞いてくる春に、総司は顔を赤くしながら目を逸らす。 恋愛対象にはならないとしても可愛いと思っているのは事実で、それを本人を目の前に堂々と言うのはさすがに恥ずかしかった。

 そんな総司の様子に、どう思っているのかが言葉よりもむしろはっきりと伝わってしまったようで、春も嬉しそうに笑みを溢す。


「そっか……あたしも可愛いって思ってもらえてるんだ♪」


 何となく流れる甘酸っぱい空気に、しかし総司は少しの苦さを覚えた。 過去に、と言うのならそこまで気にするのは男らしくないと思う。 しかし現在進行形で春は複数の相手──と言うか明確に自分が知ってる六人の友人と関係を持っている。 それは他の女子も人数に差はあれ同じことだ。

 由美は彼氏ができたらその関係から離れていたと言うし、春も好きな相手がいたらできないとは言っていた。 それは梨子と紗奈も同じだろう。 特定の相手ができたらそういうことはしないとは思う。 だが、そもそも今の状況を知ってしまってるのだから恋愛の対象として見ることは難しい。

 結局のところ、総司には女子四人にどう評価されようと関係のない話だ。


「そう言えばさ、総司くんって東京に彼女とかはいなかったの? それか好きな娘とか!」


 無言で止まっていた手を動かし始める総司に、春がまた質問を投げ掛けてくる。 ある意味答えにくい質問に、総司はどう答えるか軽く悩んでそのまま話すことにした。 変な勘違いをされるのもあまりいい気分ではない。


「高一の時に彼女はいたけど半年くらいで別れちゃったよ。 それからは別に好きな相手とかもいなかったかな」


 総司がいたのは男子校だった。 文化祭の時に遊びにきていた女子校のグループと話す機会があって、その時に知り合った娘と付き合ってキスくらいは経験がある。 些細なことで喧嘩をして自然と連絡を取らなくなり、そのまま関係は消滅してしまった。 ナンパとかはあまり趣味ではないので以降は女子と触れあうこともなく、誰かを好きになるようなこともなかった。


「そっかぁ……そうなんだぁ」


 どことなく嬉しそうに春は呟くが、総司はあまり触れないようにして野菜を切り終えた。


「終わったよ。 次はどうしたらいいかな?」

「あ、次はね──」


 春の意識も料理に向いて、それからはそうした話が出ることもなく料理は完成した。

 初心者には定番とも言えるカレーライス。 春が細かく説明してくれて完成したそれを、総司は春と二人で食卓を囲んで食べた。 父は仕事で遅くなるから二人きりだ。

 正直なところ、親のいない家で春と二人きりという状況は、改めて考えると総司にとって微妙な心持ちになる状況ではあった。 例えば総司が春や仲間のような関係に抵抗がなかったら──春とそういうことになってもおかしくない。

 春が元気いっぱいに話すからあまり意識せずに済んでいたものの、


『何か新婚さんみたいだね』


 唐突に春がそんなことを呟いた時には何となく変な雰囲気になってしまった。

 だが、二人で食べる食事は美味しかったし、二人の時間は楽しかった。 一緒に料理を作り、昨日に続いて夕飯を一緒に食べて、色々な話をして、春との距離がまた縮まったのを総司は感じていた。

 楽しい時間で、嬉しいことで、しかしそうしていても自分には越えられない壁があることに、総司の胸に残念な思いがよぎる。 総司は自覚していなかったが、春に抱いている好意は友人としてのそれだけではなかったのかも知れない。


 もしも春からあの話を聞いていなかったら──そんな考えを胸の奥に仕舞い込みながら食事を終える頃には、外はすでに暗くなっていた。 春と色々と話しながら食事をしていて、思ったよりも早く時間が過ぎてしまい19時をとっくに過ぎていた。 日の長いこの時期とは言え、すでに日は沈み外灯もろくにない外は真っ暗だ。


 別にこのくらいの時間で外出するのは都内に住んでる頃の総司には普通のことだったが、女の子を家に引き留めていい時間ではないだろう。 食器の片付けを手伝うという春にお礼を言うと、これ以上遅くならない内に春を家まで送って行った。


「近いから大丈夫だよ!」


 春はそう言うがいくら近くても女の子を暗い中、一人で帰せないと総司は主張して、二人でほんの200m足らずの距離を並んで歩いた。


「総司くんってさ……彼女とか大切にするいい彼氏みたいだよね」


 外灯もない真っ暗な道をスマホの明かりで照らして歩きながら、春がぽつりと呟いた言葉に総司はまた微妙な気分になった。

 春が何を考えているのか、何を考えてそんなことを言うのか、総司には理解できず、曖昧な返事を返して春を家へと送っていった。

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