第2話 二人の出会い

 駅から車で三十分弱。 到着したのは割と綺麗な平屋の一軒家だった。

 智宏は元々、現場近くに設けられたプレハブの仮住まいに住んでいたが、総司がくることになったので空き家を借りることにしたのだ。


 智宏の荷物も総司の荷物もすでに運び込まれていた。 大半の家具などは設置まで済んでいる。 親しい職人が事情を聞いて手伝ってくれたのだと、車の中で智宏から聞いていた。 職場での父の評判など知る由もなかったが、現場では割と慕われていることが分かり総司は少し誇らしい気分になった。


「ここが新しい家だ。 とは言え、今の現場を担当してる間だけだけどな」


 智宏の単身赴任期間は決まっていなかった。 だが、さすがに十年も続くわけではない。 途中で転勤になることもあるだろうし、いつまで住むかはまだ分からない。

 それに、総司も高校を卒業したらここを出ていく可能性は高いだろう。 そうすると二年も暮らさないことになるが、それでも当面の間を過ごす新たな家には感じるものがある。


 外観から築20年までは行ってないだろうと思われる、古民家のような趣はない本当に普通の家だ。 今まで住んでいた所では考えられないくらいに庭が広く、その点でも田舎なんだなと改めて実感する。


「まあまあいい感じだね。 結構広いみたいだし」


 都内ではあまり見ない平屋だが、外から見ただけでも以前の家より広いと感じさせるほどの大きさだ。 父子二人で住むには広すぎるのではないかと総司は感じたが、そもそもこの田舎ではマンションやアパートがろくにない。 何とか見付けたのがこの貸家で他に選択肢はなかった。 賃料は驚くほど安いのだからむしろ喜ぶべきことだろう。


「お前の部屋も前より大分広くなってるぞ。 バキュームはくるけどトイレとかも一応水洗だしな。 ネットもちゃんと通ってるし意外と悪くないと思うぞ」


 都会育ちにその点は非常にありがたかった。 ネットが使えれば遊ぶ場所がなくても娯楽には困らない。 生活には問題なさそうで、部屋が広く使えそうなのは総司としてもかなり楽しみだ。


「家具なんかは大丈夫だから後は荷物を開けていかないとな。 お前の荷物はもうお前の部屋に運んであるから」


 家具や荷物は一昨日に大半を処分し、残ったものを昨日の午前中に業者が運び出してこっちに運んでいた。 総司は荷物の運び出しに立ち会い、友人たちが開いてくれたお別れ会の後に電車でこちらに向かい、途中で一泊してきた流れだ。


 これからこの家に入り荷物を開けていく。 大変ではあるものの新しい生活の始まりを実感させるそれに、総司は少し胸が高鳴るのを感じていた。


「それじゃ──」

「あれぇ? 何やってるの?」


 中に入ろうとしたところで背後からいきなり声をかけられ、何事かと総司は振り返る。 そこには総司と同じ年頃の少女がいた。 自転車に乗って不思議そうに総司と智宏を見ている。

 ショートカットに楽しげな表情が活発な印象を与える、とびきりの美少女とは言わないが中々に可愛らしい感じの少女だ。


「ここって空き家だったよね? そう言えば昨日荷物運んでたみたいだけど……お引っ越し?」


 興味津々といった感じで、少女は好奇心に目を光らせて二人と背後の家を交互に見る。


「えっと、初めまして。 今日ここに越してきた──」

「あー、分かった! 明日からくる転校生って君のことだ!」


 自己紹介の途中でいきなり騒ぎ出す少女に総司が呆気に取られていると、自転車から降りた少女はミニスカートを翻しながら小走りで駆け寄ってきた。


「そかそか! ご近所さんだったんだ。 明日からよろしくね!」


 勝手に納得しながら、少女は総司の手を両手で握ってブンブンと振ってくる。 同年代の女子にこんな風に接されるのは初めてのことで、総司は戸惑いを隠せずにいる。


「あー……よろしくね。 それで君は──」

「あ、忘れてた! ごめんね? あたし、戸倉とくらはるだよ! 三軒隣があたしん家なんだ」


 元気よく言って少女――春が見た方へと総司も目を向ける。 あそこのことかな、と何となくだが見当は付いた。

 三軒隣とは言え距離は二〇〇m以上は離れている。 果たして近所と言っていいのかどうか、総司としては首をひねってしまうが、この田舎では近所ではあるのだろう。


「同じクラスでご近所さんなんてうれしいな! まあクラスは一クラスしかないんだけどね。 東京からきたんでしょ? 東京の話とか色々聞いていい?」


 本当に嬉しそうに、興奮を抑えきれない様子で春は一方的にまくし立てる。 元気で無邪気でいい娘なんだと、それがひしひしと伝わってきて、学校生活に僅かながら感じていた不安が綺麗に吹き飛ぶのを総司は感じていた。


「俺もこっちのこと、色々教えてくれたらうれしいな。 よろしくね、戸倉さん」

「春でいいよ! うちのクラス、人数少なくて仲いいからみんな名前で呼んでるし。 あたしも君のこと……あれ? 君の名前は……ごめん! 自己紹介しようとしてくれてたのに興奮しちゃって!」


 総司の自己紹介を遮ったことを思い出して恥ずかしそうに謝る春に、総司は思わず笑いがこぼれてしまった。 本当に感情豊かで、少し話してるだけでも楽しい気分にさせられる。

 こんな娘と友達になれてよかったと、そんな思いが総司の笑みには表れていた。


「むぅ……笑わなくてもいいじゃん。 東京の人とか初めてだからちょっと興奮しちゃっただけで……」

「ごめん。 バカにしたわけじゃないんだ」


 笑われて恥ずかしそうにむくれる春に謝ると、総司は改めて自己紹介をする。


「俺は柴谷総司。 こっちは俺の父さんで──」

「柴谷智宏です。 息子と仲良くしてやってください」

「こっちこそよろしくね! 総司くんとお父さん!」


 太陽のように眩しい春の笑顔に、総司もまた釣られるように笑っていた。 母親の浮気を知って以来、心の底にあった自分を責める何かが和らげられるようで、総司の中で春への好感がさらに強くなる。


 恋心ではない。 まだ何も知らないに等しい相手にそこまでの気持ちは抱けない。 だが、明るくて元気で屈託のないいい娘だと、それは強く感じていた。

 この娘と友達になれてよかったと、久しぶりに、自然とこぼれる笑いに、ここにきて本当によかったと思った。


 総司のそんな様子に、息子の心の負担を心配していた智宏も安心したように笑みをこぼす。 総司をここに呼んだのも、田舎ののどかな暮らしが総司の心を癒す助けになればと考えたこともあるからだ。


「戸倉さん。 息子も突然の引っ越しで慣れるまで色々大変だと思うんだ。 よかったら力になってあげてくれないかな?」

「もちろんです! 同じクラスの友達なんだから!」


 当然のことのように言いながら、任せてと言わんばかりに反らした胸を叩く春。 実際にやってるのを初めて見たなと、総司はまた愉快な気分になる。


「みんなもね、どんな人がくるかって楽しみにしてたよ! ヤなやつだったらどうしようってのもあったけど総司くんはそういうんじゃないみたいだし。 みんな歓迎してくれるよ!」


 春の太鼓判に、普通にしてるだけなのにと思いながら、それをいいように捉えてもらえてるのはうれしく感じた。


「ありがとう。 俺も明日が楽しみだよ」

「最初の友達のあたしがみんなに紹介するからね!」


 どこか自慢気に言う春に、総司も智宏も軽く頭を下げる。


「後で戸倉さんの家にも引っ越しの挨拶に行くけど、今日は忙しくて引っ越しそばはまた今度になりそうなんだ。 先にご両親にそう伝えてもらっていいかな?」


 今時、引っ越しそばというのもなかなかないが、田舎だけにそういうのはきっちりした方がいいだろうと智宏は考えていた。 荷物を開けるのがあるからまずは挨拶をして、別の日に改めて持っていくつもりでいる。


「分かりました!──あれ? でもそうすると今日のご飯ってどうするんですか?」

「普段からレトルトが多いし今日もそうするつもりだよ」

「それじゃ体によくないですよ? 総司くんは今までどうしてたの?」

「俺はまあ……ちゃんと食べてたよ」


 春の無邪気な質問に、少し苦い思いを感じながら総司は曖昧に答える。 母親だった女の話はしたくなかったし訊かれたくもなかった。

 総司の苦い思いには気付かず、春は総司をまじまじと見上げる。


「だよね! 総司くん、おっきいもんね! うちの学校でも一番おっきいよ!」


 一五〇cmをいくらか越えるくらいの春に対して、一八〇cmを越える総司はかなり大きく見えるだろう。

 実際に総司を見上げながらうんうん頷く春に、話が逸れたと総司は安堵する。


「そうだ! じゃあさ、あたしがご飯作ってあげるよ」


 いいことを思い付いた、というように手を叩く春の突然の申し出に、総司は困惑して智宏に目を向ける。


「えっ? いや、それはちょっと悪いよ。 ねぇ、父さん?」

「そうだな。 まだ台所も片付いてないしね。 気持ちだけありがたく受け取っておくよ」

「じゃあ台所の片付けもお手伝いしますね!」


 あっさりと言う春に、総司と智宏は顔を見合わせる。 気持ちは嬉しいが、初対面でそこまでしてもらうのは二人ともさすがに気が引けてしまう。


「いや、そこまでしてもらうわけにはいかないよ。 自分たちのことは自分たちでやらないとね」

「ご近所さんなんだから助け合いは当たり前ですよ?」

「でもね、まだ冷蔵庫も空っぽで調味料くらいしかないし、買いに出てる時間もないから──」

「じゃあそれも持ってきますね! 野菜とお米は家で採れたのとご近所でもらったのがたくさんあるし、おじいちゃんがこないだ獲ってきた猪の肉もあるから」


 遠慮する二人に対して、春の善意は止まらなかった。 食材まで持ってきて食事を作ってくれるなどと東京ではなかなか考えられないことに、田舎では普通のことなのか、それとも春が特別なのか、二人とも戸惑ってしまう。


「……いいの?」

「うん! ご近所さんの友達って初めてだから歓迎したいんだ。 学校の友達もみんなちょっと遠いし。 だからみんなより一足先に特別な歓迎したいなって!」


 ここまで言われると、二人としても気は引けるものの断るわけにもいかなかった。 好意で言ってくれているのだ、甘えてしまおうと、智宏は頷いていた。


「ありがとう。 それじゃ総司が荷物を置いたらご近所に挨拶に行くから……そうだね。 二時間くらいしたらきてもらっていいかな?」

「はい! それじゃまた後でね、総司くん!」

「ありがとうね。 その……春ちゃん」


 女子を名前で呼ぶ気恥ずかしさに、総司は照れながらお礼を言う。 そんな総司ににこっと満面の笑みを向けると、春は自転車で自分の家へ向かって行った。


「元気で可愛くていい娘だな」


 太陽のように明るく眩しい春の後ろ姿を眺める総司に、智宏はどこか楽しそうに声をかける。


「あんな娘が友達になってくれたんだ。 学校も楽しみだろ?」

「うん……本当によかったよ」


 あんな娘が彼女だったら──そんな話が出てもおかしくない雰囲気だが、智宏はそれを口にしなかった。 母親の浮気で離婚することになったのだ。 総司もあまりそういう話題は好まないだろうと、気を遣っていた。


 実のところ、総司は彼女ができたらと少しは期待していたわけだから無用な気遣いではあったわけだが。 ただ、恋愛について総司の心にしこりがないわけではなかった。

 総司自身も春みたいな娘が彼女だったら楽しいだろうな、くらいには思っていた。 しかし、別にいきなり好きになったわけではない。 友達としてでも楽しくていい娘だと感じていた。


「さ、荷物を置いて引っ越しの挨拶だ。 戸倉さんもきてくれるんだしさっと回ってくるぞ」


 智宏に促され、総司は新しい家に荷物を置いて智宏と引っ越しの挨拶に向かう。 新しい生活への不安は春のおかげで吹き飛んでいた。

 智宏と挨拶周りをしながら総司の胸には期待が溢れていた。──それが裏切られることになるなどと、この時の総司は全く想像していなかった。 好意が人間を変えるほどに人を傷付けることを、十代の少年に想像などできるはずがなかった。



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