第8話 橙色


ぱちりと瞼が開く。外には夕日が見え、病室は橙色に染め上げられていた。ぼんやりとなにか温かいものに包まれているような気がして、ほっと息をつく。


「あ、霧島さんおはよう。今回は悲しい内容じゃなかったみたいね。」

「うん、おはよう。……今回は、楽しかったよ。」


様子を気にしていてくれたのだろうか。篠崎がすぐに声をかけてくれる。向かいの持田もうんうんと頷いていた。


「良かったですね篠崎さん、早めに霧島さんが起きてくれて。霧島さん、篠崎さんはずっと様子伺ってたんですよ。」

「……人の寝顔ってそんなに面白いか? 」

「そ、そうじゃないの! 霧島さん、ついさっきまで寝入ったままの状態だったんだよ、首。」

「寝入ったまま……? 首? 」

「そうそう。つまりはずーっと私の方を向いてたってこと。」


ああ、そうだ思い出した。タブレットでタンポポを調べていたんだっけ。つまりは持田くんの言う通り篠崎さんにはずっと真正面から寝顔を見られていたということで……。なんだか急に恥ずかしくなってきた。手で顔を覆いたい。くそ、早く骨くっつけ。


「で、で? どうだったの、不思議の国は。」

「不思議の国と言ってくれるな……ファンシーだろそれじゃ……。」

「いいじゃないですか。夢の中はファンタジーですよ。」

「俺にとってはそうじゃない。」


反射的に答えていた。思わず、強めの口調になってしまったことを後悔する。

……そうだ、普通、持田君の言う通り夢はファンタジーだ。自分自身だって、そう思っていただろう。なのに。


「……大丈夫? 霧島さん、悩んでるよね。」

「……そうだなぁ。正直悩んでる。あと持田くん、ごめんな。」

「大丈夫ですよ。霧島さん、それで今日はどんな内容だったんですか。」

「——まだ、きちんと整理ができてないんだ。しばらく考えてもいいかな。」

「もちろんだよ。……私も一眠りしようっかなぁ。」

「じゃあ、僕も。いい夢に行けるといいね。」

「そうだね。それじゃあ霧島さん、おやすみ! 」

「あ、ああ、おやすみ……。」


呆気にとられるほどすぐ、二人は眠りに落ちていった。すうすうと聞こえてくるのは、寝息だろうか。……いや、気を効かせて眠ったふりをしているにすぎないはずだ。

——なんて、情けない。


思えば、事故に遭ってからこのかた、悔やんだり自己否定することが多くなったな、と思いを馳せた。傷病休暇に入るまでの俺は、明らかに仕事に熱中しすぎていた。——それはきっと、二人が逝ってしまった穴埋めにしたかったのだろう。「仕事」というものを盾にして、現実から目をそらしてきた。その皺寄せで、俺はきっと心のバランスを崩して——。


みやこや菜々が心配するのも道理だな。


強く風が吹いて桜吹雪が舞い踊ったのを、ただぼうっと見送った。


             〇


簡素な入院食を摂った後、「整理が付いたんだ」そう言って話に入る。二人とも、有難いことに真剣に聞いてくれた。


「あの夢は、俺にとってはファンタジーじゃないんだ。かつて住んだマンションで、生まれることが叶わなかった娘と会える場所になっていた。——まあ、それも、きちんと確認したのは今回だったんだけどな。

彼女——アルビノの少女は、俺たち夫妻が付けるはずだった名前を全て言い当て、誕生花になるはずだったたんぽぽを好んだ。みやこ……妻が好んで話していたからではなく、自分の生まれるはずだった予定日に当たる花だから、と。……そんなこと、俺は、もっと考えてきて、と言われるまで知らなかった。俺の脳みそが勝手に作り出した幻影じゃないと思えてきているんだ。

夢を見始めたタイミングからして、あの二人を失って仕事に没頭し続けて、心のバランスを崩した時からっていう事実が、そもそもそれを裏付けている気がするんだ。彼女はまぼろしじゃない、娘だ。会うはずだった娘なんだって。

……今日、改めて振り返って思ったよ。俺、なんて情けないんだろ、って。現実に向かい合うこともできず、泣くこともせず、ただ仕事にばっかり打ち込んで逃げて、診断下されて——。そりゃあ、みやこも菜々も、安心して逝けないよな、心配でとどまらせちゃうよな、って。娘から教わったんだ。生まれることもなかった娘に。本当俺、馬っ鹿だよなあ……。」


次第に不甲斐なくも声が震える。部屋も揺らぐ。しかし今全て吐き出すべきだ、そう思っていた。そうじゃないと、意気地なしの俺はまた現実から目をそらしてしまいそうになるから。


「なぁんだ、そこまでわかってるんならあともう一歩でしょ! 」

「もっともです。」

「え、」


思わず二人をみると、穏やかな顔をして笑っている。安心したような、——心配していたことが晴れたような、そんな清々しい顔で。


「……俺は、君たちにも心配かけていたんだな。」

「そりゃそうですよ。篠崎さんなんて霧島さんが眠っている間ずっと気にかけてるんですからね。」

「ちょっ、それは言わないでよ! 」


わいわいと騒ぐ二人を見ると、緊張が和らぐ。灯を貰ったかのように心が温かくなる。疑似家族のようなこの空間に漸く安堵のため息を吐けたのだった。

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