第5話 白い射手

 夜の森を掻き分けて進み、木々や茂みの間から平野を窺う影が三つ。

 何か動く者はいないか、明りは見えないかと、じっとその場に潜み、やがて来た道をゆっくりと戻る。

 出来る限り音を出さないように気を付けているつもりではあるが、草木を揺らすざわめきは、どうしても風声を凌ぐ。命を落とした手練れの戦士たちが偲ばれる。彼らであれば、まるで森の一部となったように自然に歩めたであろう。

 だが、今はもういない。

 生き残りで最も偵察に向くのが、すでに自分達だけだった。森の奥に開けた苔生した岩場、其処に集まる皆を見れば、ほとんどの者が傷を負い疲労困憊で座り込んでいるのが見える。

 戻って来た三人が立てた物音にハッと警戒しこちらを見る皆には、安堵と共に疑心もある。

(本当にあいつらか?)と疑う気持ちも無理はない。それだけ多様かつ執拗な攻撃に曝され続けたのだ。

 三人は岩場の中央に腰掛ける者の下に向かう。この場の誰よりも体格が良く、蹄も逞しい。右目は人間の矢によって失い、鎧も激戦の傷だらけだ。

 馬人ホールナーの生き残りを束ねる、トーカイ。

「どうだ?」低く静かで、だが重い声を発する。

 跪いて三人は答える。

「はい、人の姿も明りも見えませんでした。ただ、奴等が潜伏しているのかまでは、…判りません」

 周囲から落胆の溜息もする。申し訳ございません、と未熟を詫びる事しか出来なかった。

「よい。お前たちはよくやってくれた。すぐに動く事になるだろうが、少しでも休んでくれ」

 偵察の三人は頭を下げ、近くの岩に寄り掛かるように座る。緊張で精神が張り詰めていたため、身も心も疲れ切っていた。

 トーカイは立ち上がると周りを見回す。

「皆も、そのまま聞いてくれ。このまま人間の国を逃げ回っても刻一刻と追い詰められているのが現状だ。毎日のように仲間が狩られ、残るはこの場の二十九人、それだけとなった」

 皆、顔を伏せる。

 そこには疲労だけでなく、哀しみも深い。

 強大なる魔皇、ヤルダバオトの亜人連合軍として組み込まれ、人間と戦って来たが、その魔皇はとある都市で魔導王なるアンデッドに倒され、馬人たちは敗残兵として南の地へと逃げ出した。

 故郷である東の地へは、人の軍勢を突破出来ず、南へ南へと駆けて一度は落ち着ける森へと逃げ込めた。そこで他の仲間や亜人たちと合流して傷を癒しつつ、アベリオン丘陵に戻る機会を窺っていたのだ。

 人の追手もあったが、向こうも被害が出る事を恐れたのか深追いもなく、三百人までつどったこちらとは均衡状態と言えた。

 それが最近になって、怒涛の襲撃が行われた。

 しかも、相手の姿はほとんど見えなかったのだ。突然、火の手が上がり、矢が降り注ぐ。かと思えば、仲間の誰かが襲い掛かってくる。騒ぎが大きくなると、気付けば弓矢に武具が破壊されるか盗まれていた。

 他の亜人も、魔法を使える魔現人マーギロスたちや、一人づつ居た龍王ナーガ・ラジャ守護鬼スプリガンが特に集中して狙われ、初日にはやられてしまった。

 馬人もほぼ休みなく攻撃され、その森を放棄するしかなかった。

 その時には、すでに他の亜人種は一人もいなかった。後になって思えば、あれは分断されたのだろう。

 そこからが地獄であった。

 まるで自分の影から攻撃されているのかと思える程、どこに行っても追撃される。駆ける事には疲れ知らずと自負していたが、向かう先々で矢が飛んできた。しかも、毒、麻痺、病気、失明、睡眠、と様々な効果の毒物がやじりに塗られていた。

 追えば、全力で退散するのだが、今度は馬人の中から、混乱に恐怖や恐慌、狂乱状態になる者が現れて、仲間から逃げ出したり逆に襲ってきたりする。そのような騒動があると、決まって武具や道具が無くなっている。

 何か口にしようと思えば、持ち出せた食料が糞塗くそまみれになっていたり、幻覚に侵された者がそれを食べ、病気になってしまう事もあった。

 身体を休めれば、また矢や炎が襲う。

 こうした散発される攻撃に嫌気が差し、思い切った突撃を敢行したら、今度は一人に複数の槍を突き出すような数の伏兵に襲われた。

 完全にこちらの行動を読んでいる。

 進もうとした先の木の枝に、馬人の首が刺さっていた事もあった。

 いつ、どこで、どうやって? すべてが謎のまま、逃走するしかなかった。でなければ、ここにいる二十九人も全滅していただろう。

 必死の遁走に、東にある人間の城壁までもう少しであるこの森までは来れた。

 しかし、現状も敵の罠の中かどうかも判断できない有様だ。

 このまま、様子を見るか? それとも、最後に故郷に向けて力の限り疾走するか? 皆の決意は後者であった。

 トーカイはその最終決定を前に三人の偵察を向かわせ、そして可能な限りの手は尽くした。これ以上は、皆の体力も持たず、残された時間もないだろう。

「行こう。我々の脚が止まる、その時まで。駆け抜けよう、故郷に向かって」

 皆は、その身を包む痛みやだるさの重みに抵抗し、少しづつでも立ち上がる。今すぐ横になれたなら、どんなにか楽だろう。

 だが、二度とは起き上がれない。そんな確信が全員の胸にあった。

 この場で、まともに武具を身に着けているのはトーカイだけだ。あとは、部分的に装甲を繋ぎ合わせていたり、木の棒を持ったり程度。

 ここまでの道中、人間の襲撃の度に仲間は力尽き、剣が消え、矢が燃え、鎧は溶かされたりと、散々な喪失の日々であった。奴等の執念は、我らに無力である事を刻み付ける様に、終始徹底している。

 真実、油断も隙も容赦もなかった。

 正面から激突するような戦いであれば、我らも簡単には負けなかっただろう。だが、人間は狡猾で用心深く、ありとあらゆる手段で攻め立ててくる。こちらは常に後手へと回り、計略に嵌り、反撃の糸口すら掴ませない。

 まるで、悪魔のようだと、この時になってトーカイは心底から寒気を感じた。

 ただ、怖気づく訳にはいかない。

 皆が立ち上がると、一つ大きく頷き、先頭に立って森を出る為に踏み出す。闇と草木の中を、馬人たちは進んだ。

 森が切れる。

 目の前に開けた平野の向こうに、また木々がある。先ずはそこまで走破し、その林を抜けてから、後は東の地まで全速力。

 はっきりと、この先には何が待ち構えているのか判らない。と言って留まれない。その選択を、人間たちが絶対に許さない事だけは分かっている。

 トーカイの視界には、人の姿は見えない。人間たちの造った街道が見えるが、こんな夜更けに通る者はいないようだ。皆からも発見の合図は上がらない。

 ここに来るまで延々と追い詰めて来た奴等がいない、などあり得ない。

 いる。

 確実に。

 ただ、何処どこにいるのかと聞かれれば、見当もつかない。

 平野の向こうの林にいるかもしれない。まばらに見える丈の高いくさむらに隠れているかもしれない。後ろの暗がりに実は先程から佇んでいるかもしれない。

 今夜は静かだ。

 あまりにも

(…これは罠だろうな)

 とは言え、窮地を脱するいい知恵も無し。危険を承知で突き破る以外に、自分たちが思いつける事がなかった。

 我々は馬人だ。

 であるならば、駆け抜けるのみ。

 後ろに者に小声で伝える。

「決めた通り、密集突撃陣形を採れ」

 後続に指示が広がっていき、木々に邪魔されながらも隊形を整える。総員二十九人、準備は完了した。

「行くぞ」

 森をそろそろと出ると、一斉に駆け出した。

 先頭集団は少し余裕を持って走り、最後に森を出た後続が追い付くと、トーカイを先陣に綺麗な三角形を形成し全力走行に移行する。

 一応、木を蔓植物で束ねた簡易の盾を、左右の配置には持たせてあるが、それだけであった。後は只管ひたすらに走り続ける。

 草を蹴散らし、街道が迫る。

 越える。

 過ぎ去る。

 その時、笛の音が辺りに鳴り響いた。

 周りを瞬時に確認すれば、街道の左右から人の軍勢がこちらに向かって来る。先頭は騎馬集団、その後ろには歩兵だろう。

 だが、距離がある。さらに目指す林に、人の姿はない。

 突っ切る、と声を発する前に味方の悲鳴のような声が聞こえた。

「ヤツだ! 連中の白い射手だ!」

「早い! 右から来ます!」

 疾走しながらも右を見れば、ヤツがいた。

 角付きの白馬に跨り、こちらに高速で接近してくる全身白尽くめの白面。しかも、ヤツの弓矢が狙っているのは…。

(俺がターゲット⁉)

 撃ってくる、と思った瞬間に、後方を走っていた二人の男が同時に左に向かって倒れ、突撃陣形の中央と左翼を盛大に巻き込んで転倒した。

 残ったのは右翼と、転倒する皆を飛び越えた者のみ。前者は辛うじてトーカイに続いているが、後者は減速した為に集団から遅れた。他はあの速度のままに大地に激突したはずだ。

 たった一矢で、半数以上が潰された。

 トーカイは歯を食いしばる。

 続いて、左後方で破裂音と悲鳴が聞こえる。速度が落ちた者たちが、魔法の餌食となったのだろう。

 残ったのは、自身を含む七人。

 人間の騎馬も左右から迫って来ていた。

「み、みんなが…⁉」動揺する仲間の声に、トーカイは吠えた。

「走れ!」

 林はそこだ、すぐ前にあるのだ。

 その瞬く間に、トーカイの視界全体が木々から叢、そして突然に泥へと変わり、沼地に頭から飛び込んでいた。

 豪快なまでの泥の柱が出来、泥水が周囲に飛散する。

「な、ぶわっ…⁉ こでば…!」いったい何が起こったんだ? 考える間もなく、後続者も沼に落ちてくる。内二人が激しい勢いのままにトーカイに激突し、首の骨や頭蓋骨を砕かれ絶命した。

 トーカイ自身もぶつかった仲間からの衝撃で、右の肋骨数本に左足をまとめて折られていた。

「ぐぶ…」

 さらに折れた肋骨は肺に突き刺さったようだ。

 まともに息も出来ないが、状況だけは確認すべく周りを観る。気付けば右足がない。

 ここは穴の中の沼で、上を見れば空中に血の雫が浮いている。

 目を凝らせば、それはの人蜘蛛スパイダンの吐く糸のようだった。足元に張り巡らされていたアレに気付かず、自分自身の走力を乗せて突き進んだ結果、糸に足を切断され、この穴に落ちたという所だろうか。

 ここまでされると、何と言うか…いや、語る言葉もなかった。

 さらに、そんな泥穴に沈む自分達の上空に、ヤツが、白い射手がふわふわと飛んでいた。

 せめて立たねばと力を入れるが、呼吸で肺から血が上り、咳込みながら血を吐き出してしまった。上手く息をする事も不可能だとは、情けない限りだ。

 泥まみれで自慢の脚も失い、肺から上る血に溺れるような状態にありながら、一つだけヤツに聞きたい事が思い浮かんできた。

「あんた、名前は?」

 血の泡を吹きながらも、それだけを口にする。

 それは、今日の穏やかな夜風にすら掻き消されるような囁き声でしかなかったが、白い射手の耳には届いたようであった。

「ネイア・バラハ」

 そう名乗った。

 その声が果たして聞こえたのかどうか、トーカイは目を開けたまま死んでいた。


 聖強教団の亜人掃討作戦は、聖王国の各地で展開されその成果を上げていた。

 それは、亜人連合残党の排除と同時に、教団信徒の強化にも繋がっていた。信者たちは実戦に次ぐ実戦を乗り越える度に成長し、新たな力を獲得して行く。

 ローブル聖王国のどの戦闘集団よりも、早く、そして強く。

 亜人連合の死体の山を築きながら。

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