エンジェリック・ネイアー

パクリーヌ四葉

最終章のはじまり あるいは、そこに至る序章

 ローブル聖王国の南部、その最大の港湾都市ゴルテア。

 その街が今、燃え盛る炎に包まれ、夜を赤く染めている。領主の城は、天空からの星の一撃で無残にも吹き飛び、都市の北にある港は、船も建物も人もすら問わず燃え上がっていた。

 その地獄の空に、弓を手にする仮面の天使がいた。

 足元には、城壁に手をかけ身を起こそうとする、白く輝く重装鎧に大楯と戦鎚を持つ巨大な天使。

 そして、仮面の天使が夜空を見上げると、そこに

 星の煌きをかすませ、月の光を歪ませ、燃え上がる炎よりもなお闇夜を煌々と染め上げる赤熱の悪魔。先の戦争にて、その姿を見た者すべての記憶に、恐怖と絶望を焼き付けた邪悪なる憤怒のおもて

 魔皇。

「ヤルダバオト…」

 仮面の天使が呟く。

 その隣に、羽ばたいて飛んだ巨大な天使が並ぶ。

 上空の魔皇が、更なる怒りの形相で見下ろす。

 二体の天使は、視線に揺らぐ事無く真っ向から対峙していた。

 夜の闇に浮かび上がる、赤光と白光。激突を宿命づけられた不退転。

 だがしかし、この状況を望んだ訳じゃなかった。惨劇を止めたかった。運命に抗いたかった。でも、なってしまった。

 ならば、これは必然だ。

 そして、必然であるなら決しなくてはならない。運命に決着をつけねば。

 仮面の天使は、羽の間の矢筒から一本の矢を取る。

 これまでのすべてと、これからの自分の未来の、結末へと至る為に……。


 弦に矢を番え、引き絞る間の一瞬に、ここまでの記憶を思い出していた。



 ローブル聖王国の首都ホバンスにある王城では、聖王カスポンド・ベサーレスによって緊急招集された側近、重臣、神官長、各地の貴族もしくはその代理など、国家の重鎮が総動員される、大規模な宮廷会議が開かれていた。

 主に南部の貴族たちは不満顔を隠そうともしないが、「招集に応じぬ者は謀反の疑いありと断ずる」という決定を聖王国全土に布告した上での呼び出しとなれば、応じぬ訳にはいかない。

 そして、その内容も強硬される招集の理由も、聖王国内でその影響力を急拡大させている、とある教団から漏れ聞こえてくる声が国中に伝わってきていた。この国で噂されぬ日がない者、"顔なし"ネイア・バラハの言葉と共に。

 この城内最大の会議室も、人の多さとすでに解決の見えない大問題が発覚している事で、始まる前から熱気が充満している。

 聖王カスポンドの登場に全員が起立、最敬礼で迎えると室内の緊張も高まる。

 妹の魔法の才を前に玉座を譲ったが、前聖王女が亡くなられて後に聖王となられてからは、英断しかつ王道を歩む類まれなる力を発揮していた。

 さらにこの会議では、その重要性からいたずらに場を乱す者は厳罰を持って臨むと、開会を前に通達されていた。この場にいる司法長官にとってもそれは、「手抜きは許さん」と言われているようなもので、覚悟を漲らせている。

 カスポンドの許しを得て全員が着席し会議が始まるが、どうしても一人の人物に視線が行ってしまう。

 神官長による宮廷会議の成功とこの国の未来への祈りも終えて、聖王が語る。

「はじめに、集まった皆に感謝と希望を。これからの聖王国を担う者たちに、より強い絆と信頼を願う」

 鼻息を荒げたり溜息を吐く南部貴族を、司法長官が見据える。

「今日集まった理由は、この後に説明するが…その前に、ネイア・バラハ」

「はい」仮面の下から女の声がする。

 聖王を前にして仮面を外さぬ無礼者ではあるが、誰も何も言わない。カスポンド自らが許可しているのもあるが、理由は他にもある。

「会議の前に、私は無用な発言をして支障を来さぬ様に通達を行った。故に、皆が疑問に思っても聞けないような事は、私自身が踏み込もうと思う」

「はい、聖王陛下。何なりとお聞きください」仮面の示す忠義。

「その背中の羽はどうした?」

 仮面の女の背には、白い羽が生えていた。そういった見た目の魔法道具の可能性もあるが、実に生々しい。

 気にしていた者たちも、露骨に目は向けずとも耳を大きくして答えを待っていた。

「これは私が天使になりました証です」

「そうか」

「はい」

 誰もが、え? それだけ? と戸惑った空気が流れる。

「聖王として様々な知識を蓄えてきたつもりではあるが、未知なる物事も世には多い。しかし、人が天使になり得るものなのか?」

 聖王に敵対する事ばかりの南部貴族ですら、こればかりは同調している者がいる。それだけ不思議な出来事でもあるのは明白だ。

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国の使者でもあります、シズ…シーゼット様によりますと、人から天使に転生できる者は非常に珍しい、との事でした」

 カスポンドが納得したように頷く。周りの皆は、聖王陛下がどの辺りに理解を示したのか謎ではあったが、判断を諦めたのかもしれないと思い直す。

「では、私からの最後の確認ではあるが、本当にネイア・バラハ本人なのか。それにっては、この後に話してもらう予定の議題にも疑義が湧く」

 聖王以外の全員がギクリとする。を尋ねてよいのか? と。

「畏まりました」と、仮面を取る。

 恐る恐るその光景を皆が直視せずに盗み見ている。本人か、そうでないかは大変に重要な問題ではあるが、を確認するのがたまらなく怖いのだ。

 まるで時の流れまでもが、止まらんばかりにゆっくりとした動きに感じられる、瞬間にして永劫のような刻の果てに、は見えた。

 殺戮の意志にみなぎる、その眼が。

 カスポンドを除くすべての者たちが、無意識の本能で視線を逸らす。

 二つ名の多い女、"顔なし"ではあるが、父親にして聖王国九色の"黒"でもあった故人パベル・バラハの呼び名をも受け継ぐ。"凶眼の射手・マークⅡ"。

 その眼光が聖王を見据えている。しかし、カスポンドは目を逸らす事もない。

「間違いあるまい。息災であるようだな、ネイア・バラハよ」

 名を呼ばれた女はニヤッと顔を歪める。「無礼な奴ね、心臓を抉り取るわよ」と思っているに違いない、凄まじい殺意にまみれていた。

「ありがとうございます」

 声音には感謝や敬う気持ちが表れているのも、また恐怖を倍増させる。

「これで、天使になったという事も含めて、お前の言葉を疑う者はおるまい」

 聖王が手を翳すと、"顔なし"は再び仮面で殺意を隠し、皆は次の言葉を待つ。

「今より、ここにいるネイア・バラハから、聖王国の重鎮である所のこの場にいる皆に重大事を語ってもらう。全員がこの難題への解決に向けて団結して欲しい」

 では頼む、と言うカスポンドの言葉に、ネイアは立ち上がると一礼する。

「皆様、本日はどうか私の話をお聞きください。そしてどうか、未来の為に力と知恵をお願いしたい。先日、魔導国より来てくださいました、シーゼット様により提示された可能性ではありますが、魔皇亜人戦争より前に聖王国で起こっていました集団失踪事件などの謎にも関係します」

 ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。"顔なし"の言葉には、心に迫るような圧があるのだ。

「これはあくまで仮定、とは言い切れず、また現実となった際の被害を鑑みれば、放置しておけるはずがありません。徹底し断固とした対処を要する大事件です。それはすなわち……」

 レイアは胸の前で拳を握り締める。

「魔皇ヤルダバオトの復活です」


 ここから、運命は加速する。

 それは、私たちが向かい、悪魔共もまた蠢く闇の奥深い、約束の場所へ……

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