【書籍版】僕の涙がいつか桜の雨になる

犀川みい/ビーズログ文庫

1.

1ー①.



 かれはいつだって泣いていた。

 記憶きおくの中にあるのは彼の泣き顔ばかり。

 幼い頃の彼はいつもなみだでそのひとみらしていた。花が散るように彼は泣く。その姿がはかなくて、美しくて、いつも見惚みとれていた。心が綺麗きれいな彼はつらくても、かなしくても、泣くけれど、うれしい時はもっと泣いた。だからか、不思議と人に愛された。

 出会った時も、別れた時も、彼は桜の花びらがる中で泣いていた。散りゆく桜の花びらよりたくさんの涙を降らせる彼は幻想げんそう的で、れれば消えてしまいそうに見えた。


 まるで、桜の花みたいな子だった。 





1.




 九月に入ったとはいえ、夏の名残なごりで空気は生ぬるい。温かな風がふわふわした栗毛くりげでるようにける。真新しいセーラー服も、合い服では暑すぎるように感じた。

 もしもこの気温で学校まで走ったなら、きっとあせだくになってしまう。腕時計うでどけいを見て、なやみながら雪間栞ゆきましおりは歩く速度を速めた。転校初日に汗だくで挨拶あいさつするのはけたいが、遅刻ちこくするのはもっと避けたい。今日は初めての登校日なのだから多少の遅刻は大目に見てもらえないだろうか。そんな打算的な考えを頭にかべながら、栞は通学路を早歩きした。

 初めて着るセーラー服。スカーフをうのにこんなに苦戦するなんて、昨夜の栞は思いもしなかったのだ。

「間に合うかな、遅刻したらお母さんに絶対おこられる……」

 今朝、栞は「学校まで車で送ってあげる」と言う母の申し出を断った。なつかしい故郷の景色を見ながら、ゆっくり歩きたかったのだ。

 通学路の河道は子どものころのまま、桜並木がずっと遠くまで続いている。夏の間にしげった青い葉が木陰こかげを作ってくれているのがありがたい。春になれば桜が花をつけて、河道は一面桜色になる。町の中でも、この道は桜の名所として有名だった。

 栞の故郷はさくら町という小さな町だ。

 どこにでもありそうな、ありふれた名前の町だけれど、その名のとおり町は桜であふれていた。その数は尋常じんじようではない。街路樹や公園など町中に桜が植えられているのは当たり前で、庭のある家には必ず桜があると言われているほどだ。それくらいに、この町は桜を愛していた。それと言うのも、その昔、この町に桜の魔女まじよが住んでいたという伝承が残っているからなのだそう。

 そんなさくら町に高校二年の秋、栞は六年ぶりに帰ってきた。小学五年生の頃にして以来、ずっと都会で暮らしていた。けれど、わけあってこの秋から故郷のさくら町に帰ってくることになった。引っ越しにともない、今日から新しい高校に転校する。

 川面かわもに映るセーラー服の自分は、他人のようで栞は不思議な気分だった。前の学校は白のブレザーだった。新しい制服はまだ見慣れない。栞は緊張きんちようして、大きく息をく。

「はあ……どうしよう、会えるかな。会えたら、気づいてくれるかな」

 帰り道にすれちがうかも。廊下ろうかで出くわすかも。もしかしたら同じクラスかもしれない。

 かれに会えたら、なんて声をかけようかな。

 栞は新しい学校のことより、そればかり考えていた。彼、というのは幼馴染おさななじみのことである。彼に会うのが、一番の楽しみだった。延々と続く桜並木の下を歩きながら、栞は記憶きおくの中の彼に思いをせる。家が近所で、兄妹きようだいのように育った。彼はひどい泣き虫で、気弱で、けれどだれより心やさしかった。

 そして、初恋はつこいの相手だった。

 宝石みたいに綺麗きれいな目をしているのに、そのひとみはいつもなみだれていた。栞が小学生の時に転校して以来、彼と会うことはなかった。高校生になった彼はどんなだろう、栞ははやる胸を抑える。

 いつかこの町に帰って来られたら、きっとまた会いたい。そう願っていた相手だった。


 河川敷かせんじきをしばらく歩き、さくら町を出て隣町となりまちに入るとようやく校舎が見えてきた。

歴史を感じさせる煉瓦れんが造りの古びた校舎、その校門にたくさんの生徒がまれていく。栞がようやく校門まで辿たどいた時、ちょうど予鈴よれいが鳴った。

 他の生徒たちはずらりと下足箱が並ぶ生徒玄関げんかんへと足早に入っていく。栞は校門の前で立ち止まり、慣れない学校の雰囲気ふんいきに少しばかりたじろぐ。ひび割れた煉瓦のかべおおわれた校舎も威圧いあつ感があって気圧けおされそうだった。

 栞は遠慮えんりよがちに敷地しきち内に入ると、玄関に向かう生徒たちの波にされながら来客用の玄関を探した。昨日、担任から「来客用の玄関で待っている」と電話があったのだ。

 コの字型の校舎は真ん中に中庭があって、右には生徒玄関、左には職員玄関があるが、肝心かんじんの来客用の玄関が見つからない。敷地内には校舎の他に別棟べつむねの講堂と図書館があり、適当に歩いていたら迷ってしまいそうだった。

 きょろきょろしながら歩いて、ふと視線を前方にもどすと目の前に黒い壁があった。

「えっ」

 それが真っ黒な学ランで、誰かの背中なのだと認識にんしきした時にはもうおそかった。栞はびっくりして立ち止まるけれど、間に合わず前を歩いていた人にぶつかってしまった。バランスをくずした栞は前の人をみながら盛大せいだいに転んだ。同時にごとん、と重いものが落ちる音がした。

「いたた……す、すみません! 大丈夫だいじようぶですか!? 怪我けがしてないですか!?」

 栞はすぐに起き上がって、たおれている男子生徒に声をかけた。彼は「いてて」と小さくうめいて、ゆっくりと身体からだを起こす。

「本当にすみません! 私、転校生で、来客用の玄関を探して歩いてたんですけど、全然前を見てなかったんです! まさか目の前に人がいると思わなくて……」

「もういいよ、大したことないし」

 ぶっきらぼうにそう言うと、彼は顔を上げた。

「でも……え」

 ぶつかった少年の顔を、その目を、その瞳の色を見た瞬間しゆんかんに栞は息が止まった。

 ――彼は、桜色の瞳をしていた。


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