第5話 昼食


「ただいまー」


 頭の上にイチを乗せた状態で夕翔は帰ってきた。

 式神が見えない夕翔は、違和感を感じて頭を何度も振っている。


「ゆうちゃん、おかえり」


 犬の花奈は尻尾を振りながら夕翔に近づく。


「いい子にしてたか?」

「うん!」


 夕翔の両手は荷物でふさがっていたので、花奈が期待していた抱っこやお触りのご褒美なかった。

 夕翔はそのままキッチンへ向かい、花奈は後ろからトコトコついていく。


「俺は今から早めの昼飯作るけど、花奈はどうする? さすがにまだ腹減ってないよな?」


 夕翔は冷蔵庫に食材を入れながら、足元にちょこんと座る花奈へ話しかける。


「まだ食べられるよ〜」

「凄い食欲だな……」


 夕翔は今後の食費に不安を抱く。


「妖力がたまってたらあまり食べないよ。今はまだ完全に回復できてないだけだから」


 夕翔はそれを聞いてホッとする。


「そっか。とりあえず2人分つくるよ」

「見てていい?」

「いいよ」


 夕翔は花奈を優しく抱き上げた。

 花奈は不意打ちの抱っこにドキドキが止まらない。


「ここならよく見えるだろ?」


 夕翔は調理スペース前のカウンターに花奈を座らせた。

 花奈の首に巻き付いていたフウも興味があるようで、首を伸ばして眺める。


 2人に見守られながら、夕翔は調理を開始した。

 オリーブオイル、チューブのニンニクをフライパンに入れて火にかける。

 眺めていた花奈はニンニクの香りにつられ、鼻をピクピクさせていた。

 夕翔は花奈の仕草にくすりと笑いながら、薄切りベーコンを投入してさらに炒める。

 その後もテキパキと作業を進め、『豆乳カルボナーラ風パスタ』を完成させた。


 夕翔はパスタが盛り付けられた2枚の皿をキッチンから運び、リビングのローテーブルとその下に皿を1枚ずつ置く。


「花奈、お待たせ」


 夕翔はカウンターに座っていた花奈を抱きかかえ、リビングへ連れて行く。


 ——あ、2回目のご褒美〜。ゆうちゃんの抱っこって優しくて好き〜。


「熱いから気をつけて」


 夕翔は花奈を皿の前にそっと座らせた。


「いただきま〜す」


 お腹をまだ空かせていた花奈は、急いで舌先をパスタに当てた。

 しかし、花奈には熱すぎたので慌てて舌を引っ込める。


「ちょっと冷ますか」


 夕翔は自分のフォークでパスタを混ぜながら息を吹きかけた。


 ——ゆうちゃん、優しい〜。好きっ。


「食べてみて」

「うん、ありがとう!」


 花奈は舌先をもう一度当ててみる。


「ちょうどいい温度。おいし〜」


 花奈は目をキラキラさせていた。

 その可愛らしい反応を見て、夕翔は花奈の首元を軽く撫でようとする——。

 しかし、指先がフウの体に触れてしまい、夕翔は違和感を感じて手を引っ込める。


 ——花奈の毛とは違う柔らかい感触……?


 夕翔は花奈の首に顔を近づけた。

 じっと見つめられているフウは、汗だくだ。


「ゆうちゃん、どうしたの?」

「いや、なんでもない……」


 夕翔は花奈の首に何もないことを確認した後、自分の右肩——イチが座っている部分を軽く払った。

 イチはその前に夕翔の肩から飛び降りていたので触られずに済んだが、花奈とフウは夕翔の一連の行動に驚いていた。


『——フウ』


 花奈はフウに念話をする。


『はい』

『ゆうちゃんは私の式神に少しだけ感づいてるよね?』

『そのようでございます。見えてはいませんが、触感はあるようですね。普通はあり得ません』


 本来、式神は主人にしか認識できないため、夕翔の反応は異常な出来事だった。


『私が原因かな?』

『おそらく……』


 この会話で、花奈はあることを思いつく。


『イチ、お願いがあるの——』

『——畏まりました』


 花奈は念話でイチに頼みごとをし、目の前に呼び出す。


『しばらく頼むわね』


 花奈はそう言うと、イチをネックレスへ変身させた。

 それを口にくわえて夕翔の膝元に置く。


「ゆうちゃん」

「なに?」


 夕翔は近寄ってきた花奈に視線を落とす。


「このネックレス、あげる。お守りとして身につけてほしいの」

「これ? どこかで拾ってきたのか?」


 夕翔は、赤色の小さな石がぶら下がったネックレスを拾い上げた。


「私のものだよ」

「こんなの持ってなかったよな?」

「妖力で隠してたから」

「ふーん……」


 夕翔はネックレスの石を訝しげな目でじっと見つめる。


「変な呪いとかないよな? 媚薬みたいな効果を持ってるとか……」

「え!? そんなことするわけないよー」


 花奈は信用されていないことにショックを受ける。

 うなだれる花奈の様子から嘘はついていないだろう、と夕翔は渋々考えることに。


「わかった。身につけるよ」


 夕翔は犬に甘くしてしまう自分に呆れながらフォークを置き、ネックレスを首にかけた。


 花奈とフウはそれを見てホッとする。


 ——よかった。これでイチはずっとゆうちゃんの側にいられる。





 食後。


 洗い物を済ませた夕翔はリビングに戻り、花奈の横にあぐらをかいた。

 花奈はすぐさま夕翔の足の上によじ登り、太ももにあごを乗せてくつろぎ始める。

 なんの断りもなく堂々と行動する花奈に夕翔は苦笑するが、可愛いので仕方なく脇腹を撫でた。


「花奈」

「なあに〜?」


 花奈は夕翔の撫で回しに目をとろーんとさせていた。


「俺、明日は休みだけど、その次の日から5日間は仕事なんだよ。朝から夜まで家にいない」

「えー……寂しいよ」

「俺が仕事に行っている間だけど、家から出ないでほしい。何かあっても助けられないからな。ちゃんと鍵を閉めた状態で頼む。泥棒に入られたら困るから」


 夕翔の軟禁宣言にフウは顔をしかめ、『同意できません!』と異議を唱えた。

 花奈は気にせず話を進める。


「それなら、結界を張って泥棒が入れないようにする?」

「そんなことできるのか?」

「簡単だよ」

「じゃあ、頼むよ」


 すでに保護結界を張っていた花奈は、適当に近くの床を光らせ、それっぽい妖術を施したように見せかけた。


「ありがとう、花奈。助かるよ」


 夕翔は満足げに花奈を撫で回す。


「これで好感度は上がったよね? お礼はどうしようかな〜」

「そういうこと、口に出さない方が好感度はもっと上がるぞ……」

「ちゃんと私のいいところを知ってもらうためだよ。見て見ぬ振りされると困るからね〜」

「じゃあ、これがお礼な」


 夕翔は身体中を撫で回す。


「はう〜長めにお願いしま〜す」


 花奈は尻尾をブンブン振りながら、長い体を目一杯伸ばしていた。


「家から出るなって言っても、花奈は出そうだよな……。まあ、看過できない場合は家から出ていってもらうか……」


 夕翔は花奈が聞こえるような声量で独り言を呟いた。


「信用してもらうために、ゆうちゃんがお仕事に行っている間はおとなしくしてるよ。万が一外に出る必要があったとしても、誰にも見られない状態にするから」


 夕翔は顔をしかめる。


「外に出るって宣言してるようなものだよ、それ……。頼むから、誰にも迷惑をかけないでくれよ?」

『問題ありません。私がしっかり見張っておきます』


 夕翔には聞こえなかったが、フウは花奈に釘をさすためにあえて発言した。


「わかりました……」


 2人に強く言われた花奈は、素直に了承するしかなかった。


「仕事から帰ってきたら、散歩に連れて行くよ。犬の散歩は飼い主として当然の義務だからな」


 女として見られていない発言に花奈はがっかりする。


「できれば逢い引きって言って欲しいな」

「逢い引きって……せめてデートと言ってくれ」

「意味が違うの?」


 花奈は首を傾げた。


「意味は一緒だけど、デートっていう言い方の方が一般的かな」

「ふーん。じゃあ、仕事から帰ってきたらデートしてね!」

「……考えとく」


 ——はあ、先が思いやられる会話ですね……。


 2人の会話を聞いていたフウは、不安を抱かずにはいられなかった。


「そうだ、俺が家にいない間、困ったことがあったら連絡して欲しいんだけど……」


 夕翔はテーブルに手を伸ばし、端に置かれたタブレットを手に取った。


「あ、無理か……。ちょっと待ってて……」


 夕翔は何かに気づき、花奈をその場に置いて2階へ。

 しばらくして、黒のスウェット上下を持って戻ってきた。


「タブレットっていう機械の使い方教えるよ。俺が外出してる間、これで連絡がとれるから。さすがに犬の手だと操作しにくいと思うから、今は人型になってくれる? 先にこれ着ろよ?」

「うん」


 夕翔はスウェットの腹側を大きく広げると、花奈はその中へトコトコと入って行った。

 中でもぞもぞしながら花奈は移動し、襟元から可愛い顔を出す。

 その仕草に夕翔はキュンとする。

 本来なら、「可愛いな〜」と連呼しながら撫でまくったり、動画を撮りたいのだが……夕翔はグッと堪えた。


「じゃあ、変身するね」

「頼むから、裸を晒すなよ?」

「えー、ご褒美ほしくないの?」

「——いらない」


 即答する夕翔に花奈はうなだれた。


 ——そんな言い方ないじゃない! なら……。


 花奈は悪知恵を働かせ、本来の人型へ変身した。

 ぶかぶかのスウェットを着ていても目立つように豊満な胸を突き出し、露出した白い足を軽く上げてアピールする。

 

 ——私の美貌に目を奪われ、たじろぐがいいわ……!


 花奈はそう思いながらドヤ顔を夕翔に向けると……。

 夕翔は完全に目を背けてタブレットを触っていた。


 ——少しは盗み見てよ!!! いやらしい視線をよこしなさいよ!


「もう……」


 花奈は唇を突き出しながらスボンを吐き、夕翔の横に荒々しく座った。

 夕翔はおもむろに花奈の方へ視線を向けると……一瞬固まる。


「——誰!?」

「え? 花奈だよ!? 他に誰がここにいるのよ!!!」

「なんで前と外見が違うんだよ……?」

「これが本当の姿だからだよ? 前に見せたのは、若い時の姿」


 花奈はわざと豊満な胸を突き出し、腰に手を当てた。


 ——この魅力的な胸に視線を奪われるがいいわ!


 さすがの夕翔もその策にはひっかかり、膨らみに目を向ける。

 ……が、無表情のままタブレットに視線を戻す。


「そうか……覚えとくよ。じゃあ、使い方説明するな」


 夕翔の恥じらいが全く見られなかったので、花奈は頬を膨らます。


「ちょっと……。この艶かしい体に何も思うことはないの?」

「はあ……あったらダメだろ?」

「ダメじゃない! 興味持ってよ〜」

「そんな日がきたらな……。それより、タブレットの説明をさせて」

「むぅ」


 花奈は唇を突き出した。


「ほら、ちゃんと聞いて。後でいっぱい撫でてやるから」

「仕方ないな〜」


 花奈はすぐに機嫌を直し、タブレットの操作方法を教えてもらうことに。


『はあ……』


 夕翔の掌で踊らされる花奈を見て、フウはため息をついた。


 ——本来の姫様はこんな感じではないのですが……。先が思いやられます……。


 呆れていたフウではあるが、久しぶりに無防備な状態をさらけ出す様子に安心もしていた。

 向こうの世界にいた時の花奈は、常に張り詰めた空気をまとい、心から笑う姿を式神と母親にしか見せたことがなかったからだ。

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