第2話 警戒

「——人違いだ」


 夕翔は花奈と名乗る少女の言い分を完全否定した。


「人違いなんかじゃないよ! 小さい頃、ゆうちゃんと公園で遊んでたの。覚えてない? 狛犬を祀る神社の近くの公園だよ? ゆうちゃんの家の前にあった公園」


 花奈の発言に夕翔は黙り込む。


 ——確かに昔、神社と公園の近くに住んでたけど……。俺にはその頃、友達なんて1人もいなかったはず……。


 幼少期、夕翔は心臓に重い病気を抱えていた。

 外出を禁止されていた当時、家を時々抜け出して公園に行ったことはあったが、いつも1人だった記憶しか夕翔にはない。


「君のことは知らないよ。頼むから、警察を呼ぶ前に出てってくれ」


 夕翔は『110』の番号が表示された携帯画面を花奈の方に向け、いつでも押せる状態であることをアピールした。


 花奈はその携帯を見て首を傾げた。

 自分の立場が危ういことは感じとっているが、それが何を指しているのか理解していない。


「ゆうちゃん、ちょっと落ち着いて……。何もしないから……」


 花奈はできるだけ逆撫でしないように言葉を選ぶが……。

 逆に、その落ち着いた態度に夕翔は焦りを募らせる。


「——ゆうちゃん、大丈夫?」


 夕翔は急に話しかけられて震え上がった。

 花奈は夕翔の様子がおかしいので、心配しているだけだが……。


「も、目的は金か? その机の一番下の引き出しに金がいくらか入ってる。それを持って早く出てってくれ!」


 夕翔は咄嗟に嘘をついた。

 その机に金は一切入っていないが、この部屋から逃げて警察に電話をかける時間は稼げるはずだ、と考えていた。


「お金はいらないよ……」


 花奈の返事に、夕翔はうろたえる。


 ——どうしたらいいんだ!?


 一方の花奈は夕翔の発言にショックを受け、目を潤ませていた。


「怖がらなくて大丈夫。ゆうちゃんに危害は絶対加えないから……。お願い、私の話を聞いて」


 恐怖で混乱していた夕翔は、黙って頷くしかなかった。

 花奈は夕翔の反応にホッとし、ゆっくり話し始める。


「あの……昨日はありがとう。助かったよ。ゆうちゃんのおかげで人の体に戻れたから」


 花奈はにこりと笑いかけた。

 身に覚えのない夕翔は、首を傾げる。


 花奈は眉根を寄せ、右手人差し指で右頬をぽりぽりとかく。


「どこから説明しよう……。まずは、勝手にお布団の中に入ってごめんなさい。あと、下に干してあった服も借りてごめんなさい。ゲージの中は狭くて寒かったから……」

「……ゲージ?」


 夕翔は昨晩のことを振り返る。


「……ゲージって……犬の……?」

「正解!」


 ——なにが!?


 冷静さを欠いた夕翔は、花奈の文脈を読み取れなかった。


「この私が、昨日ゆうちゃんに助けてもらった犬だよ」


 夕翔の思考が一瞬停止した。


「……そんなわけあるか」

「これなら信じてくれる?」


 花奈は妖術を発動し、ベッドの上で変身した。

 その姿は、夕翔が知っている犬——。

 やせ細った体、愛らしい瞳、長い胴に短い足……。


「嘘だろ!?」

「嘘じゃないよ」


 変身場面を目の当たりにし、夕翔は犬が花奈であることを信じるほかなかった。

 しかし、まだそれ以外のことは信用していない。


 花奈は再び人の姿へ戻る。


「……昨日は犬の状態で言葉を話さなかったよな?」

「妖力……話せる力が尽きてたから」

「……どこから来たんだ?」

「別の時空にある、ヨウ星ってところから来たよ」

「真面目に答えてくれ……」

「真面目だよ? 時空間の往来は普通できないから、知らないのは当然」


 ——混乱してきた……。


 夕翔は額に右手を当てる。


「それで、なんのために俺の家に来たんだ?」

「ゆうちゃんのお嫁さんになるため。結婚しよう、って言ったのは、ゆうちゃんだよ?」

「冗談はいい加減にして……」


 花奈は俯いた。


「何も覚えてないんだね……。でも、私はこの18年間、ゆうちゃんの言葉をずっと信じてた。変わらずゆうちゃんのことが大好きだったの」

「ちょっと待て……。18年……? 何かの間違いだろ?」

「すべて本当の話だよ?」


 花奈は涙目で訴えかけるが、夕翔は首を横に振った。


「やっぱり人違いだよ……。俺は友達を作る時間もなかったんだから。それに、女の子は基本苦手なんだ」

「妖力反応で調べた結果、あなたが私の好きな戸塚夕翔だって確定してる。ちゃんと顔に面影が残ってる」


 花奈は幼少期の夕翔と目の前の夕翔を重ね合わせ、懐かしんでいた。


「そんなこと言われても……」

「——私、逃げてきたの!」


 花奈は突然、語気を強めた。


「え?」

「私、好きでもない人と結婚させられそうになったの。私が唯一好きになった人はゆうちゃんだけ。絶対にその思いは揺るがないから!」


 花奈は立ち上がり、夕翔に近づく。


「これで少しは思い出せるはず……」


 花奈は夕翔の顔を両手で固定した。


「ん!?」


 夕翔は離れようとするが、花奈の力が強すぎて動けない。


 そして——。

 花奈はためらうことなく唇を合わせた。


 ——体が……熱い……。


 夕翔の心臓の一部が突然光り、身体中へその光が巡る。

 電気が走るように、夕翔の頭の中へ断片的な映像が流れ込んできた——。


 公園のベンチに座る夕翔の隣には、1人の少女が座っていた。その少女は茶髪で肌が白く、夕翔に笑いかけている。


 夕翔はなぜか、その映像が自分の忘れた記憶だと理解する。


「——何か思い出した?」


 いつのまにか、夕翔はデスクの椅子に座っていた。

 花奈はベッドに座って夕翔を心配そうに覗き込んでいる。


「少しだけ……」


 夕翔は花奈の顔をじっと見つめ、忘れていた少女の面影を見つける。


「本当に、公園で遊んでたんだな……」

「うん。ゆうちゃんは歩くのがやっとだったから、お話だけだったけど」

「なんで俺は忘れてたんだ?」


 花奈は一瞬だけ顔を曇らせる。


「原因はわからない……」

「そっか……。でも、思い出したからといって、結婚しようなんて気にはならないけど……?」


 夕翔は申し訳なさそうに答えた。

 口には出さなかったが、得体の知れない生物と関わりたくない、というのが本音だ。


 花奈は涙をこぼしながら夕翔に抱きつく。


「そんなこと、簡単に言わないで!」

「ごめん……。でも、無理なものは無理なんだ」

「もう一度、好きになって欲しいの。私、頑張るから……」

「無理だ……」


 夕翔は自分の体から花奈を引き離したが、花奈は簡単に引き下がるつもりはなかった。

 犬に変身し、夕翔の膝の上に飛び乗った。


「家族になろう、って言ってくれたでしょ?」


 夕翔は眉根を下げる。


「犬だと思ったからな……」

「私は犬でもあるよ? お願い、私に機会を与えてほしいの」


 花奈はつぶらな瞳で訴えかける。


 ——そんな可愛い顔で見ないでくれ……。俺は犬には甘々なんだよ……。


「はあ……」


 夕翔は葛藤しながらため息をついた。


「すこしだけ……。でも、無理だったら——」

「——ありがとう!」


 花奈は夕翔の言葉を遮り、うれしそうに尻尾をブンブン振りまくる。


「はあ……猶予は与えたけど……、これからどうするつもりなんだ?」

「え? 一緒に住んでアピールするつもりだけど?」


 花奈は可愛い目をキラキラさせていた。


「え、無理……」


 夕翔は顔を歪ませる。


「うえ!? ゆうちゃんは、身寄りのない私を捨てるつもりなの? この世界の住人じゃないのに?」

「捨てるって言い方はないだろ……。魔法みたいな力でどうにかなるだろ?」


 花奈は目を潤ませる。


 ——そんな目で見ないでくれ……。


「図々しいと思わないのか?」


 夕翔は指で花奈の鼻先を軽く突く。


「違う世界で1人で生活するのは難しいよ……。ゆうちゃんも私の立場だったら、頼ると思うけど?」


 ——確かにな……。


「本当にしばらくだけだぞ? さっきみたいな幼い外見の女の子と行動してたら、警察に怪しまれるんだからな……。無実の罪で捕まりたくないんだよ……」

「わかった。ゆうちゃんのために行動は慎むよ。そのためにも、こっちの世界のこと教えてね〜」


 花奈は顔を夕翔の胸にすりすりする。

 夕翔は反射的に花奈の首筋を撫でてしまう。


「逃げてきたっていうけど、本当に大丈夫なのか? 無理に結婚させられるってことは、身分が高いんじゃ……?」

「大丈夫、大丈夫〜」


 花奈は誤魔化すように目一杯尻尾を振って愛想をふりまく。


「はあ……。不安しかない」

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