1章 第6話 もう一度あの場所で

 二学期が始まってから二週間程経っていた。この二週間、芸能記者っぽい余所者が多く出入りしていて、この穏やかで静かな町にしてはちょっと騒がしかった。純哉も毎日雨宮工務店に通ったらしいが、「相変わらず爺さんしか居ねぇ!」と文句を言っていた。

 俺はと言うと、普段ならば我関せず、という態度を貫いているところだったが、凛の事が気になってそれどころではなかった。毎日スマホで芸能ニュースで彼女の情報を探りつつ、毎日あの場所に出向いている始末である。勿論、全て空振りに終わっている。

 この鳴那町だけでなく、どこかでRINが見つかったという話はない。事務所がRINの引退を撤回し、無期限活動休止という形を取る事で沈静化に努めている事で、徐々に静まりを見せていた。また、同時に有名女優の交際が発覚した事で、世間の関心はそちらに向いている様だった。

 芸能界は本当に冷めるのが早い。あんなに騒いでいたのに、もう静まってきている。いや、もしかしたら関心を別のところに向ける為に女優の熱愛を誰かがリークしたのかもしれない。だとしたら、この件はどこかで折り合いがついているという事になる。


(もう、会う事は無いのかな)


 改めて右手を眺める。

 確かに、彼女と握手した手。だけど、実際にもうその感触は殆ど覚えてなくて、でもまたどこかで会えると期待してる自分が居て、切なくなる。失踪したモデルに恋をしたとでも言うのか、俺は。

 深い溜息が漏れた。最初は凛を説得して芸能界引退を撤回させるつもりだった。高校生の戯言で人生を決めるな、と文句すら言ってやりたかった。

 だが、同時に彼女のあの辛そうな顔を思い出すのだ。散々悩んで、俺みたいなどこの馬の骨かわからない奴に相談して、それで答えを出すなんて……よっぽど追いつめられていたのではないだろうか。


「バカらしい……」


 そう呟いて、また俺はいつもの場所から町を見下ろした。

 夕暮れになるといつも来る。まだ町は蒸し暑いが、ここは高台にある為風通しもいい。

 ここに来れば彼女に会えるかもしれない……そんなあてのない希望に縋っていた。もう本音では諦めているのに、こうして毎日この場所に足を運ぶのは、どうしてだろう。今日もこうして日が暮れるまでここに居て、来るはずのない、ただ1回奇跡的に会えた人だけを今日も待っている。

 どうして、俺は彼女にこうまで惹かれているのだろうか。純哉の事を笑えない。今では彼女の写真集をほしいと思ってる自分がいる。もっと色んな凛が見たいと思うのだ。

 そう思った時──風が強く吹いた。あの時みたいに、風が吹いたのだ。

 目が風圧に耐えれそうになかったので、反射的に瞼を閉じた。

 その後すぐ開いたつもりだった──が、目は開いているはずなのに視界が真っ暗だった。少し目の周りに体温を感じ、そこで目に手が当てられている事に気付いた。

 そして、匂いがした。俺はこの匂いを知っている。二週間前に一度だけ嗅いだ事がある。優しくて甘い香りだ。

 こうなる事を一番望んでいたはずなのに、一番信じられない。


「だーれだ?」


 悪戯そうな声が耳元に吹きかかり、ぞくっとする。


「えっと……絶賛失踪中の人?」

「残念、外れ。もう失踪はしてないから──って、やっぱり私のこと知ってたの?」


 彼女はまだ手を退けてくれない。でも、失踪はしていないという事は、もう話はまとまったという事だろうか。


「あの時は知らなかったよ。本当に。ただ、あれだけ騒がれたら気付くだろ」

「あははっ、確かに! 私もあんなに騒ぎになると思わなかったから」


 可笑しそうに笑う声が耳に流れてくる。早く、早く彼女の顔が見たかった。


「で、そろそろ手退けてよ。雨宮凛さん」

「はい、正解」


 彼女の華々しい声と共に視界は広がった。

 慌てて振り返ると、そこには有名モデル・RIN……いや、雨宮凛が嬉しそうに笑っていた。

 今日はキャップを深く被って黒いTシャツにジーンズと、前とは違って明らかに見つからない事を意識した服装だった。


「久しぶり」

「半世紀ぶり?」


 意味もなくボケてみたのは、きっと照れ隠しだ。


「運命が私達を引き裂いたのね……」

「でもこうして再会できたよ」

「そうだねっ」


 凛は嬉しそうに笑った。意味のない挨拶。それが繋がった、妙な達成感。彼女もそんなものを感じたのだろうか。


「隣、座っていい?」

「え、えっと……勿論」


 どうも、と凛はキャップを外して並ぶ様に座る。

 彼女の急な申し出に当惑を隠せない。やばい。緊張して話せない。この前はここまで緊張しなかったのに。

 相手が有名モデルだからか、それともこの2週間求めていたからか……夢だか現実だかわからない。話す事は沢山あるはずなのに、思い浮かばなかった。


「この二週間、翔くんはどうしてた?」


 凛から話を切り出した。

 君を捜してた。なんて、勿論言えるはずがなかった。


「別に。学校行って、帰って、寝て、食って、友達と喋って⋯⋯それの繰り返しだったよ」

「ふぅん」


 凛は目を細めて笑っていた。


「良いと思うよ、そういうの」

「そうかな。皆こんなんだと思うよ、この町は。やることないし」

「んー、私はそういうの憧れてたけどね」


 過去形? どういうことだろうか。有名モデルには縁のない生活なのかもしれない。


「凛は?」

「私? 私はバタバタしてたかな。事務所や色んなとこ謝りに行ったり、手続きで行ったり来たり」

「大変そうだな」

「もー、そんな他人事に言うけどさ、ほんっっとに大変だったんだから! あんなに怒られまくるとは思わなかったなー」


 彼女は口を尖らせて冗談っぽく言ったが、おそらく本当に大変だったのだろう。言った後に深い溜息を吐いていた。


「でも、私が選んだことだから……最後はちゃんとしないとね」

「……俺のせいか?」


 気になって訊いてみた。この二週間、ずっと気にかかっていた事だ。


「違うよ。私が選んだの」

「俺が一人の芸能人の未来奪ったとかシャレになんねーぞ」

「だから違うってば。そこまで私は他人任せで自分の人生を決めない。ちゃんと自分で考えて、自分の納得のいく理由を見出せたから辞めたの。そういう意味でも、翔くんには感謝してるよ」


 それってやっぱ俺のせいなんじゃないか。いや、俺の考えを採用したっていうべきか。どちらもも似たような話だけれども。


「で、どうして凛はここに来たんだ?」


 そう訊くと、「えっ」と少し驚いた様な、凛にしては間抜けな声をあげた。


「んー……聞きたい?」


 ちょっと照れくさそうにこちらを見て、視線を逸らす。こくり、と俺は頷いた。


「君に…………から」


 声が小さくてよく聞こえなかった。


「え、何て?」

「もうっ、君に会えるかも知れないって思ったから! 恥ずかしいから何度も言わせないでよっ!」

「ご、ごめん!」


 怒った様に彼女はふいっとそっぽ向く。だが、それは嬉しくもあり、何だか奇妙な話だった。


「でも、どうして俺に?」

「だって、御礼、言いたかったから」

「え?」

「一番辛くて、本当にどうしていいかわかんなかった時、まるで天使みたいにふらって現れて、私が欲しかった助言をしてくれたからだからさ」


 そんなに俺は大それた事を言ったのだろうか。一人の人生を変えてしまう程の事を? 

 案の定、スーパーモデルの電撃引退が俺との会話に起因していた事は事実だったらしい。全国のRINファンからぶっ殺されそうだ。


「でも、ほんとに感謝してるんだよ? あの時一番辛くってさ……だから、そのお礼が言いたくて」

「別に礼なんていらないさ。俺は何もしてない。全部自分で選んだ事だろ。むしろ、俺なんかのアドバイスで人生変えて良かったのか、申し訳なくて」

「そんな事ないよ。そんな風に思わないでほしいなー」


 彼女は拗ねたように、少し不機嫌そうにしていた。

 きっと今改心させて芸能界に戻らせようとしても、もう遅い。彼女は心から決めているようで、そんな言葉には絶対耳を貸さない。

 それに、俺はさっき何を考えていた?


『散々悩んで、俺みたいなどこの馬の骨かわからない奴に相談して、それで答えを出すなんて……よっぽど追いつめられていたのではないだろうか』


 そう思ったのだ。まさしく彼女はそうだったのではないか。俺は背中を押した程度かもしれない。ただ、そう思っても俺の中の罪悪感は消えなかった。


「もう……私、こういう展開望んでなかったのにな。この機会を逃すと次はいつ会えるかわからないし、もしかしたらもう会えないかも知れないのに」


 彼女の言葉に、思わず息が詰まる。

 そうだ。彼女はモデルを辞めたにせよ、また東京で学生生活に戻るだけで、そこに俺との接点はもうない。俺は何も答えを返せない。

 わかっていたけれど、認めたくなかった現実。


「だから、ありがとう」

「……ああ」


 どうしようもない切なさが襲ってくる。

 結局俺はどうしたかったのだろうか。彼女とどうなりたかったのだろうか。

 そんな感情に気付いても、もう遅かった。

 それから俺達はつまらない、ほんとにどうでもいい話をして、前と同じ様に二人で寺の石段を降りていった。

 階段を下りて自分の家の方へ向かおうとすると、


「翔くん」


 いきなり呼び止められた。


「ん?」

「……またね」

「うん? ああ、またな」


 そう言ってお互いに軽く手を振って、背を向けた。

 凛は極上の笑顔を見せていた。それに対して、俺は、ちゃんと笑顔を作れただろうか。『また』がいつくるかわからない『またね』は正直辛い。でも、まあ所詮現実はこんなものだろう。むしろ、会えただけ幸運だったのかもしれない。

 そう自分に言い聞かせるものの、深い溜息が出てしまう。

 彼女とは、これできっと最後なるのだろう。

 俺はそんな諦めの籠った溜め息を吐いて、家路についた。

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