第40話 魔王の息子、駆けつける

 ――しまった!

 

 イリスは己の軽率な行動を悔やんでいた。

 ダインという前例があったにもかかわらず、魔術学院の関係者が魔族と繋がっている可能性に気づけなかったのだ。


「イリスさん、何故ここに……」

「おおかた貴様の後をつけてきたのだろう」

「も、申し訳ございません!」

「構わん。わざわざ獲物の方からやってきてくれたのだ。手間が省けて助かった」

「はっ!」


 ウィリアム先生は仮面の男に向かって深々と頭を下げる。

 

 ――何とかして逃げないと。


 幸い、この教会は町の中央に位置している。

 走れば大通りまでは近い。

 夜も更けてきてはいるが、人通りもそれなりにあったはずだ。

 そこまで逃げることさえできれば……。


 イリスは仮面の男とウィリアム先生から目を離さないように警戒しつつ、じりじりと後ろに下がる。

 仮面の男は口に弧を浮かべたまま、その場から動こうとしない。


 イリスはそのことを不審に思うと同時にチャンスと判断し、後ろへ振り返ると一気に駆け出した。

 正確には、


「きゃっ!?」


 だが、それは残念ながら叶わなかった。

 何かにぶつかってしまい、進めなかったのだ。


 しかし、イリスが見る限り目の前には何かがあるようには見えない。

 恐る恐る前方に向かって手を突き出す。

 こつん、と無機質な音がした。


「無駄だ。ここら一帯に障壁を張った。内からも外からも通り抜けることは出来ん。ああ、そうだ。こいつは音も通さんからな。大声を出して助けを求めようとしても意味がないぞ」

「くっ! それだったら!」


 逃げることも助けを呼ぶこともできないと知ったイリスは、仮面の男を睨む。

 イリスが使える魔法は補助や癒しといったものがメインだが、攻撃魔法が使えないわけではない。

 距離を保ちつつ、唯一使える上位攻撃魔法を発動させようと試みる。


「『アース・バインド』」


 だが、イリスが動くよりも早く、ウィリアム先生が土魔法を唱えた。

 『アース・バインド』は土の補助魔法だ。

 対象の足に土を絡ませ固定することで、動けないように拘束する。


「無駄な抵抗はしないほうがよいですよ、イリスさん」

「ウィリアム先生! なんで先生がこんなことを!?」


 イリスの問いは至極当然のものだった。

 勇者協会に所属しているウィリアム先生が魔族と手を組んでいるなど、信じられなかったからだ。


「ふふ、私は魔王信奉者なのですよ」

「!? 魔王信奉者……?」


 聞きなれない言葉にイリスは首を傾げる。


「少しだけ昔話をしてもよろしいでしょうか?」

「手短にな」


 ウィリアム先生は仮面の男に「ありがとうございます」と一礼し、イリスを見た。


「私の父は王国の貴族です」

「ミッドフォートレス……あ!」


 ミッドフォートレス家という貴族は確かに存在する。

 元々は子爵だったが、現在は伯爵になっている貴族だ。


「父は上昇志向が強い人でしてね、そのためなら人を蹴落とすことなんて一切躊躇ためらわないところがありました。賄賂は当たり前で、人の弱みを握るとつけ込んで脅したりもしていましたね」

「……ひどい」

「私もそう思います。ですが、それは父だけに限ったことではなかったのですよ」

「え……?」

「貴族がみな清廉潔白というわけではありません。賄賂を受け取る者がいるからこそ、賄賂という行為は無くなりませんし、程度の差はあれど、人の弱みにつけ込む者はいます。私は幼い頃から父の傍でその姿を見てきたのですから」


 ほんの一瞬だけ、ウィリアム先生は寂しそうな表情を浮かべる。

 しかし、直ぐに悦にひたったような笑みで顔を歪めた。


「こんな醜くて弱い人間が、さも大陸の支配者のように存在していてもよいのでしょうか? いいえ、よいはずがありません。人間など滅んでしまえばいい、そうは思いませんか?」

「ウィリアム先生……貴方は狂っています」

「ふふ、真実に目覚めたといって欲しいですね」

「それで魔王に人間を滅ぼしてもらおう、というわけですか」

「その通りです。ただ、今の魔王は当てになりません。人間を滅ぼすことにあまり乗り気ではないようです」


 確かに魔族はここ十六年間、人間に対して本格的な侵攻を行ってきていない。

 ちょうど魔王が代替わりをした時期と被る。


「残念でしたね」

「そんなことはありません。今の魔王が当てにならないのであれば、先代の魔王様に復活していただけばよいのです」

「先代の……魔王ですって?」


 ウィリアム先生は眼鏡の奥の瞳を細めて頷く。


「十六年前、今の魔王は先代魔王様を倒したことで魔王を名乗っています。ですが、先代魔王が生きていたら――これは正確ではありませんね。転生していたとしたらどうでしょう」

「……な」


 イリスは大きな目を更に見開いた。

 気づいてしまったのだ。

 仮面の男の言葉の意味を。

 

「ま、さか……」

「貴女の中で眠っておられるのですよ。イリスさんが死ねば、転生された魔王様が復活するのです。ああ、なんと素晴らしいことでしょう!!」


 歓喜に震えるその声は、心の底から喜んでいるように見えた。

 ウィリアム先生の言葉を引き継ぐように、仮面の男が口を開く。


「と、いうことだ。イリス・レーベンハイト。貴様には我が主のために死んでもらう」

「……貴方、何者なの」

「死にゆく者に教えたところで意味などないが、よかろう。我の名はカイナ。貴様の中で眠る魔王ルキフェ様の側近よ」


 仮面の男――カイナは右手を回転させると、魔法陣を起動した。


「なに、痛みなど一瞬だ。それだけでこの地に魔王は復活する」


 カイナは魔法陣に手を突っ込むと、中から漆黒の短剣を取り出す。

 夜の闇を凝縮したような短剣からは、禍々しいまでの魔力が込められていた。

 短剣を見た瞬間、イリスは息を呑んだ。


 ――ここで死ぬの?


 死を悟ったイリスの頭に浮かんだのは、自分の恋慕う相手の顔だった。


 せっかく生まれて初めて好きな人に出会えたというのに。

 想いが通じ合って、わずかではあるけれど応援してくれる人も増えて。

 これからもっと話ができる、触れ合える――はずだった。

 

 ――ゼノス……!!


 叫んだところで届かないのは分かっている。

 全部自分が悪いのだ。

 でも、それでも。

 どうしても叫ばずにはいられなかった。

 

「ゼノスッ……!!」

「フッ、それが貴様の最後の言葉か。さらばだ、矮小な人間よ」


 カイナは右手に握った短剣を、イリスの心臓を貫こうと突き刺す。

 金属音が響き、火の粉が舞った。


「何とか間に合ったみたいだな」


 いつの間に現れたのか、イリスを守るようにゼノスが立っていた。

 ゼノスの手には真っ赤な剣が握られている。


「オラッ!」

「ちっ!」


 カイナがゼノスの剣を弾き、後ろへ跳躍する。

 ゼノスは『アース・バインド』を断ち切り、イリスの拘束を解いた。


「ゼノスッ!!」

「おわっ!?」


 イリスは勢いよくゼノスに抱きつく。

 死を覚悟していたところに、最愛の恋人が助けに来てくれたのだ。

 嬉しいに決まっている。


 ゼノスは落ち着かせるように片手でイリスの頭を優しく撫でて、フッと微笑みかけた。


「もう大丈夫だ。後は俺に任せとけ。あ、念のため『ディバインフィールド』を張っておくんだぞ」

「……うん」


 イリスはゼノスから離れる。


「よし。さて、と」


 ――間に合ったとはいえ、またイリスを危険な目に合わせちまった。

 ったく、情けねえ。


 ゼノスは己に憤った。

 この思いをぶつける相手は決まっている。


 ゼノスは、仮面の男とその奥のウィリアム先生を睨む。


「イリスを狙ったんだ。謝っても許すつもりはねえからな。さっさと倒させてもらうぜ」

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