第37話 魔王の息子、一歩前進する

 ゼノスたちはいつもとは違う森についた。

 その方が魔族が現れる可能性が高いだろうと判断してのことだ。


 ゼノスはオーヴェルが何か仕掛けてくるのではないかと警戒していたのだが、特に何をするということもなく終わった。

 文字通り何もすることがなかった、といった方が正しかったのかもしれない。


 オーヴェルは生徒たちの前で、出現した魔族のことごとくを瞬殺した。

 イリスに少しでもいいところを見せようとしたのだ。

 オーヴェルの実力を目の当たりにした生徒たちからの受けは良く、魔族を倒すたびに歓声が上がる。

 歓声が上がればオーヴェルとしても気持ちがいい。

 次々と魔族を倒していき、気づいた時にはオーヴェル一人で魔族の屍の山を作っていた。

 課外授業を兼ねているはずなのに、だ。


 イリスの冷たい視線に気づいたオーヴェルは、そこでようやく自分がやり過ぎてしまったことに気づく。

 しかし、気づいた時にはもう遅かった。


「もうこの辺りには魔族はいないと思うぜ」


 ゼノスが周囲を見渡しながらオーヴェルに告げた。

 魔力反応がどこにもないのだ。

 すなわち、オーヴェルが全て倒しつくしてしまったということに他ならない。

 イリスの視線がより一層鋭いものに変わる。

 オーヴェルは「あはは……」と笑ってごまかしてはいるが、背中から冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。

 

 イリスは呆れていたが、同時にゼノスに何もしてこなかったことに疑問を感じた。

 オーヴェルの性格上、必ずゼノスにちょっかいをかけてくると思っていたからだ。


 ――もしかして、私とゼノスの仲を認めてくれた? 

 いえ、そんなことあるわけないわよね。

 

 もし、そんな性格をしているのであれば最初からオーヴェルを頼っている。

 イリスはオーヴェルの不可解な行動を理解できないでいた。


 ゼノスはゼノスで別のことを考えていた。

 オーヴェルが倒した魔族に目を向ける。

 

 ――この数はおかしいな。


 確かにこの森は初めて訪れた。

 中立都市からもそこそこ離れているし、多少の魔族がいてもおかしくはない。

 だが、この数は異常だ。

 正確な数までは分からないが、少なくとも三十以上の死体が転がっている。

 魔族領に近い場所でもない森で。

 

 ダインが仕掛けていたのか、それともダインを裏で操っていた者が仕掛けていたのかは分からない。

 前者であればよいが、後者だったら。

 ゼノスはそこでハッとする。

 

 ――そうか、そいつを何とかしねえ限りイリスがまた狙われちまう。


 ダインの話では、敵の狙いはイリスだった。

 ということは、ダインが帝国に戻っただけでは問題が解決したとはいえない。

 敵そのものを倒さなければ、いずれ同じことが起こるのではないか。

 

 ――させるかよ。


 ゼノスは拳に力を込める。

 なんでイリスが狙われているのかは分からない。

 分からないが、イリスはゼノスが初めて惚れた少女だ。

 誰であろうとイリスを傷つけようとする者を許すつもりはない。


 ダインの時はあくまで同じ魔術学院に通う生徒であったこと、道を完全に踏み外す前であったこと、そして更生の余地があったから命を助けただけだ。

 仮にあの魔法石をダインが使っていたら、ゼノスは容赦していない。

 そういう意味ではダインは運が良かったと言える。


 しかし、ダインを裏で操っていた者は別だ。

 そもそも、イリスを狙っているのはそいつなのだから。

 

 ――必ず尻尾を掴んでやる。


 ゼノスは気持ちを新たにした。




 課外授業から戻った後、イリスはオーヴェルに呼び出された。

 呼び出されたのはイリスだけではない。

 ゼノスも一緒だ。

 イリスの後ろにはロゼッタが、オーヴェルの後ろにはリザが控えている。


「はっ? お兄さま、今なんと仰いました?」


 イリスがオーヴェルに問いかけた。

 

「君たちを応援すると言ったんだけど、聞こえなかった?」

「いえ、聞こえてはいますが……」


 ロゼッタの手紙には、二人が付き合っていることまでは記されていない。

 お互い意識し合っているだろう、という程度の内容だった。

 オーヴェルもそう思っていたが、二人の反応を見て考えを改める。


 ――もしかして既に付き合っているとか、かな?


 女性の扱いに関してはオーヴェルの得意分野だ。

 例え妹であっても――いや、妹だからこそ表情を見ればおおよその予測はつく。

 どう見てもお互いに好き合っている、そんな空気になっていた。


「あー、必要ないというのであれば僕はこのまま帰るけど」

「いいえ! お兄さま、是非宜しくお願い致します!」


 イリスは真剣な眼差しでオーヴェルを見つめる。

 オーヴェルは「言わなければ良かったかも」と心の中で後悔するが、もう遅い。

 ここでオーヴェルが「冗談でした」とでも言おうものなら、一生イリスは口を聞いてくれなくなる。

 そんな確信めいた予感がした。

 つまり、オーヴェルが取る選択肢は一つのみ。


「もちろんさ。それにゼノスくんには王国の民の命を救ってもらったという恩もあるしね。戻ったらまず父上に爵位を進言してみよう」

「ありがとうございます、お兄さま!」


 イリスがオーヴェルに抱きつく。

 

 ――ヤバい、泣きそうかも。

 

 オーヴェルの記憶ではイリスの物心がついて以降、こうして抱きつかれたことなど一度も無い。

 理由が理由だけに素直に喜べないが、可愛い妹から自発的に抱きつかれたオーヴェルの頬は自然と緩み、目頭が熱くなる。


「……オーヴェル様はそれでよろしいのですか?」


 どうやら、ロゼッタは納得いかないらしい。

 「納得できません」といった目でオーヴェルを見る。

 無理もない。

 志を同じくしている思っていたはずのオーヴェルが、ゼノスと一戦交えることもなく二人の仲を応援すると言ったのだ。

 彼女からしたら裏切られた気分だろう。


「ああ、その方がイリスの為にもなる。ロゼッタちゃんもきっと分かる時がくるはずさ」


 オーヴェルの『恩恵』について知っている者は、国王とリザの二人しかいない。

 秘匿しておかねばならないことなので、おいそれと教えるわけにはいかないのだ。

 ロゼッタはまだ納得いかないようで、むすっとした表情をしている。


 オーヴェルは後ろを振り返る。

 リザと視線が合うと、彼女は小さく頷いた。

 姉であるリザならうまく説得してくれるだろう。


「ゼノスくん、ちょっと」


 そう言ってオーヴェルはゼノスに手招きした。

 

「何だ?」

「ちょっとね。ああ、イリスも耳を貸してくれるかな」


 ゼノスとイリスは素直に顔を近づける。


「二人のことは応援するつもりだ。ただし、爵位がもらえるといってもせいぜい帝国と同じ准男爵だろうから、婚約は難しいと思う。ロゼッタちゃんには君たちがある程度接触しても邪魔しないように伝えておくけど、人目は気にしてほしい」

「もちろんだ」

「はい」


 ゼノスとイリスにとって、イリスの兄公認というのは大きい。

 二人の言葉にも力が入る。


「ああ、それと……恋人同士ではあっても婚約しているわけじゃあない。しかもまだ学生だ。分かっているとは思うけど、一線だけは越えないようにね」


 その言葉を聞いたゼノスとイリスは固まってしまう。

 顔を少しだけ横に向けると、二人の視線が重なる。

 同時に顔が真っ赤になってうろたえた。


「やだ、もう……」


 羞恥に耐え切れなくなったのか、イリスは頬を押さえてうつむく。


 ――やべえ、可愛すぎる。

 

 あまりの可憐さに、ゼノスは今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。

 だが、それをぐっと抑えた。

 迂闊うかつな行動は控えなければならない。

 なぜなら。


 オーヴェルが無言でこちらを見ているからだ。

 表情こそ笑顔のままだが、圧がすごい。

 せっかくイリスとの仲が一歩前進したのだから、無駄にするわけにはいかない。


 ――でも、いつかは。

 

 ゼノスはそんなことを考えながら、耳まで真っ赤になったイリスを眺めて小さく笑った。

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