第26話 暗闇の中で交わされる会話

 魔術学院に門限や消灯時間が定められているとはいえ、あくまで『お願い』であって、厳しい罰則はない。

 その代わり、生徒が順番に消灯後の見回りを受け持っており、抜け出したことが見つかった場合、一回目はウィリアム先生、二回目はオルフェウス学院長から注意を受け、三回目は本国に連絡がいくという仕組みになっている。


 本国に連絡されてしまうと、当然親も知るところになり、親と国、両方からキツいお叱りを受けてしまう。

 そのような事態は避けたいのか、生徒たちは門限までには魔術学院に戻るし、消灯時間には自分の部屋にいる。


 とはいえ、魔術学院にいる生徒の全員が真面目に守っているわけではない。

 例えば、消灯時間後にこっそりと魔術学院の外へ抜け出したのように。


 グランレイヴ中立都市は三ヵ国が隣接する唯一の場所。

 元は小さな都市であったが、交通、交易の要衝となったこの地には多くの人が集まり、手狭となった結果、周辺の土地をどんどん開拓し、町を拡張していき、大陸でも有数の大都市となった。


 その最初のきっかけとなった場所に大きな教会がある。

 凝った装飾が施されており、年代を感じさせる。

 この教会、昼間は神父とシスターが詰めているのだが、夜は誰もいない無人と化す。

 誰でも立ち入ることができるようにとの神父の配慮から、鍵はかかっていない。

 ただし、夜になると教会の中は真っ暗になる為、基本的に立ち入る者はいなかった。


 故に、今夜も誰もいないし、誰かが来ることもない。

 そのはずである。

 にもかかわらず、


「もう来ていますか?」


 ――一人の少年が現れた。


「ああ」


 無人のはずの教会から、男の声が響く。


「他には……誰もいません、よね?」

「もちろん誰もいない」


 男は教会の奥からゆらりと一歩、二歩、と少年に近づいた。

 不思議なことに足音は一切しない。

 少年の目に、手に、全身に緊張がみなぎっている。

 そして、少年の顔が見える位置まで近づくと立ち止まった。


 男の顔は上半分を仮面で覆われていた。

 漆黒の仮面は怒りの表情をしており、目の部分は血のように真っ赤なガラスがはめ込まれている。

 頭から黒いフードを被ったその男は、近くの椅子に音もなく腰かけた。

 男は自分の隣の席を指し示す。


「どうした、座れ」

「……では、失礼します」


 少年は遠慮えんりょの素振りを見せつつ、男の隣側に腰を下ろした。


「計画についてだが、せっかくお前に提供した魔族を失ったそうだな」


 男が発した言葉に、少年は微動だにせず、両脚に力を入れた。


「そ、それは、ですね……」

「魔族の数も無限ではない。よもや約束を忘れているわけではないだろう、ダイン?」


 男の隣に座っていた少年は、ユリウスの取り巻きの一人であるダインだった。

 ダインが家の力を利用して魔法石を用意し、男が転移の魔法を込め、魔族をダインに提供していたのだ。


「もちろんです! ですが、どちらも邪魔が入りまして……」

「邪魔が入った、か。ミノタウロスやゴブリンロード、ゴブリンキングを倒せるほどの邪魔が入ったということか? そのような者が魔術学院に存在すると?」

「この目で見たわけではありませんし、きっと運が良かっただけだと思います」

「運が良かっただけで二回も無事でいられるはずがない」


 男はダインの言葉を即座に否定する。

 ミノタウロスや大量のゴブリン、その上位種二体を退ける。

 熟練の魔術師が何人もいるのであればともかく、年若い少年少女たちだけでそのようなことができるはずもない。


 ――まさか、勇者足りえる力の持ち主がいるというのか。

 我の考えすぎかもしれん。

 だが、その可能性がわずかでもあるのであれば、我が主の復活を急がねばならん。


 男はダインを見る。


 初めて会ったのは帝国だった。

 あまりに身の丈に合わぬ暗い野心を秘めていた為、いたずらに声を掛けた。

 最初は疑っていたが、我の力を見せたらすんなり信じて、今では従順なしもべだ。

 だが、次も失敗するようならコイツは要らん。

 前のよりも強い魔族を準備するが、念のためだ。コイツ自身も保険になってもらうとしよう。


「ダイン」

「は、はい!」


 重く、力強い響きに、ダインの体はビクッと震えた。


「お前は魔族になりたいと願ったな。我と同じ魔族に」

「はい!」


 ダインははっきりと頷く。

 ダインにはどうしても魔族になりたい理由があった。

 圧倒的な魔力を手にし、ユリウスの右腕となること。

 そして、ユリウスの妹であるレティシアを妻にすることだった。


 帝国では何をするにも力が必要だ。

 ダインは親が伯爵という家柄だが、それも父親の力があってこそ。

 今は伯爵だろうと、ダインが力を示すことができなければ、家を継いだ時に落ちぶれてしまうかもしれない。

 そうなれば、ダインの望みは何一つ叶わないのだ。

 無謀な願いではあるが、目の前の男に従えば魔族になれる。

 魔族になれば――。


 人間が魔族になるためには一つだけ方法があった。

 闇魔法『フォールン・ダウン』。

 この魔法は、当人の魔力と技量、魔族になりたいという渇望がどれだけあるかで成功が左右される。

 見事成功すれば魔族に転身し、凄まじい魔力と強靭な肉体を手にすることができる。

 ただし、失敗すれば知性なき魔物へと変貌してしまう為、人間たちの中で禁忌とされている魔法だ。

 

 無論、男はそのことをダインには伝えていない。

 自分は人間から魔族に転身したのだと嘘を吐いて近づき、力を見せた。

 『フォールン・ダウン』を使用すれば自分と同じように魔族になれる、と都合の良い部分だけをダインに伝え、それを信じてしまったのだ。

 ダインが誘惑を跳ね返すだけの意志を持っていれば良かったのだが、狡猾な魔族相手に抗う術など持っていようはずもない。


「魔族になりたいのであれば、我との約束を果たせ。お前の願いを叶えるにはそれが一番の近道だ。そうだろう?」


 ――そうだ。

 俺が魔族になって力をつければ、ユリウス様も認めてくださる。

 レティシア様だって、あんな平民よりも俺を選ばれるはずだ!


 ダインは先ほどよりも力強く頷いた。

 男の唇が弧を描く。

 懐から黒い魔法石を取り出した。


「この魔法石にはさらに強力な魔族と繋がっている。呼び出す場所には気をつけろ。この都市が無くなってしまうほどの魔族だ」

「グ、グランレイヴが……」

「十分に気をつけて使用することだ。後は――これをやろう」


 男は更にもう一つ、魔法石をダインに手渡す。

 真紅に光り輝く魔法石だった。


「……これは?」

「この魔法石には、一時的にだが、お前の魔力レベルを10倍に引き上げる魔法が込められている」

「10倍!? ほ、本当ですかっ!」

「本当だ。ありえないとは思うが、もしも魔族がやられた場合は、お前がその魔法石を使って目的の人物を殺せ」

「お、俺が……?」


 ダインが困惑する。

 魔族を差し向けて殺すように仕向けていたというのに、自分の手が汚れることには躊躇ためらいがあるらしい。


 10倍に引き上げるというのは嘘ではない。

 数分の間だけだが一時的に人を超えた魔力を手にする。

 ただし、使用者はその後、自分の意志で動くことのできない廃人になってしまうだけだ。


「あくまで保険だ。だが、一つだけ言っておく。今回が最後だ。失敗すれば――お前の願いは叶わない、肝に銘じておくことだな」


 男はそれだけ告げると立ち上がり、次の瞬間には姿を消した。


「もしもの時は俺が……俺が、やる……」


 そう呟くダインの目には、深く暗い決意に満ちていた。

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